五話
〇・〇五秒。
それが僕たち前衛攻撃職を動かすリズム。
一回のボス戦にかかる五分から十分間で繰り出す攻撃スキルの数は、優に百を超す。
その全てで、例えば〇・〇五秒も縮められたら?
全体で短縮できる時間は五秒、十秒、あるいはそれ以上だ。
勿論、求められるのは全体を通してのリズムだけではない。
例えばボスの攻撃を避ける寸前、あと〇・五秒あれば攻撃を一発入れられたのに、なんて場面は意外と頻発する。
その〇・五秒を前もって捻出できるとしたら、どうだろう。
僕たち攻撃職が『俊敏』というパラメータを見る時に考えることだ。
ヘブンズゲート・リベリオン――略してHGRにおいて、ステータスの細かな調節はプレイヤーの手に委ねられている。
近接攻撃力に影響する、筋力。
遠隔攻撃力に影響する、器用。
魔法攻撃力に影響する、知性。
物理防御力に影響する、体力。
魔法防御力に影響する、抵抗。
そして行動速度に影響する、俊敏。
これらのポイントを自分好みに配分することで、キャラクターは単なる人形からプレイヤーの分身へと昇華する。
僕こと破戒僧のレナは、このポイントの大部分を体力と抵抗を割いた、異色の耐久型だった。
通常、破戒僧は俊敏と筋力に長けたパワーアタッカーだ。
そもそも攻撃職自体、最初から敵の攻撃を受けることなんて想定しない。
盾職が敵の攻撃を一手に引き受け、その盾職を回復職が支えることで戦線は維持される。攻撃職に求められるのは、迅速な敵の殲滅。ゆえに耐久型など論外と言っていい。
しかし、それはあくまで通常のお話。
通常のダンジョンは四人――大体は盾職、回復職、攻撃職、支援職の四者から構成されるパーティーで攻略する。
対して、僕が挑む闘技場のパーティー上限は二人。
つまり通常のダンジョンの定石に倣おうとしても、盾職と回復職の二人までしか組めない。
更に言うと、闘技場の本番はクリアした後。果たして何分何秒でクリアできたか、という次元である。
超攻撃型のタンクと合わせるのでなければ、火力が絶望的な回復職の出番はないのが現状だった。
それを裏付けるのが表彰台常連のコンビたち。
大抵は自己回復スキルに長けた盾職が軸となって、火力補助のための攻撃職か、耐久補助のための支援職が一緒に組まれる。
言ってしまえば、それが闘技場の定石。
にもかかわらず、僕たちは互いに攻撃職の破戒僧・楽師コンビだった。
パワーアタッカーを無理やり耐久型にしたレナと、本職に比べれば数段劣る支援スキルを伸ばしたオリベ。
最適解ではないものの、まぁそれなりにはやれているコンビだろう。
実際、僕たちが持つ最高記録の八位という順位は上を見れば低いが、プレイヤー全体で見れば上位も上位だ。
とはいえ、あと一歩が足りないのも事実だった。
闘技場の中でも型落ちの、今となっては一人でもクリアできるものを踏破する。
クリアタイムは、十三分三十八秒。
実装当初は二人掛かりの攻略でも二十分を切れなかったから、レベルや装備、スキルの差がどれだけ大きいか分かる。
ただ、全ての条件は平等だ。
今現在のトップは十分すら切って、九分台だった。
確かレイド勢がお遊びで出した記録のはず。どこかのサイトで読んだが、超攻撃特化の攻撃職で『殺られる前に殺る』を徹底したんだとか。
最新コンテンツでは通用しない戦術とはいえ、学ぶ部分も探せば存在する。
殺られる前に殺ると一口に言っても、その瞬間の最高打点を順に出せばいいという話ではないからだ。
闘技場の多くはボスラッシュ形式になっていて、最高打点で敵を倒し続ければ、やがてスキルが枯渇し、続けて対面したボスに為す術なく屠られてしまう。
スキルごとに設定された再使用時間――リキャストタイムをいかに消費しつつ、目の前の敵と対峙するか。
