九話
「ってわけで、第二土曜の八日か翌十五日がいいと思うんだが、どうだろう」
衣織がスマホ画面のカレンダーを指差し、真面目腐った声で言う。
対する僕は適当……というほどではないにせよ、そこまでの熱意はない。
そもそも衣織だって真剣なのではなく、真剣を装って遊んでいるだけだ。
「大丈夫だよ。どっちも空いてるから衣織の都合で……」
だからそう答えかけたのだけど、すんでのところで言葉が詰まる。
カレンダーに並ぶ日付の下、小さくて読む気にもなれなかったそこに、ふと意識が吸い込まれた。
今年の六月は土曜日から始まる。
二回目の土曜日は八日で、三回目の土曜日は十五日だ。
そして今話しているのは僕と衣織――ではなく、レナとオリベのケッコンシキの日取り。
現実の結婚式において、日付の下に小さく書かれるそれら二文字は、決して無視できるものじゃない。
「ま、まぁ? でも一般論としては十五日の方がいいと思うんだけどね? 一般論としては。けどやっぱり衣織次第だよね、うん」
今年の六月八日は仏滅、十五日は大安だった。
どちらが結婚式の日取りに向いているかなど、最早言うまでもない。
「おぉ、怜乃はそういうの気にするか」
「いや別に、気にしてるわけじゃないけども」
本当に、装備目当てのゲーム内結婚で気にすることではないとは思う。
思うけれど、しかし、だ。
「ほら、なんていうの? 神社とかお寺ではなんか背筋が伸びる、みたいな。誰も見てなくても『いただきます』は口に出して言っちゃうような、なんかそんな」
「分からんではないが……。まぁ、了解した。怜乃は十五日の方がいいと」
奥歯にものが挟まったような言い方だけど、下手に突っ掛かって困るのは僕だ。
それに、ここは教室、今は朝。
壁に耳あり障子に目あり、油断ならない耳目が周囲にある状況下でわーきゃー騒ぐほど、僕も愚かではない。
「てっ、ていうか!」
……愚かではない、はずだったのに何故か声が裏返った。
「衣織は本当に大丈夫なんだよね、バイト!」
それを誤魔化そうとして今度は声が大きくなって、しんと教室が静かになる。
とはいえ一瞬のことで、教室はまたすぐに喧騒に包まれたけど、熱くなった顔は冷めてくれない。
「バイトって言っても、知り合いの店を手伝ってるだけだからな」
「……知り合い?」
まさか、あのナギサさんだろうか。
反射的に思ってしまったけど、どうやら違うらしい。
「世話になった……つうか、なってる人でな。学生なんだから週末くらい遊びにでも出掛けろって言われたら、そりゃ嫌ですとは言えないだろ」
ナギサさんと話している時の衣織は、少なくともこんな感じじゃなかった。
もっとフランクで、それこそ嫌なことは嫌とはっきり言いそうな印象がある。
「ま、来月どうなるかは分からんけどな。どうせ尻に火が付くさ」
いや、やっぱり微妙なところだ。
ニヤニヤと口笛でも吹くかのような調子で零された声は、なんとも軽やかで楽しげ。
普段なら衣織に笑いかけられるのは大歓迎だけど、このニヤニヤ笑いだけは向けられたくない。
「そんなわけで、何かないか?」
「何か、って?」
唐突な言葉に聞き返してしまったが、直後に思い出す。
「休み明けに、まさかネトゲしてましたって言うわけにもいかないだろ」
「へぇ。バイト先の人? の言うことには律儀に従うんだね」
「俺のことをなんだと思ってる」
「我が強い自由人?」
「要するに自己中で周りの顔色なんて気にもしねえ奴ってことだな」
「そこまでは言わないけどね」
しかし、だとするとナギサさんとは違う人になりそうだ。
ネトゲ趣味のことを隠している……というのも、あまり衣織には似合わない。もしかしたら、似合わないことをやっているのかもしれないけれど。
でも、そうか、週末は暇しているのか。
「……って!」
安堵している自分を見つけ、思わず声が出てしまう。
若い男女の週末といえばデートだと誰が決めた。放課後デートも高校生の嗜みだ。
そうじゃないかな、そうじゃないな。
「どした、急に」
「いえ、なんでもありません?」
じとっとした眼差しから逃げつつ、何気なく考える。
週末にやること、か。
