自覚
今日、ベルが嘘の恋人としてガネル侯爵家に行くと聞いている。一日中そわそわしてしまい仕事にならなくて大人になってから父にはじめて怒られた。
心配事があるなら解決してこい!と叱られ俺はベルの家に向かう。帰ってきた彼女に話を聞けばきっと少しは安心できるはずだと、今思えば軽率だった。
俺がアンカーソン公爵家に着いた時、ちょうどガネルの馬車が目の前に止まった。それだけでも心がさらに落ち着かなくなったのに、馬車から降りてきたベルは全身にガネルの色を纏っていた。
…俺のなのに。どうして。
いや違う。これは恋人の振りのための道具のひとつにすぎないはずだ。
それでも見ているだけではいられず2人の元に近づく。こちらを向いていたガネルは俺に気づくと少し口角を上げ、あろうことかベルに抱きついた。
はじめて人に対して、それも付き合いが薄いとはいえ元学友に殺意のようなものが湧いた。
ガネルを引き剥がそうとさらに近づくと今度は「ロン」とやつの愛称を呼ぶ彼女の声が聞こえてきた。
俺はその場で愕然とした。
その様子をおもしろそうに見たガネルはそのまま帰っていったらしい。
俺に背を向け、俺の存在に気づかないベルはそのまま家に入ろうとした。
耐えられるはずもなく俺は思わず彼女の腕を取っていた。
「え、リック?」
驚いた顔をしている彼女は俺の大好きで大切な女の子のはずなのに、他の男の色を全身にまとっていて、その色の瞳を持つ男に抱きしめられ、その男の愛称を親しげに呼んだ。目にしたその事実に俺は冷静じゃなかった。
「随分楽しんでいたようじゃないか。」
愛しい人に向けるべきではない冷たい声色に自分でも驚いた。ちがう。こんな態度をとりたいわけじゃない。
「全身にガネルの忌々しい緑を纏って、あいつに抱きしめられて。本当の恋人にでもなったのか。」
「婚約者がいるのに他の男の色を纏うのか。」
「俺を…なんだと思ってる?」
破棄寸前の婚約者とはいえ俺でも抱きしめていないのに。俺の色を全身に纏ってもらったことなんてないのに。
わかってるんだ、彼女のことだから本当にただ困っている友人の力になりたいという気持ちで協力しているなんてことは。そして俺の今までの態度が問題であったことは。彼女に愛も伝えず、褒めることも無く、勝手な思い込みで傲慢な振る舞いをしていたせいだと。
それでも、それでも俺は耐えられなかった。
俺の言葉に目を見開き、彼女は何も言わずに歯を食いしばる。その瞳は瞬きしたらこぼれ落ちそうなほどに潤み、怒りか、悲しみかわからない色に燃えていた。
「わたし……」何かを言おうとした彼女の口がその後の言葉を続けることは無かった。
「ベル、何をしてるの?早く入っておいで。」
彼女の兄であるサイモンが出てきて彼女の元へ近づく。
「さあ、中で着替えておいで。疲れたろう。」
そう優しく言うとベルを家の中へ入れる。
サイモンが俺に近づき声をかける。
「今日の話は少し聞いてる。お前の気持ちはわかるが妹を…ベルを傷つけるな。」
鋭い視線に射抜かれる俺は何も言えない。
どんな事情があっても彼女を傷つけていい理由には値しない。きちんと向き合って話すべきなのに、彼女を傷つける言い方をして、なにが婚約だ。彼女に好いて貰えないなんて当たり前じゃないか。
「……明日、謝りに来い。今日はお前ももう休め。私はベルが幸せなのが1番なんだ。リックのことも嫌いなわけじゃない。」
でも男に泣かれても私は慰めないからな、と付け加えたサイモンは先程までの厳しい顔ではなく、兄の顔だった。
◇◇◇◇
ゆっくりとお風呂に入り部屋着に着替えたところで少し頭が冷静になってきた。まさかリックが家まで来ているなんて思わなかった…。いや、そもそもあれらは全部恋人の振りのためであって、リックに知られたらまずいことなんて何一つ無いはずなのだけれど、それでも…。
「あんなに傷つけるなんて…。」
ここ最近、婚約破棄を言い出したあとから私はもう何度もリックに嫌な思いをさせてしまっている。
なぜ彼があんなにも傷ついたのか、単に婚約者に裏切られたと思ったから?学友であるバイロンに裏切られたと思ったから?それとも……私のことを本当にすき…とか? いやいやそれはないはず。だってさっきも言った通り、婚約破棄を持ちかけたあとの私は本当にリックを傷つけてばかりだから。もしかしたら逆に彼の方から婚約破棄を言い渡されるかもしれない。
いつしか私は婚約破棄することを嫌だと思い始めていたのに気がつく。
自分で言い出したことなのに、私が悪いのに、今更彼に婚約を続けたいなんてどんな顔して言えばいいのだろう。私にはわからなかった。
「寝巻き姿も可愛いよ、ベル。」
お兄様は私の部屋に来ると寝る前に飲むのに良いハーブティーを買ったから一緒に飲もうとリリーに用意をお願いする。
「ねえ、ベルは婚約をどうしたい?今も破棄したいって思ってる?」
お兄様はいつも私の心を見透かして優しく微笑む。
「私は大事な可愛いベルが幸せなら何だっていいんだ。たとえ弟になるのがパトリックでもセシルでもあのガネルとかいう人でも。」
私の身の回りの男性を挙げられ少し身構えてしまう。
「だけどね、ベルが嫌な思いをして傷つくのは見たくないんだよ。」
心から心配そうにお兄様は私を見つめていた。
「うん…。ありがとう。」
私の幸せ、いつか優しいあの物語に出てくる騎士様のような人に愛されてお父様とお母様のようにずっと仲良く暮らしたい。ずっとそう思ってきた。
でも今は、
私はリックの隣で笑いたい。
ただ婚約を続けるためだけなのかもしれない、それでも少しずつ変わっている彼を隣で見ていたい。私は彼の隣にいたい。たとえ恋として愛されなくても友情や親愛でも向けてくれれば充分やって行けると思う。
「…婚約破棄したくない。でも今更私からこれをいうなんて失礼じゃ…?」
「明日リックが来てくれるそうだからきちんと本音で話し合うといいよ。大丈夫。私の天使、安心して?」
リックがわざわざ来てくれるのか。さっきは傷つけてしまったのに、彼の言葉に凍り、謝ることすら出来なかった。明日こそ、きちんと謝ろう。そしてこれからのことを話そう。
「あーー、でもやっぱ嫌だなあ」
お兄様のことばに首を傾げると
「だって昔はお兄様と結婚するー!とか言ってくれてた可愛いエンジェルが他の男のことを考えているだなんて。」
といたずらに笑う。
「もう!昔のことでしょ!」
お兄様はいつでも私の騎士様だった。
もちろん今でも。
「お兄様、ありがとう。」
すこし改まってお礼を言うと
「ねえ今そんな事言わないでよ結婚式まで取っておいてよ泣いてしまうだろ〜〜!!」
と本気で泣きそうな顔をしていた。
リリーが止めてくれるまでお兄様は私にひたすら結婚したくなかったらしないでいいんだからね!?私とずっと一緒でもいいんだからね!?明日リック来ても会いたくなかったら追い返していいからね!?!?と叫び続けていた。
お兄様の結婚こそすこし心配…って思ってしまったのはナイショの話ね?