簡単なはずがない。
そもそも簡単では、ゲームにならない。
難しいからこそクリアした時に喜びが、達成感が生まれる。
「……まぁ、だからって難しきゃいいわけでもないんだけど」
メニューからギルドの項目を開き、メンバーを確認。
オンライン状態を示す明るい名前はたった一つ、レナだけだった。
オリベが遅くなるのは知っていたけど、今日はクロウさんもチョコさんもいない。
時期が時期だからか、あるいは新年度で生活習慣に変化があったか、最近は二人のログイン頻度も低下気味だ。いやチョコさんに関してはようやく常識的な頻度に落ち着いた、と言うべきだろうけど。
今までなら、こんな風に暇を持て余すことはなかった。
大抵やることがあったし、なくてもメンバーと雑談したりクエストやダンジョンを手伝ったり。
寂しい、わけではない。
けれど他に上手く言い表すこともできない、漠然とした気持ち。
いっそもう一回闘技場に行って、スキル回しを確かめるか。
ちらと時計を見るも、時刻は八時……今、四十五分になったところ。平日夜の衣織との約束は、特に指定がなければ九時だった。
一応間に合わないこともないけど、いくら型落ちと言っても闘技場のソロ挑戦は手が疲れる。休憩ついでに前もってトイレなりなんなりを済ませておいた方がいいか。
……なんて、そんなことを考えていたら。
〈SYSTEM:ギルドメンバーのオリベがログインしました〉
まるで見計らったかのようなタイミングでオリベがログインした。
〈オリベ:こんばんは〉
〈レナ:こんばんは、です〉
衣織相手に敬語というのも変な話だし、よくよく考えると『こんばんは』を敬語にすること自体に無理があるのだが、習慣になってしまった挨拶を直すのは中々難しい。
〈レナ:一応聞くけど、大丈夫なの?〉
〈オリベ:体調は問題ないぞ〉
ならよかった。
とでも言うと思ったか。
〈レナ:体調『は』?〉
〈オリベ:言葉の綾だ〉
〈レナ:オリベはそういうの珍しいんですー〉
〈オリベ:珍しいってことは、なくもないんだろ?〉
果たして体調以外の何に問題があるのか。
しつこく聞いてもいいけど、はぐらかす時はとことんはぐらかすから聞くだけ無駄だ。
しかし今回は衣織……じゃなくてオリベに、はぐらかす気はないらしい。
〈オリベ:まぁ正直言うと、若干ダルい〉
〈レナ:体調に問題があるんじゃん!〉
なんで嘘をついた。
いや、それとも嘘のつもりではないのか?
〈オリベ:フィジカルじゃなくてメンタルをやられたんだ。要は気疲れだ。問題ない〉
案の定だ。
フィジカルだかなんだか知らないけど、精神面から体調を崩すなんて珍しくもない。
〈オリベ:そんなわけで、悪いが軽く一周でお願いしたい〉
〈レナ:あれ、素直〉
〈オリベ:俺をなんだと思ってる。調子悪い時に無理して潜っても変な癖付くだけだ〉
そこまで合理的な判断ができるのに、メンタルがやられているとのたまうか。
〈レナ:それじゃあ、安定取ってゆったり一周で〉
それだけ送信してから、暫し考える。
まぁ、大丈夫か。
〈レナ:もしあれだったら通話繋ぐ?〉
普段は近所迷惑ならぬ身内迷惑を考慮して繋がない通話だけど、あくまで勘を忘れないための一周、大体二十分から三十分だったら問題ない。
〈オリベ:どっちでもいいな〉
〈オリベ:何か試すようなこととかあれば、繋いでもらった方がいいけど〉
何か試す、というのは新しい戦術のことだろう。
今まで使ってこなかったスキルを使うとか、同じスキルでも発動のタイミングをずらすとか。二人一組、二人三脚の闘技場攻略において、それはそのまま相方の立ち回りにも影響する。
「今のままじゃ、やっぱりダメなんだろうなぁ……」
