十七話
圷カタリナ。
少女ことリナちゃんは、そう名乗った。
アクツとは随分と日本っぽいファミリーネームだと言ったら、日本のアクツですと笑われ。
じゃあ阿久津なのかと思ってみれば、すぐさま心を読んだかのごとくスマホで漢字を見せてくれた。
日本で生まれ育った初めて見る漢字だ。
何も知らずに中国の苗字だと言われたら、あぁそうなのかと納得していただろう。
何気なく零したら、すごい偏見ですね、とまた笑われた。
いや、リナちゃんは笑ってくれたけど、こういう偏見は良くない。
僕自身、心の中を全て明かせば偏見を持たれる側だろう。
中学の二年生になるまで友達らしい友達もおらず、趣味はネットゲームで、そのキャラクターは美少女で、明言はしていないものの女と誤解されても不思議はない言動を繰り返し、挙げ句の果てに同性である衣織とゲーム内でケッコンする。
偏見は良くない。
改めて肝に銘じ、夏乃たちが到着するまでの時間を潰す。
「……と、その髪は地毛?」
「えぇ、母方です。ママはもっと鮮やかですよ」
ほへぇ、と変な声が漏れてしまう。
リナちゃんの髪は、陽の光のもとで誇張抜きに宝石のように輝いている。もっと鮮やかだとすれば、いっそ暗がりでもほんのり発光できるんじゃなかろうか。
まぁそれは冗談として。
「じゃあ、お母さんはやっぱり海外の人?」
「そうなりますね」
あまり家庭の話題に踏み込むのもどうかと思うけど、ここで夏乃やミカちゃんの話を持ち出しても愚痴以外の言葉が出てきてくれそうにない。
なんなら呪詛であり、本人に聞かれては困る類いの陰口さえ並べ立ててしまいそうだ。
諦めて、目の前の話題に飛び付くしかない。
「あ、そうそう、私も海の向こうの生まれなんですよ!」
そしてリナちゃん自身、そこの抵抗を持っていないようだから助かる。
「へぇ。じゃあお父さんが海外に行ったと」
「んーまぁそうですかね、職業柄あっちこっち転々としていまして」
海を越えた愛情か。
羨ましい、という感情は意外と湧かなかった。
すごいな、と素直に感心してしまう。
「どこだと思います?」
「えっ?」
「私の出身地ですよ。夏乃も海叶ももう少し時間かかるみたいだし、暇潰しのクイズってことで!」
暇潰しか、そりゃそうだ。
初対面の女装男相手に、彼女も頑張って話題を提供してくれる。
これは馬鹿正直に分からないの一点張りで空気を悪くさせるわけにもいくまい。
「そうだね……」
考える素振りは見せるも、考えて分かるものでもないだろう。
カタリナ。
オレンジ色の髪に、改めて覗き込んでみると少し青っぽい瞳。
欧米だろうか。
そこまで絞り込んだところで、候補は膨大だ。ヨーロッパの小国なんて、聞けば思い出すかもしれないけどパッと浮かぶ国名がない。
まともに考えるのは諦める。
そもそも正解して賞品が貰える類いのクイズじゃない。
あくまで暇潰しの話題であって、真剣に考え込むのも馬鹿げている。
「じゃあイタリアとか?」
それで最近よく聞く国名を一つ挙げてみたが、なんとも偶然とはあるものだ。
リナちゃんが目を見開き、次いでくしゃりと笑った。
「へぇ、驚きました」
「え、当たり?」
「いえ残念ながら……。でも、惜しいですね!」
まぁ親が単身赴任して、片思い中の友達が進路に定めて、更には妹の友達が生まれた国だなんて、そんな偶然は出来すぎだろう。
「惜しいっていうと、やっぱりEU?」
「どうでしょう」
もう少しヒントが欲しいんだけど。
「小さいところとか、あとは島国とか?」
リナちゃんは僅かに悩む素振りを見せ、にかっと歯を見せて笑う。
「そうですね、島国といえば……まぁ島国です」
歯切れの悪い口振りからして、半島だろうか。
少し地理の教科書を思い出してみたけど、何かが出てくるはずもない。
「むー、降参!」
わざとらしく大袈裟に両手を挙げ、隣に座るリナちゃんの顔を覗き込む。
やはり海外で生まれ育つと、人との距離が近いことには慣れるものなのだろうか。
同じ年頃の日本人なら、こうして初対面の男に顔を覗き込まれたら大なり小なり嫌な顔をして、意図しないにしても身を引くと思うんだけど。
「正解は?」
本当に良い子だ。
ミカちゃんの毒牙にかからず、素直に育ってほし――
「四国です」
「んん?」
「正解は、四国ですっ!」
……おや?