僕も大抵、衣織と同じだ。元々の出不精に加え、ネトゲなんていう趣味を持ってしまったから余計に家から出ない。高校に上がってからも宿題が課題へと呼び名を変えただけで、休みの日には机でノートかPCに向かう日々だ。
例外はない、わけでもない。
「衣織は何か、えっとネトゲとは他に趣味ってないの?」
「趣味なんて大層なもんはないな。てか、あったら悩まない」
それは意外なような、そうでもないような。
衣織は基礎的な能力がずば抜けて高い。観察眼とか集中力に優れているのだろうか。なんでも飲み込みが早く、勉強で困っているところは見たことがない。それでいて案外真面目じゃなくて、日頃の積み重ねを疎かにするところがあるから体育は悪くない程度に留まっている。
趣味がないというのは、ある意味で納得だった。
そういう意味でいえば、ネトゲ……HGRとその闘技場にハマっていることの方が驚きだ。
訊ねは、しないけれど。
同じ疑問を返された時、僕は答えに窮する。衣織がやっているから。衣織に誘われたから。それが僕の理由で、目標を達成したいとか上達が目に見えて嬉しいとか、そういうのは副産物に過ぎない。
だから結局、自分から切り出した話題を掘り下げることはできなくて。
ええい、ままよ! ――と、どこかで見たか聞いたかした叫びを心中に零し、腹を括る。
「じゃ、じゃあさ、衣織!」
机の下で握り締めた拳が少し痛い。
そういえばここ暫く爪を切っていなかったと、どうでもいいことを思い出す。
「どした、今度は」
何かを察したような衣織の声が優しく響いた。
不自然になってしまっている自覚は、ある。
それでも言いかけたからには言ってしまわなければ、もっと不自然だ。
そうでなくとも、……いつまでも、このままじゃいられない。言わなくちゃいけない。言おう。言う。だから。
「え、えっとですね、キャップを……帽子を、新しいの買おうと思ってまして」
「……? あぁ、あれな」
「それで暇なら、衣織につつ……付き合ってほしいなって、思いまして!」
噛んだ。
致命的なところで噛んだ。
でも仕方ない。仕方ないんだけど、やはり致命的なのは致命的で……。
衣織がきょとんと目を丸くし、それから見たこともないくらいにだらしなく、これでもかと破顔した。
これも呵々大笑、というのだろうか。
声は決して大きくないのに、動きがやけに大袈裟で、笑われている僕は顔が熱くなる。
「……そんなに変ですか!」
「いや悪い」
「変ですかっ!?」
「まだ敬語だし」
言って、衣織は腹を抱えて笑い出す。
何がそんなに可笑しい。というか、衣織がそんなに笑うから周りの視線が突き刺さる。
「まぁ、うん、悪い。怜乃って友達少ないもんな」
……はい?
「……衣織? なんで僕は急に貶されたの?」
「いや事実だろ」
事実だけども。
「ていうか、いや、悪い。そうじゃないんだ。ええっと……あれだ、怜乃って中学で友達いなかったろ?」
「喧嘩売ってるんだね、僕は喧嘩売られてるんだね!」
「悪い。悪いって。悪気はないんだって」
生憎と、僕は売られた喧嘩は買う主義だ。消費税でもなんでも込みで買ってやる。
「いやまぁなんだ、誘うの下手かよ」
「下手だよ! 悪いかっ!」
人の気も知らないで!
勉強でも運動でも観察眼が鋭くて、人の隠し事もすぐに見抜くんだから、いっそ僕の心も見透かしてくれないだろうか。
何も告白してくれとは言わない。
けれど、もうちょっとこう、恋愛的なものを察して気遣ってはくれないものだろうか。
人が精一杯の勇気を出して誘ったのに、それを下手とはなんだ、下手とは。
「だから謝ってるだろ? なんつうか……いや、うん、土曜でいいのか?」
「何を言おうとしたのか知らないけど、仕方ないから見逃したげる。土曜日でいいです。衣織は大丈夫?」
「あぁ。別に日曜も行ってもいいけどな。暇だし。モールなら二日連続でも退屈しないだろ」
「いや二日連続は僕の体力が……ん?」
んん?
あれれ?
「……ん? どした?」
「あ、いや、なんでもない。土曜日ね、土曜日」
「あぁ、うん。怜乃に合わせるから、時間決めたらメールなりメッセなりくれ」
「りょ、了解です!」
動揺して敬礼までしてしまったけれど、そりゃそうもなるだろう。
モールって、アウトレットモールのこと……ですよね?
