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二話

 巨人が拳を振り上げる。

 見えた時には、遅すぎた。

 短躯の少女が半身の構えを取るも、あと一歩で間に合わない。

 巨人の拳が少女を捉えた。

 九割以上残っていた頭上のHPゲージが一瞬で消し飛び、少女が倒れ伏す。

 ほんの一時の静寂。

 そして、巨人は再び動き出す。

 闘技場に残されたのは、長躯の青年。

 左目を眼帯で覆い、毛皮のロングコートを羽織った青年は、その手に一挺のマスケット銃を携えている。

 楽師。

 それが彼――、オリベの職業だった。

 銃や琴による中距離戦闘を得意とする攻撃職ながら、味方を支援するスキルも扱えるテクニカルな職業だ。

 しかし、万能職など存在してはいけないのがネトゲの鉄則である。

 楽師も例外ではなく、攻撃職離れした支援性能の裏返しに攻撃性能は控えめな上、耐久性能に至っては壊滅的。

 今しがたほぼ一撃で屠られた少女――、破戒僧よりも格段にHPが低く、更には防御スキルも持たない。

 普段は前衛に守られている楽師が一人でボス前に放り出される。

 その結末は、火を見るより明らかだ。

 発動待機中だったスキルが不発に終わり、マスケット銃をくるりと回すオリベ。

 そこへ無造作に歩いてきた巨人が裏拳を軽く当てただけで、満タン……一ミリも欠けていなかったHPゲージが空になった。

 倒れゆくオリベの姿を背景に、GAMEOVERの表示が流れる。

 スキルですらない、ただの通常攻撃一発での蒸発。

 いかに耐久性能がない攻撃職でも滅多に見られない最期だったが、オリベを責めることはできない。

 それどころか、むしろ。

〈レナ:ごめん〉

 責められるべきは僕だ。

 今のは対処できる攻撃だった。というか、何度も相談と計算を繰り返して、対処できるようにした攻撃だ。

 なのに失敗した。

 それも、純粋に力に及ばなかったからではなく、関係のない考え事をしていて。

〈オリベ:休憩しようか〉

 棘のないチャットは、どんな言葉よりも鋭く胸に刺さる。

〈レナ:いいよ、大丈夫だから〉

〈オリベ:いやまぁ休憩ってか、今日は終わろう〉

〈レナ:大丈夫だって〉

〈オリベ:大丈夫な奴はさっきのとこミスらんし〉

 正論だ。

 他の破戒僧にいきなり同じことをしろと言っても、成功できる人は少ないだろう。

 しかし僕は、何度となく繰り返してきた。待機モーションに入っていたことから、オリベが正しく対処していたことも分かる。簡単ではないにせよ、慣れてはいた。普段は失敗しない。

 今日、失敗した理由は。

〈オリベ:そもそも調子悪そうだ。無理すんなよ〉

 無理なんか、しちゃいない。

 ただ――。

 画面の中、バトルエリアから締め出され、戦闘用装備から街中用のお洒落着に着替えたオリベが見える。

 眼帯の代わりに細く四角い眼鏡をかけた青年。

 オリベを操作するプレイヤー自身、つまり衣川衣織に雰囲気が似ている気がするのは、僕の考えすぎだろうか。

 調子が悪いわけじゃない。

 けれど、もしかしたら今日はもうダメなのかもしれない。

 見慣れすぎて、一々気にすることもなくなっていたオリベの姿を見て、ドキリとしてしまう。

 戦闘中の細かなモーションに気を取られ、目の前のボスへの対処を疎かにした。

 考えていたのは、昼間のこと。

 ケッコン、するんだ。

 理由はなんであれ、僕と――僕の操作するレナと、衣織の操作するオリベが。

 そのことを考えるだけで、思考が鈍る。普段は当たり前にできる操作にほんの一瞬手間取って、それが命取りとなった。

〈レナ:ごめん。お言葉に甘えさせていただきます〉

〈オリベ:体調悪いなら休めよ。明日から学校なんだし〉

 そういえば、ゴールデンウィークも今日で終わりか。

 朝までは覚えていたはずなのに、すっかり忘れてしまっていた。

 別に体調が悪いわけではないけど、言われた通りに休むとするか。

 おやすみ、と打ちながらログアウト前の忘れ物がないか確かめていた、ちょうどその時。

〈SYSTEM:ギルドメンバーのクロウがログインしました〉

 チャットログが更新され、次いでギルドチャットが流れる。

〈クロウ:ばんわー〉

〈オリベ:こんばんは〉

 既に打ち込んであった文字を消し、入力フォームをパーティーチャットからギルドチャットに変更。

〈レナ:こんばんは、です〉

 クロウさんは僕たちが所属するギルド、三羽烏のマスターだ。ギルド名の由来は推して知るべし。最初はクロウさんとオリベともう一人で立ち上げた三人組のギルドで、四人目の僕はそこに迎え入れてもらった形だ。

 ひとまず挨拶してから、さてどうするかと思案する。

 これはネトゲあるあるだと個人的に思っているけど、誰かがログインした直後に入れ違いでログアウトするのは、なんだかその人を避けているように思われる感じがして気が引けるのだ。

