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第1話 修学旅行

 暑い。体中がじわじわと熱を帯びるのを感じる。

 肌の感触からして、俺は砂浜に寝転がっているようだ。

 うっすら瞼を開けると眩い日差しが入り込んでしまい、再び目をつむる。

 ここはどこだ。潮の香りがする。俺はビーチにいるのか?

 耳をすませば、ザザーッと静かな波の音も聞こえてきた。


「やっと起きた?」


 どこからか、知らない人の声も聞こえてくる。

 これは女の声か?

 彼女は無論、リゾート地に遊びに行くような女友達も俺にはいなかったような気がするが。

 俺は目をぐしぐしと擦りながら、ゆっくりと起き上がった。

 見渡す限りに広がっているのは広大な海。

 頭上に広がっているのは大きなヤシの葉。

 体を傾けるたびに、俺の着ている学生服からは砂が零れ落ちた。

 俺は全く状況が飲み込めず、腕をつねってみるが一向に夢から覚める気配はない。


 どうしてこうなった?


 俺は眉間にしわを寄せ、可能な限りの記憶を掘り起こすことにした。




~~~




「なあ君、暇ならトランプでもやらないかい?」


「……すまん、今は寝ていたい」


「そうか。じゃあ起きたら声をかけてくれよ」


 前の席の男はそう言うと、また他との談笑に戻っていく。

 俺はそれを見届けると、再び手元のスマホに目を落とした。

 画面に映っているのは安っぽいUIのパズルゲームだ。漫画アプリの広告から飛んでみたものの、大した面白みはなかった。

 このレベルなら、あと数分で最終ステージまで踏破できるだろう。

 俺はため息をつくと電源を切る。そして、機体後方部のトイレに向かうべく隣の男に声をかけた。


「トイレに行きたいんだが」


「ん? ああ、すまないな! 通ってくれ!」


 隣に座っていた真面目そうな眼鏡の男は咄嗟に立ち上がり、道を開けてくれた。

 俺は小さい声で感謝を告げると、そそくさと彼の前を横切る。


 全く、どうせ予算なんて有り余っているのだから、行き帰りの飛行機ぐらいもう少しグレードアップしてもよかったのではないか。年間の授業料をこのイベントに全て回してしまえば、他にも色々改善することができただろうに。

 和気あいあいとした機内のクラスメイト達を横目に見ながら、俺はそんなことばかり考えていた。


 英勇(えいゆう)高校。自他とも認める日本一の高校で、選ばれし国内最高峰の学生たちが集う進学校だ。国内トップクラスの大学はもちろん、更に優秀な海外の大学に留学する生徒も当たり前のように存在するここはまさに規格外。他の追随を許さない英勇ブランドが確立していて、毎年受験生の多くはここを受験しては、その90%がふるい落とされていく。

 そんな英勇高校だが、どういうことか推薦入試のシステムは存在している。

 血のにじむような受験勉強をせずに入学できるのなら誰だってこっちを狙うだろうが、もちろん英勇側もそこまで甘くない。

 英勇の推薦入試で問われるのはたった1つ。


 受験生が「才能(タレント)」を持っているか否か。それだけだ。


 ここでの才能、タレントというのは、趣味や特技といったお遊びではない。

 文字通りの天賦の才、生まれ持った素質のことのみを指している。決して努力のみでは到達することのできない領域。それがタレントだ。

 無論それは芸術や学問といった華やかなものから、表社会に出てこないような裏のタレントまで全てが分け隔てなく、ある意味では平等に吟味され、選抜される。

 そして推薦入試で合格した者は、国内最難関の高校受験を切り抜けてきた「一般人」とはまた別の場所に隔離され、学ぶことになる。それが「推薦組」だ。


 俺、佐藤ハルトはそんな推薦組の1人として今回この修学旅行に参加していた。

 まだ高校2年生なのに修学旅行は少しおかしい気もするが、3年生になればそれぞれが進路のことで忙しくなってしまうし、確かに妥当な時期ではある。

 推薦組の30人を載せた飛行機が向かっているのは、南の楽園ハワイ。

 2泊3日の短い旅だが、俺にとっては苦痛以外の何物でもなかった。

 とっとと終わらせて、早く家に帰してほしい。空港を発って数時間も経っていないというのに、俺の四肢は既に子鹿のようにガクガクと震えている。ホームシックだ。


 飛行機のトイレは1室のみ。どうやら誰かが使っているようで、鍵の部分は使用中になっていた。

 狭い通路で突っ立っているのも何だか申し訳なかったが、俺は腕を組んでじっとトイレの扉が開くのを待つことにする。

 待ちぼうけの中で脳裏に浮かぶのは愛しき我が家、の一室。俺の部屋だ。

 小さな自分の部屋にこれでもかと詰め込まれた漫画やゲーム、机の上で煌々と輝くモニターと虹色に発光するキーボードが今ではすっかり懐かしい。

 特にひどかったのは家を出て1時間くらいだったが、こうして飛行機に乗り、日本を離れたという現状に立たされて再び、形容しがたい喪失感が俺を襲っている。

 そもそも、2年間家から一歩も出なかった男に対してハワイまで行けと言う方がおかしい。

 できることなら断りたかったが、この修学旅行を欠席した者には卒業資格を与えないというのだから、本当に渋々といった感じだ。既に俺の中では、この行事でクラスメイト達とは過度なコミュニケーションをとらず、如何なるトラブルにも巻き込まれないように静かに過ごすと決めている。