何も言っていない段階でそういう話題を出すということは、詰まるところオリベも必要性を感じているわけだ。
今までのやり方でも、八位は取れた。
けど、更なる上位に登り詰めるのは厳しいかもしれない。
〈レナ:試すことはないけど、やっぱり繋いでもらっていい?〉
〈レナ:何か思いついたら即興でもやりたいし、やってほしいかな〉
〈オリベ:了解。準備できたら飛ばしてくれ〉
〈レナ:ちょっと待ってて〉
一旦ゲーム画面を閉じ、ブラウザで無料の通話アプリを起動。
と同時に席を立ち、リビングでテレビを見ていた父さんと母さん、夏乃に通話する旨を伝える。オリベ相手なら部屋の外から実名を呼ばれたりしても困らないけど、あまり家庭内の話をマイクが拾ってしまうのも良くない。
それに夏乃は受験生だ。もし勉強中なら通話そのものをなかったことに、とも思ったんだけど、随分と余裕そうである。大丈夫なのか、本当に。
〈レナ:お待たせ〉
一応チャットしてから、アプリで発信。
呼び出し音はすぐに止んで、ヘッドセットから一瞬、マイクのノイズが聞こえた。
『ばんは。昼ぶり』
マイク越しの衣織の声。このむずむずする感じにも、もう慣れた。いや相変わらずむずむずはするんだけど。
「こんばんは。お疲れ様でした」
『ほんとになぁ』
衣織がだらけた声で言う。
誰と何をしていたのか知らないけど、衣織をここまで疲れさせるのはすごい。
「何か厄介事?」
『や、バイト』
「へぇそっか、バイトか」
バイトならそりゃ疲れ…………。
「え、バイト?」
『やっぱ面白い反応するな、レナ――じゃない、怜乃は』
「バイト始めたのっ!?」
『ん? あぁ』
バイト。
誰がどう聞いても、この文脈でアルバイト以外に有り得ない。いきなり容量の話を始めたら驚きを通り越して頭の心配をする。
けど、バイトか。
そういえば僕たちは高校生だ。それも二年生。珍しくもないし、なんならしない方がおかしいって風潮も一部にはある。
でも、バイトかぁ。
『どうかしたか?』
「いや、まぁその、お疲れ様です?」
『なんか怒ってないか?』
「へっ? いや、それはないよ、うん、それはない」
『……大丈夫だ、ゲームの時間は確保できる』
お見通しですか、そうですか。
ただ、本当に怒っていたわけじゃないんだと、それだけは誤解なく伝えておきたい。
「別に。バイトくらい衣織の自由ですけども」
なんで拗ねてるんだ、僕
『なに拗ねてんだ、お前』
「拗ねてません!」
『いや拗ねて……って、いいや。生産性がなさすぎる』
衣織の声は呆れていた。そりゃ呆れるだろう。
なんだって友達がバイトを始めただけで拗ねるのか。
そもそも単なる友達とは思っていないからなのだけど、そこを他ならぬ衣織に気取られるわけにはいかない。
『そういや、怜乃は一人だったのか?』
他の話題ならなんでもよかった。
きっと同じ思いだっただろう衣織の言葉は渡りに船で、見えていないと承知でコクコク頷いてしまう。
「ん、一人だった」
『寂しかった?』
「ん、寂し……いわけじゃんっ!?」
『今日なんかテンション高いな』
「衣織が変なこと言うからだよっ!」
一人だった? 寂しかった?
って、なんだよそれ、彼女かよ、いや彼氏かよ。
くそぅ、そういう会話してみたい。したんだけどさ? 今したんだけどさ!?
「……ごめん。衣織の言う通りらしい」
『テンション、絶対変だもんな。風邪か?』
風邪、ではないと思うけれど。
しかし、どうしてこんな気分なのか、自分でもよく分からない。
タイムが伸びないせいか、あるいは単純に、衣織にケッコンを申し込まれたせいか。
脳裏では夏乃の言葉が蘇る。
――じゃあレイ君は、このままでいいの?