 それで結局、ログアウトできずにいる間にチャットログが動き出す。

〈クロウ:二人は今日も闘技場? ちょい暇ある?〉

〈オリベ:暇かどうかは用件で変わる。今日の闘技場は終わったけど〉

〈クロウ:そなの? 早いな〉

〈クロウ:んで、暇ならデイリー行かね?〉

 そして流れるのは断りづらい話題。

 まぁ体調が悪いわけじゃないから、デイリーくらい行ってもいいんだけど。

 ちなみにデイリーとは、デイリーダンジョンからデイリークエスト、果てはコンテンツを指定しないデイリーボーナスまでを含んだ略語で、その時々によって文脈から読み解く必要があったりする。

 今回言われているのは、デイリーダンジョンだろう。

 一日一回だけ経験値とドロップアイテムにボーナスが付く特別仕様のダンジョンで、難度自体は高くないけど、熱心な人は毎日行くことになるため効率化が求められる。

〈オリベ:俺はいいけど〉

〈オリベ:レナがちょい調子悪い。ビルドもビルドだから野良募集はキャンセルで〉

 闘技場でポカミスをやらかした手前、デイリーくらいなら行けるとも言いづらい。

 そこはオリベが察してくれたけど、悲しいかな、三羽烏の創設メンバーは良くも悪くも個性的な面々だった。

〈クロウ:風邪?〉

〈オリベ:んにゃ、精神面〉

〈クロウ:あー、五月病ね。お大事に〉

〈オリベ:クロウってほんと遠慮しないよな〉

〈クロウ:趣味で遠慮とかいらんだろ。我俺の仲だ〉

〈オリベ:レナとクロウがいつの間にそんな仲に〉

〈クロウ:や、オレとオリベだが〉

〈オリベ:……いつの間に?〉

〈クロウ:いやいや、冗談はよせよ〉

〈オリベ:すまん、マジで言ってる〉

〈クロウ:……〉

〈オリベ:……〉

〈クロウ:話戻すけど、つまりデイリーは無理っぽいんかな?〉

 戻すんだ、ここで。

〈オリベ:フレンドの一人もいないんか。どんまい〉

 更に傷口をえぐるのか。

 二人のタイピング速度に付いていけないせいで、こういう時にチャットしても一周遅れのよく分からない発言になってしまう。

 口も挟めないまま何気なくチャットを見返し、ふと気付く。

 僕の不調の原因、精神的なものだとバレていたのか。そりゃあ昼間会って元気なのは知っているんだから、消去法的に精神面に原因があると分かりそうではあるけれど。

 でもついさっきは、体調に気を遣ってくれるようなことを言っていた。

 抜け目ないというか、なんというか。

 まぁなんにせよ、誰も誘える相手がいないのなら、申し訳ないけどクロウさんには野良で行ってもらうことになるだろう。

 そう、思っていた時だ。

〈SYSTEM:ギルドメンバーのチョコがログインしました〉

 チャットログにシステムメッセージが流れた。

〈クロウ:あ〉

〈オリベ:お〉

 そして二人がほとんど同時に一言ずつ発した、その次の瞬間には――、

〈SYSTEM:クロウのパーティーに参加しました〉

〈SYSTEM:チョコがパーティーに参加しました〉

〈チョコ:なんぞこれ〉

〈クロウ:ばんわー〉

〈オリベ:デイリー行き。出発〉

〈クロウ:了解〉

〈SYSTEM:パーティリーダーがコンテンツへの参加申請をしました〉

〈チョコ:待って聞いてない〉

〈SYSTEM:コンテンツの開始待機中です〉

 ログが一気に流れ、画面の真ん中にデイリーダンジョンへの突入確認が出てくる。

 映し出された二択に〈YES〉で答えれば、画面が暗転。

 画面が再び明るくなった時、そこは既に闘技場前ではなく、鍾乳洞を模したダンジョンの入り口だった。

〈チョコ:こういうの良くないと思うんだ〉

〈クロウ:と、即パーティー参加して即突入OKした人が申しております〉

〈オリベ:急ぎすぎない進行よろ〉

〈クロウ:了解〉

〈チョコ:え? なんかあったの?〉

〈チョコ:あとレナちーこんば〉

〈オリベ:あ、こんばんは〉

〈チョコ:君は猛省〉

〈レナ:こんばんは、です〉

 ようやくチャットに追い付いた。

 ……ような気がしたけど、気がしただけだったらしい。

〈チョコ:で、何があったの?〉

〈クロウ:レナが不調だと〉

〈チョコ:大丈夫なん?〉

〈クロウ:五月病だとか〉

〈チョコ:ダメなやつじゃん〉

〈チョコ:で、実際は?〉

〈オリベ:知らん。闘技場で凡ミスしたから本日終了した〉

〈チョコ:え、それだけ?〉

〈オリベ:いやまぁ、多分俺が原因なんだけど〉

〈クロウ:おいおい闘技場クリアできないからってリアルで当たるのはなしだぞ〉

〈オリベ:当たってないが〉

〈チョコ:何かしたん? セクハラ? セクシャルなハラスメント?〉

〈オリベ:ケッコンを申し込んだ〉