週末に二人でアウトレットモールとか、なんだそれ、純喫茶の比じゃないぞ。
……二人、だよね?
不安になって見回すも、あれだけの騒がしさで気配を殺せるはずもなく、辺りに豊の姿はない。衣織が後から豊に声をかけるとも思えないし、僕がトチ狂って夏乃を誘わない限り、やっぱり二人だ。
衣織と二人で、週末にモール…………。
「衣織、ごめん」
「……何を謝られたのか知らんが、それでさっきのチャラな」
気が利かない奴だと思ったことを、心の中で謝罪する。
グッジョブ、衣織。
ナギサさんとやらのことはまだ気になるけれど、それはそれ、これはこれ。
「えと、それじゃあ、後で時間を決めて連絡します」
「ん、よろしく」
衣織と出会って、三年と一ヶ月。
二人で話す機会は数知れず、時には二人で待ち合わせて出掛けることもあった。
しかし、こんなデートみたいなことをするのは、もしかしたら初めてかもしれない。
……純喫茶では、結局HGRの話しかしなかったし。
今年のゴールデンウィークは子供の日の振替休日で月曜日までだった。だから登校三日目の今日は、木曜日。いつもより一日少なく、明後日には約束の土曜日がやってくる。
普段は憂鬱な金曜日も、明日だけは幸せな気持ちで過ごせそうだ。
などと思っていた僕が悪かった。
金曜日の夜。
約束を明日に控え、電車の時刻までメッセージで送ってしまった後で。
僕は一人、格闘することとなる。
訂正しよう。
一人で格闘する無意味さを早々に悟り、恥も威厳もかなぐり捨てて中学生の妹に頭を下げた。
「夏乃」
「はて?」
「夏乃さん」
「誰です?」
「お、お姉さん」
「もう一声」
「……お姉ちゃん?」
「なになにっ? お姉ちゃん、可愛い弟のためならなんでもお願い聞いてあげるよ!」
最高にして最悪のテンションの妹に頭を下げながら、僕には苦々しく吐き捨てることしかできなかった。
「服を、選んでください……」
悲しいかな、僕は筋金入りの出不精である。
室内着と分けている関係でパジャマのまま外出するような真似はしてこなかったけれど、一方で外出用の服とはイコール動きやすく汚れてもいい服の意でしかない。
一人でスポーツ用品店に行くならいざ知らず。
急に連絡が来て準備する余裕もないならともかく。
こうして一日という準備期間を得てしまった手前、動きやすさという基準だけで服を選んでいいものだろうか。
否、いいはずがない。
しかも行き先はモール……そう、アウトレットモールだ。
若者が、それこそ大学生でさえもデートで足を運ぶような場所である。
たまたま近場に住んでいたために手近な感を抱いてしまうけれど、本来なら高校生がデートで行くなんて背伸びもいいところだ。
まぁデートじゃないんだけど、それでも最低限のフォーマルな格好というものはある。はずだ。
「レイ君、本気なんだね……」
「僕は昔から本気ですが」
「ここまで兄の威厳を捨て去ったレイ君の姿、お姉ちゃん見たくなかったな」
「それでもお姉ちゃんは譲らないんですね」
「なんていうのかな、新しい何かに目覚めそう」
ダメだ。それだけはダメだよ。
言おうとしたし、言ったつもりだったのに、声が出なかった。
何故か見てはならない気がする夏乃から目を背け、視線は虚空を彷徨う。
「顔を上げて、レイ君」
「兄が見ても大丈夫な顔をしてますか」
「レイ君は私のこと、なんだと思ってるの?」
「基本可愛い妹、時々関わっちゃいけないレベルの変態」
少なくとも本棚は薄目で見なくちゃいけないって、お兄ちゃん知ってる。
スマホの中身? 夏乃のプライバシーより僕の精神安定のために見るべきじゃない。
「まぁ大丈夫、話は大体理解したから。私もレイ君の恋路は本気で応援してるんだよ」
「ありがとう」
「だから取り敢えず、これ着てみる?」
「……これ?」
顔を上げるも、当然だけど服なんてない。
今は……この部屋の時計を見る限り、夜の十時半。そして、ここは夏乃の部屋だ。
夏乃からすれば、前触れもなくノックしてきた兄を部屋に通したら、そのまま頭を下げられた状態である。服を準備する時間はおろか、そもそも選ぶべき服がこの場には存在しない。