「いやー惜しかったですねー。小さい島国。んー、惜しい! 島ですし国って付きますけど、残念ながら四国は国家じゃないんですねー!」
よし、理解した。
「でもイタリアは惜しかったですねー。ママの故郷ですよ! まぁママは若い頃に家族でこっち来ちゃったんで、私は一度も行ったことないんですけどね! 生まれも育ちも四国! 生粋の四国人ですね!」
これはアレだ。
紛うことなくミカちゃんのお友達だ。
「って、あれれ? 驚いてくれませんね」
「そのボケ、少し前に見たから」
正確には聞いた、だけど。
通話越しにイタリアに行くと言った衣織が、そういえば海外でも四国じゃないとか、そんな下らないボケを口にしていた。
お陰で、呆れて「あぁ君は馬鹿なんだね覚えたよ」と口を滑らさずに済んだ。
「いやあの、怜乃さん」
「ん? なに?」
「その露骨に人を馬鹿にした目、ちゃんと見えてますからね?」
「あぁごめん、目が滑った」
「滑るのは口なんだよなぁ。そりゃ目は口ほどに物を言うって言うけどさぁ」
呆れて敬語すら忘れたか。
僕もだ。
呆れて遠慮を置き忘れた。
「ていうか、四国って都道府県ですらないし」
「だって四国なんて一々県で覚えてる人いませんもん。県で言っても『どこそれ』なんですから、最初から四国って言えばいいんですよ」
「じゃあ最初から四国って言おうよ」
「いやそこは私のアイデンティティですからね? みんな私を見て『おっ外国人だ!』って目になるじゃないですか、そこですかさず『どこ生まれだと思う?』って聞くんですよ。これがテッパンですね」
「それ、ウケたことある?」
「百戦勝ちなしでしたが、海叶が大爆笑してくれましたよ」
だろうね。
「あ、そういえば爆笑って、実は一人じゃできないんですよね。だから海叶が大爆笑って、日本語おかしいんですよね。ニポンゴ、ムズカシネ」
「一回マジの外国人に土下座した方がいいよ?」
いやマジの外国人っていう表現も下手したら土下座ものだけど。
「いやー、でもよかったです」
何もよかねえよ。
「ちょっとは……いえ、割と結構不安だったんですよ?」
それまでのふざけた調子はどこへやら。
唐突に纏う雰囲気を変えるカタリナは、やはり大人びて見える。
それには覚えがあった。
夏乃もそうだ。育ちが良い夏乃は年相応の振る舞いをすれば子供っぽいと笑われ、むしろ背伸びしすぎたくらいに大人びていることが当たり前とされてきた。
大人になろうとするんじゃなくて、当たり前に大人と扱われる。
それで気付けば、背伸びするのが当たり前になってしまった。
似た気配を感じるのは、決して思い違いではないのだろう。
「でも、話に聞いていた通りで安心しました」
「話?」
訊ねると、カタリナはバツが悪そうに目を逸らす。
大方、夏乃とミカちゃんがあることないこと面白おかしく吹き込んだのだろう。
転校してきて一週間ちょっとで、随分と仲良くなったものだ。
「その服だって、ちょっと似合いすぎじゃないですか?」
「似合ってる自覚はないです」
「いやいや、似合ってなきゃ今頃通報されてますから」
「女装だけで通報って……。日本はそんなに遅れてますか?」
「四国はもっと遅れてました」
「四国に謝れ」
「ごめんなさい、四国」
律儀な子だ。
初対面――いや、初対面じゃないか。一度会って、話している。
とはいえ、あの時は他愛のない言葉を交わすだけで、自己紹介もしなかった。
それなのに妙に慣れた気がしてしまうのは、その律儀さゆえだろう。
「……ん?」
そういえば、あの時。
「どうしました?」
「いや、ええっと、確かアトリエにいたよね?」
「あっ……そうでしたね。それがどうかしましたか?」
初対面と思っていた相手と実は一度会っていた、という僕としては少なからず衝撃的な状況なんだけど、カタリナはけろりとしている。驚くべき順応性の高さだ。
「いや、あの時、そういえば僕のこと同い年くらいに見てたんだなぁと」
「…………はて?」
あぁうん、好きだな、この子。
勿論、恋愛的な意味ではなく。
「君、良い性格してるって言われない?」