〈オリベ:多分、それを引きずってる〉

 急に何言い出してんだ、こいつ。

 大急ぎでキーボードを叩くも、僕のタイピングでは遅すぎた。

〈オリベ:んじゃ、早く進もうや。止まってても仕方ない〉

〈オリベ:クロウ?〉

〈チョコ:ちょっと待って〉

〈オリベ:おじいちゃんトイレはログイン前に済ませたでしょう〉

〈チョコ:誰がおじいちゃんだ。せめておばあちゃんにして〉

〈クロウ:え、ケッコン?〉

〈チョコ:タイプおっそ〉

〈オリベ:来月セールだぞ。二人もどうだ〉

〈チョコ:クロウはない〉

〈クロウ:これ、まさかのおめでたい話?〉

〈クロウ:あ、オレもチョコはお断り〉

〈クロウ:ていうか、ケッコンすんの?〉

〈クロウ:マジで?〉

〈クロウ:聞いてないんだけど?〉

〈チョコ:レナちー、おめでとー〉

 ありがとう、と言ってしまっていいのだろうか?

 普段は度が過ぎるくらいにマイペースな二人を、これほど困惑させるのがケッコンというシステムだ。

 画面越しに恋情を抱き、あまつさえ交際するなんて、到底理解されないことが多い。

 システム的にケッコンが存在するから一応は受け入れられているものの、では自分もしたいかと聞かれれば、大半のプレイヤーは首を横に振るだろう。

 しかも僕たちの場合、リアルでの知り合いだと知られているし、そもそもお洒落着アイテム目当てのケッコンだ。

 何をどこから言えばいいのか分からず、ようやく思考が回り始めた頃にはチャットが動きすぎていた。

〈クロウ:あー、うん、おめでとう〉

〈チョコ:まさかクロウ、レナちーのこと好きだった?〉

〈クロウ:や、そういうんじゃないけど〉

〈クロウ:オレはてっきり、レナは実は男だと思ってたから〉

〈クロウ:あーそうなんだー、二人って本当にそういう仲だったんだーって〉

〈クロウ:内心めっちゃ驚いてる〉

〈クロウ:あ、でも落ち着いてきた〉

〈クロウ:おめでとさんな。マジでおめでたいわ〉

〈チョコ:二人も遂にゴールインですかー〉

〈オリベ:いやタキシード欲しかっただけだが〉

〈チョコ:……はい?〉

〈クロウ:は?〉

〈オリベ:いやタキシード欲しかっただけだが〉

〈クロウ:いや読んだよ? ログ残ってんだから聞き逃すとかないよ?〉

〈オリベ:なら理解したな。行くなら行こうぜ。行かないなら退出申請よろ〉

 盾職のクロウ、回復職のチョコ、攻撃職のオリベ。

 彼らがギルド三羽烏である。

 三人とも古参を名乗っていいプレイ歴を誇り、特にチョコさんは高難度の代表格、レイドダンジョンでメインヒーラーを担う手練だ。オリベも高難度コンテンツの一つ、闘技場で僕と一緒にランキング一桁を記録したことがある。

 マイペースの三重奏と称すべきギルドの先輩たちを見ていると、それだけでメンタルがごっそり削られる気がした。

 こればかりは、単なる気のせいではないのだろう。

〈チョコ:レナちー〉

 ピコンと音を鳴らし、パーティーチャットともギルドチャットとも違う色の文字が現れる。

 それはテルや囁きと呼ばれる、特定のプレイヤーにのみ見える形で送るチャットだ。

〈チョコ:がんば〉

 果たして、なんのことを言っているのやら。

 渋々といった感じで進み始めたクロウさんの背中を眺め、パーティーの最後尾で立ち止まったままキーボードを叩く。

〈レナ:ケッコンシキはちゃんと挙げるので〉

〈レナ:興味があったら是非来てください!〉

 ギルドチャットにそれだけ流し、少し離れたところで待ってくれている三人のもとにレナを走らせる。

 ヘブンズゲート・リベリオン、――略してHGR。

 何者かに侵略、洗脳された天界を救うべく、天使である主人公は堕天する……。

 そんなシナリオで彩られたファンタジーの世界に、僕ことレナは生きていた。

 そして動機はともかく、オリベこと衣織とケッコンする。

 思い出す度、顔が熱くなった。

 こんな調子で、明日からまた顔を合わせられるのだろうか。

「ううぅぅぅ~!」

 熱くなった頬をぺちんと叩き、画面を見据え直す。

 早くもクロウが最初の雑魚モンスターに接触していた。

〈チョコ:レナちー、ダイジョブ?〉

〈オリベ:マジで体調悪いなら寝てろ〉

〈オリベ:これくらいなら、時間はかかるが俺とチョコで片付けられる〉

 自分で原因を作ったくせに、なんとも都合の良い奴だ。

〈レナ:何言ってんの〉

〈レナ:そういう台詞は、私と同じだけ火力出してから言ってよね〉

 大丈夫。

 そう、自分に言い聞かせる。

 それに何より――。

 僕と私は、別物だ。

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