「うん、これ」
しかし夏乃は堂々と頷く。
これ。
名詞とかなんとかは詳しくないけど、手元にあるものを指す言葉だ。
そして今、手元にある服……。
「ええと、夏乃? もしかしてなんだけど――」
「大丈夫。レイ君ならいけるから。ていうか、折角のデートなんだよ!? オリ先輩との初デートなんだよ!? スカートくらい穿かなくてどうするのさ!」
「その発想がどうしてるのさ!」
即ち、夏乃が今着ている服しかない。
落ち着いた色合いだけど、フリルが付いていて子供らしさも残るシャツ。あとスカート。
もうね、スカート。その一点で僕が着る服でないことは明らかだ。
「……レイ君、本気?」
「それ僕の台詞だよね……?」
「だってデートなんだよ?」
「そもそもそこが違うよ?」
デート、ではない。
デートスポットに、二人で行くけど、デートではない。
僕は男で、衣織も男だ。僕はまぁ、衣織とそういう仲になりたいとは思っている。思っているけれど、思っているだけだ。想いを伝えたわけでもなく、必然そういう関係でもない。
デートではなく、単なる買い物。同級生、あるいは友達同士の暇潰しだ。
「でも、これはチャンスなんだよ?」
僕は真面目だ。
けれど、だからといって夏乃が不真面目というわけでもないらしい。
真剣な声音を向けられ、反射的に背筋が伸びる。
この部屋の主が夏乃だと知ったら、果たしてどれほどの同級生が驚くだろう。
中学生にはまだ早い漫画や小説が並ぶ本棚は、しかし一目見ただけでは落ち着いたものだ。カーテンやその他のインテリアはよほど高価なものでなければ夏乃が選んだもので統一されているが、どれもこれも等しく落ち着きがある。
女子中学生と言われて想像するパステルは少なく、その大人びた容姿に似合う、垢抜けたデザインのものが多い。
昔からそうだ。
僕は幼くあることが許され、夏乃は背伸びすることが許された。
裏を返せば、僕の背伸びと夏乃の幼さは見咎められる。
誰かが口に出して言ったわけじゃないけれど、なんとなく肌で感じてきた視線たち。
「今のままじゃ、いけないんだよ」
夏乃が言う。
決して強い語調ではなかったけど、それが尚更深くまで声を響かせた。
「私はBLが好きだよ。だけど、だからレイ君を応援するわけじゃないよ」
知っているとも。
きっと相手が女の人で……そう、普通に同級生の女の子に恋をしていたとしても、夏乃は応援してくれただろう。
僕には、多分できない。
夏乃が誰か、同級生の男子とかに恋をしていたら、どうして素直に応援できるだろう?
幸せであってほしいと、幸せになってほしいと願うがゆえに、不幸せになる未来が怖い。
「レイ君ってさ、本気でオリ先輩のこと好きじゃん?」
「まぁ……そりゃ、まあね?」
すぐには頷けず、曖昧な返事になってしまう。
ほんの少し呆れた顔をした夏乃は、それでも茶化さずに言葉を続けた。
「レイ君はいつも本気だから。本気で向き合ってるから。……だから、応援してる。応援できる」
そう言って、夏乃はにへらと笑ってみせた。
「私はオリ先輩のこと、よく分からないから。良い人そうだし、実際そうなんだと思うけど、よく分かんない。時々怖いっていうか、不気味に感じることもあるし。けど、レイ君が良い人だって言うなら、間違ってないと思う」
不気味。
咄嗟に否定したくなる一方で、どうしようもなく腑に落ちる。
「レイ君が信用するから、私も信用できる。信用していい人なんだって思える。レイ君が好きだっていうなら、……そりゃ、応援したくもなるよ。きっと良い人なんだろうなって。レイ君のこと幸せにしてくれるんだろうなって。そう信じられるから」
この子は本当に中学生かと時々思う。
実際、夏乃は背伸びをしていた。誰に言われるでもなく、半ば強いられてきたから。
それが癖になっているのだろう。
……まぁ、僕を弟扱いして楽しむ趣味は自前なんだろうけど。
困った妹だ。
そう、妹なのだ。何度お姉ちゃんを自称されても、そこは覆らない。
「だからレイ君」
「ん、なに?」
「レイ君は、このままじゃいけないんだよ」
偉そうな物言いは、けれど上から目線とは違う。
有り体に言って、客観視。