「あはっ。まさか私が言われる日が来るとは……!」
君以上に誰がそんな良い性格しているんだ。
精々がミカちゃんくらいのものだろう。夏乃とは良い勝負で、関係のないところだと衣織も良い性格といえば良い性格だけど。
「……ん? 結構多いな」
「何がです?」
「良い性格してる知り合い」
「でしょうねぇ」
「……もしかして、類友とか思われてる?」
「誤解の余地なく類友じゃないでしょうか」
ほんの十分かそこら前に名前を知り合った相手に、ここまで言われるか。
しかも人生経験豊富な目上の人ではなく、二つ年下の妹の友達に。
「一応聞くけど、今日どこ行くかって聞いてる?」
「二人が合流したら、あとは流れでって聞きましたね」
まぁ、流石に予定まで隠すことはないか。
これで下着を買いに行くとか言われたら三人の中学生女子を相手に説教一時間コースだったけど、そんな心配はしなくていいらしい。
となると、少しは楽しみにもなってくる。
「どこか行きたいところとかある?」
しかし年長者は、ただ楽しみに待っているだけではいけない。
二人が着いて騒がしくなる前に、最低限のことは確かめておこう。
「いやー、それがまだ何あるか分からないんですよね、この辺」
「なるほど。じゃあ案内を兼ねてあちこち練り歩こうって魂胆だったわけだ」
「意外と気が利きますよねぇ、海叶って」
本当に意外だ。
夏乃と二人で相談したものと思っていたけど、ミカちゃんの発案だったとは。
カタリナはニヤリと笑って、隣り合ったまま上半身をこちらに寄せてくる。
「実は私、海叶の裏には参謀が付いているんじゃないかと疑っているんです」
「なんだそれ」
僕もきっと、似たような悪戯っぽい笑みを浮かべていることだろう。
「証拠は上がってるんですが……如何せん海叶とは知り合って一週間ですからね。決定的なところまでは足りず」
「むしろよく一週間で証拠を上げたね」
「ごめんなさい嘘つきましたほとんど上がってません」
「おい」
まぁ、ほとんどってことは一つか二つは疑わしい情報を掴んでいるのだろうが。
普段から女子中学生が触れてはいけない趣味の話に花を咲かせている二人を見てきたから、こうして中学生らしい企みにニヤニヤしてくれる友達ができたことは素直に嬉しい。
「でもまぁ、納得ですね」
「また急に話題が変わったね」
「いやいや、変わってませんよ?」
カタリナはちらりとスマホに目を落とし、それから駅舎を見やる。
そろそろ時間なのだろうか。
僕は聞かされなかったけど、流石にカタリナには乗る電車の時刻くらい伝えているはずだ。
「話を聞いた感じ、怜乃さんって夏乃とすごく仲がいいみたいじゃないですか」
「そりゃ兄妹だしね」
「いやぁ、兄妹だからって誰もかも仲良くできるわけじゃないですよ?」
「そういうカタリナは?」
「勿論一人っ子ですが」
からからと笑って、カタリナは晴れ空を見上げた。
ちらと見やれば、その手が鞄を撫でている。大切なものなのなのか、あるいは単なる癖なのか。手持ち無沙汰という可能性もある。
機能性重視らしい落ち着いた色合いの鞄には、一つだけアニメ風のキャラクターの缶バッチが付いていた。夏乃やミカちゃんと仲良くなるキッカケだった、なんでも自作だというそれ。
どこかで見たことのあるような、けれど見覚えのないキャラクター。
「お陰で少し、分かった気がします」
果たして、なんの話だったか。
途中からは気を遣うこともなく本当にただの友達みたいに話していたせいで、咄嗟には内容を思い出せない。
「怜乃さんは、すごく良い人です。でも、それ以上に良い性格してますね」
良い人で、良い性格。
日本語が簡単なら、きっとイコールで結び付けられた二つの言葉。
その意味を訊ねようとは、思わなかった。
興味はあったけど、わざわざ確かめるほどのことでもないだろう。
尤も、仮に確かめようとしたところで、それは叶わなかったようだが。
「やぁやぁお二人さん、随分と仲睦まじく笑い合っていますなぁ」
軽やかに笑う声が、少し離れたところから飛んでくる。
「うわーレイ君、浮気してるー!」
浮気じゃないし!