いいわけがない。
どちらにも言えることだ。
「ごめん。昨日の、多分ちょっと引きずってる」
『なら悪いのは俺だろ』
「あぁいや、そういうことじゃなくて……」
では、どういうことなんだろう。
息を吸って、少し落ち着く。
思考の足を止めて考えれば、見えてくる答えがあった。
「今日、ずっと一人だったんだよ」
それで少し、寂しかった。
だから衣織と話せて、嬉しいのかもしれない。
『珍しいな。チョコもか?』
「え? まぁそだね、チョコさんもいなかった」
チョコさん限定か。クロウさんも、そこそこログイン頻度は高めだけど。
『って、悪い。話の腰折ったな』
言われ、脇道に逸れていた思考が引き戻された。
ついでに言えるはずのない本音を、また別の本心で覆い隠す。
「あぁうん、それで、一人で闘技場行ってたんだよね。あ、昔の」
『あー、あれか。ソロ周回に向いてるとこ』
「そうそ。衣織は全然ソロじゃ行かないもんね」
『実質バッファーだからな。ソロで潜るくらいなら壁殴りの方が練習になる』
バッファーとは支援職の中でも、特に味方の強化に重きを置く者のことだ。
楽師はつまり、バッファー寄りのアタッカーということである。
「で。ソロで回してみて思ったんだけど」
『うん』
「何かこう、しっくり来ない感じで」
『急にか?』
「多分、ずっと合ってなかったんだと思う」
スキルはコンマの単位で回し続けるものだ。
合わないといっても、具体的な秒数など浮かぶはずもなく、なんとなくの感覚で掴むしかない。
一方で、ある程度以上プレイしていれば慣れが出てくる。
それが悪い方に作用した結果、なんとなくの違和感に気付けず、合わないものを無意識に合わせてしまっている場面もあるはずだ。
「昨日、凡ミスしたじゃん?」
『したな』
タイミングを間違えるなんて次元ではなく、そもそもの発動を忘れる初歩的なミス。
あれで、何かのリズムが狂ったのかもしれない。
あるいは、無意識の修正が剥がれ落ちた、と言うべきか。
「なんて言えばいいのか、まだちょっと分かんないんだけど」
『違和感がある、と』
「うん」
何度も繰り返してきた。
今回の闘技場だって、クリアそのものはできている。タイムはお粗末なものだけど、安定してクリアできるだけの練習は積み重ねてきた。
そして今、タイムを縮めるための練習に入っている。
そんな段階に至って、ようやく違和感に気付いた。
「ごめん。えっと、だから――」
『ゆったり一周、だったろ?』
何を言えばいいのかも分からず開いた口が、ぽかんと固まる。
『一回行こう。んで、また違和感があったらそっちに集中すりゃいい』
衣織は何気ない口振りで、当たり前のように言うけれど。
『違和感がある。違う気がする。良いことだな。改善点があるってことは、伸びしろがあるってことだ』
それをポジティブとは、僕は呼ばない。
俯くことがネガティブで、空を見上げることがポジティブならば。
衣織のそれは、全くの別物だ。
『ちょっとやる気出てきた。何か見えそうなら二周目も行こう』
「気が早いよ」
『遅いよりはいいだろ?』
例えるなら、山の頂上。
稜線の先にそびえる峰を見据えているようなものだ。
衣織には山頂が見えている。
そしてきっと、いずれ僕も見つけるだろうと、信じて疑わない。
「ん、頑張る」
『応援してる』
けど、期待はしないんでしょう?
訪れると知っている未来は、期待するようなものではない。
静かに待つか、そうでなければ自らの手で引き寄せるのみ。
嫌な話だ。
チョコさんがレイドダンジョンに行きながら、一方でオリベと組んで闘技場に挑もうとはしなかった理由が分かる。
『それじゃ、行こうか』
時々誤解されるけれど、衣織は優しくなんかない。
三年前もそうだった。
引っ込み思案なクラスメイトに気を掛ける優しさを持っていたわけじゃない。
ただ、興味がないだけだ。
誰と誰が友達だとか、相手の評判だとか、そういうことに。
衣織が見ているのは、上でもなければ下でもない。
前だ。
自分が進むべき前だけを、恐ろしく鋭い眼差しで見据えている。
そんな彼の前に立ちたがるのは、だから相当な変わり者くらいだろう。
「お手柔らかにお願いします」
『あぁ。体調が悪けりゃ言ってくれ』
要するに。
辛いからもう嫌です、なんて理由じゃやめてくれないわけだ。
「オリベ」
『なんだ、レナ』
「絶対に三位、取ろうね」
『そこはせめて、一位と言おうや』
耳元で笑う、衣織の声。
それが冗談なんかじゃないことを、僕は知っている。