最も近い他人からの、有り難いお言葉。
「レイ君はいつも本気だけど、時々臆病だから。これ以上ないくらい本気なのに、まだ何か足りないって足踏みする。セッソクとコウチだっけ? レイ君が前に言ってたのって」
「だね。拙速と巧遅。拙いけど速いことと、巧いけど遅いこと」
「それそれ」
いつだったか、HGRのことを話す中で持ち出した言葉だ。
闘技場はまさに拙速と巧遅の取捨選択を数多く迫られる。その言葉が、まさか夏乃から返されるとは思わなかった。
「私は多分、ちょっと急ぎすぎちゃった。でもレイ君は、私の分までのんびりしてる」
夏乃はどこか遠くを見ていた。
部屋の中を彷徨っていた視線がふと僕を見つけ、けろりと笑う。
「特に朝とか」
「それは自業自得です」
途中、わけもなくふざけなくちゃいけない気分になるのはお互い様か。
普通の兄妹より仲が良い自信はある。ちょっと仲が良すぎる自覚もある。
なのに、こうして真面目な話をすることは、決して多くなかった。
「けど、手遅れになっちゃダメだよ」
笑ったまま、夏乃は視線を逸らして言った。
「ナギサさん、だっけ? オリ先輩とさ、どういう関係なんだろうね。友達なのかな。先輩後輩なのかな。ただの知り合いなのかな。それとも、恋人なのかな。分かんないけどさ。私は直接見たわけじゃないし、レイ君もオリ先輩に確かめたわけじゃないんだから」
でも、と夏乃が呟く。
口の中で転がすかのような、曖昧な声だった。
「でも、いつまでも変わらない関係なんて、あんまり多くないよ」
それは誰と誰のことを言っているのだろう。
きっと、誰かと誰かに限った言葉ではないのだろう。
「今は先輩後輩でも、いつかは恋人になるかもしれない。臆病なレイ君、私は好きだよ? 十年後も二十年後も、私のことお姉ちゃんって頼ってほしい。泣きたい時には胸を貸してあげてもいいよ」
「それはどうかと思う」
「私は本気だよ?」
もっとどうかと思う。
「……だけど、レイ君が悲しむところは見たくないかな」
からりとした、笑っているのか泣いているのか分からない顔だった。
目が合って、夏乃は照れたようにそっぽを向く。
それから、膝の上でもじもじと手を遊ばせながら言葉を再開させた。
「レイ君は本気だよ。いつも気持ちは本気。……なのに、行動は臆病だから」
「だから?」
「勇気を出して、アタックしなくちゃダメなんだよ? 今までみたいに待ってるだけじゃ、オリ先輩は振り向いてくれないんだから」
そして、話が戻ってくるわけだ。
夏乃が椅子から立ち上がり、クローゼットに向かう。
そもそもそこから出てきた服を僕が着るわけがないのだが、どうして気付かないのだろう。
「レイ君」
「……はい?」
「レイ君は自分の武器を分かってないんです」
「僕の武器?」
ろくな予感がしないんだけど、一応聞いてみるだけ聞いてみよう。
「それってな――」
「可愛さです!」
食い気味だった。
僕が口を開けた直後には夏乃の口も開かれていた。
「その男子高校生離れした可愛さを活かさずして、どうやって同級生男子をオトすんですか!」
「異議あり!」
「認めません!」
叫ぶと同時に夏乃が振り返り、その手に持っていたヒラヒラが僕の眼前で躍る。
今の夏乃が手にすると、なんだか子供っぽい印象を受けるそれ。
けれど、女子中学生が着るのだと思えば、なんら違和感はないスカートだ。少し短すぎる気がしないではないものの、子供服なのだから別に構わないのか。
「ところで、その服はなんですか?」
「え? レイ君が言ってきたんでしょ?」
「僕は明日着ていく服を選んでもらおうと……」
いや、もう言うだけ無駄か。
分かっていた。
分かっては、いたのだ。
これ以上の抵抗は無駄である。
「私が一昨年まで着てた服だけど、レイ君なら今でもまだ――」
「ごめん、受験勉強中にお邪魔しちゃったね。おやすみ。早く寝るんだよ」
言い終える前に立ち上がり、言葉を挟む隙を与えず退出する。
後ろ手に部屋の戸を閉め、そのまま寄りかかって一つため息。
「……まぁ、うん。自分で頑張ろう」
服は選んでもらえなかったけれど、勇気は貰えた気がした。