ていうか衣織とはただの友達だし!
……なんて慌てて叫べば図星にハマる。
「はいはい、ちゃんと夏乃とも楽しく笑い合うよー」
「チッ……。レイ君のくせに落ち着いてやがる」
「相変わらず下手な舌打ちありがとね。残念ながら、蓋を開けてみれば初対面じゃなかったので」
まぁ初対面だったとしても、そんなことお構いなしに打ち解けられた気はするけど。
「へ? そうなの?」
「えっとほら、あのアトリエで……」
言いかけ、我に返る。
まずい。
この話を紐解いていくと、衣織と渚さんの話し声を聞いたところまで辿り着いてしまう。
カタリナはともかく、ミカちゃんに知られたら大変だ。
「っと、二人とも着いたなら、さっさと本題に入った方がいいんじゃない?」
「露骨に話を逸らされた気配を感じますが、今日のひょうて……主役はリーナなので許してあげるとしましょう」
などと上から目線でのたまう彼女こそ、ミカちゃんこと海叶だ。
最近まで漢字も覚えてなくて、なんなら未だに苗字を知らないけど、そんなことはどうでもいい。
諸悪の根源にして、なんだかんだ憎めない後輩である。
その大きな要因の一つが――、
「どこ行くにせよ、まずはこんにちは。そっちはゴールデンウィークに一度見かけてたらしいけど、顔を合わせるのは久しぶりかな?」
立ち上がり、改めてミカちゃんを見下ろす。
そう。
彼女は年相応、いや平均よりも低い身長の持ち主なのだ。
「おー。怜乃さんはちっちゃいと聞いてましたけど、それでも海叶よりは背高いんですね」
「おい夏乃」
「なんで私っ!?」
そりゃ夏乃以外に容疑者がいないからだ。
ミカちゃんは最高に良い性格だけど、背丈に関しては別だった。低身長で何かと悩まされる者同士、決して裏切ることはないという確信によって、ささやかではあれ暗黙の協定が結ばれている。
「むー。全然釈然としないけど、立ち話もなんなので聞かなかったことにしておきましょう」
「ぜんぜんしゃくぜん」
「ミカちゃん?」
「あ、ごめん。なんだっけ? ええっと確か、レイ君さんがリーナと浮気してたって話だっけ? まったく、オリせん――」
「よーし、それじゃあ行こっかー! そういえばカタリナの行きたいところって話が途中だったね!」
何事か考えていたカタリナだったけど、不意に得心顔になる。
「おー。あー、なるほど」
「待って、なんか怖いんだけど」
「いえいえ、衣織さんのことは常々……あ、夏乃と海叶から聞いていますよ」
瞬間、二人がそっぽを向く。
「さ、さーて。どこも行きたいところないなら、本屋でも行きますかー!」
「さんせー! ボクねー、読みたい本がねー」
「却下」
「今日はそういうのなしって聞きました!」
白々しい顔をして都合の良い提案をする夏乃と、一瞬前の感情を忘れ目を輝かせるミカちゃん。
二人の前で顔を真っ赤にして叫ぶカタリナの、なんと心強いことか。
思わず手を差し出してしまい、きょとんと首を傾げられる。
「あ、ごめん。数年来の夢が叶ったもので」
「夢、ですか?」
怪訝そうな声。
まぁ、唐突に言われれば戸惑いもするだろう。
「そう。二人のブレーキ役になってくれる友達ができたらいいなって」
「あー、なるほど、そういう……」
「おいおいレイ君、抜け駆けは良くねえっすよ」
「おいおいおいレイ君さん、そーっすよ」
一々ノリがウザ……じゃなくて、掴みにくい二人。
普段は良い子の夏乃だけど、ミカちゃんと一緒だとこうなるから困る。
しかし、それも今日までだ。
どうすれば二人のノリと勢いを抑えられるか、先達として余すところなく伝授するとしよう。