 と、その時トイレの扉が開いた。

 出てきたのは金髪の女。派手なアクセサリーをじゃらじゃらとつけた彼女はいわゆるギャルなのだろう。俺より少し低い背の彼女は、ムスッとした顔で俺のことを見る。

 そうか。飛行機のトイレは男女兼用なのか。


「……何」


 ギャルが髪をいじりながら俺を睨みつけた。

 俺が何か悪い事でもしたか?


「何って、俺もトイレだが」


「視線がキモいんですけど」


「はぁ?」


 俺は思わず語気を荒げてしまう。

 何だこの女、やけに突っかかってくるじゃないか。大抵の女なら俺の整った容姿に頬を赤らめてしまうというのに。


「フッ、おもしれー女……」


「あの、ガチでクサいんでどいてもらえますか」


「ファッ!?」


 そこで俺は、3日ほど風呂に入っていなかったことを思い出す。

 前髪に触れると、髪の毛はすっかり汗でべとついていた。キモがられる原因はこれか。

 まあ、引きこもりにとって風呂や身だしなみは些細なことだから仕方がない。


「俺は引きこもりだからな。お前らのような陽キャと違って身だしなみに気を使う必要がないのだ」


「うわぁ、推薦組ってこんな奴もいたんだ」


「フン、好きに言え。どうせお前のような頭の悪いギャルと俺では金輪際関わることもないだろう」


「……きっしょ」


 ギャルは汚物を見るような視線を俺に向けると、無理やり押しのけて席に戻ろうとする。

 と、その瞬間機体が大きく揺れ、ギャルは体勢を崩して俺にぶつかってしまった。


「おっと、危ない」


「ぎゃあああ無理! マジで無理なんですけど!」


「おい暴れるな! また機体が揺れたらどうする……うわっ!」


 再び、機体が大きく揺れる。今度は俺も姿勢が崩れ、ギャルと2人で狭い通路に倒れこんでしまう。

 搭乗しているクラスメイト達からも、悲鳴や動揺の声が上がった。

 続いて、機長による切迫した声のアナウンスが鳴り響く。

 その内容によると、どうやらこの飛行機は乱気流に巻き込まれてしまったらしい。


「おい離れろッ! マジでクセぇんだよ! 自覚しろキモオタク!」


「しょうがないだろ、また機体が揺れたらどうする! あと俺はオタクじゃない!」


「じゃあただのキモだよ! キモ!」


「キモくもないッ!」


 更に追い打ちをかけるように機体が揺れる。今度はかなり激しい揺れだ。機内のランプは点滅を繰り返し、周囲はすっかりパニックになっている。外からはガガガと嫌な音が聞こえてきて、機体は大きく傾いたまま小刻みに揺れ続けている。

 俺もできることならこの女と離れたかったが、床が傾いたままの状況では立ったまま姿勢を安定させる方が難しい。

 本当にしょうがなくだが、華奢な彼女が吹っ飛ばされて後方に行かないように俺は片手で彼女を抱きかかえ、もう片方の手で床の出っ張りを掴んだ。


「マジで離せ! 蹴るぞキモ!」


「もう蹴ってる! あと怪我したくなかったらじっとしてろ!」


 しかし、俺の身体は俺が予想していたよりはるかに衰弱していたようで。

 2年間全くといっていいほど運動をしてこなかった俺の腕は、彼女1人を支えているだけで既にプルプルと震えだし、限界を迎えていた。

 流石にあの頃と同じものを期待するのは、俺が甘かったか。


 そして外では、ついに何かが爆発したような音がした。そして機体は大きく右に傾き、機内のランプはすべて消灯する。天井からは何か所も火花が散り、明らかに緊急事態であることを告げるアラームが鳴りだした。窓の外は黒煙で何も見えない。クラスメイト達の声で、機長のアナウンスはすっかり掻き消された。


 すると、今度はとても大きな爆発音。俺たちの後ろからだ。

 体を捻じって振り向くと、機体の後方が完全に千切れ飛び、乱気流がすぐそこまで来ていた。

 ガソリンの臭いと爆発の熱風が、俺と彼女を焦がさんとばかりに吹き付ける。


「嘘だろ……」


「いやぁ! こんな奴と一緒に死にたくない!」


「駄目だ……もう力が……」


 ついに俺の腕は限界を超え、床の出っ張りから手を離してしまった。

 ギャルが怒りの形相で俺に何か叫ぶが、既に疲れ切った俺の意識は急速に遠のいていき、彼女の言葉を聞き取ることすらままならない。

 こんなところで俺は死ぬのか。全く、なんてしょうもない終わり方だ。

 死ぬならせめて安らかに逝きたかったが、既に色んなものを手に入れてきた俺にとってそれは傲慢なことなのだろうか。


 いや、決してそんなことはない。

 俺は他人が羨む範疇を超えて、飽きるほどに色んなものを貰ってきた。

 今さら何を怯えることがある。俺は佐藤ハルトだ。

 俺に手に入れられないものはない。幸せな死だって手に入れてやるさ。


 俺は必死に手を伸ばす。ギャルは俺の緩んだ手の中で、必死に抜け出そうと藻掻いている。


 しかし2人ともその努力が実を結ぶことはなく、再び爆発音が鳴り響く。


 俺と彼女の掴んだ手すりは爆発と共に飛行機の本体から切り離され、俺たちは灰色の乱気流に呑み込まれた。

初投稿です。

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