#56 ジャロック近衛騎士団長の陰謀
「しかし、彼奴だけは許せんな」
早朝のヘル城宰相室のベッド上でジャロック近衛騎士団長は呻いた。
彼奴のおかげでこの手で掴んだ8つの金塊が夢と消えてしまった。
どうあっても竜皮の鎧が欲しかった俺が最初に竜鱗を掴んだのだ、それなのにあの若造が。
彼奴の飛行船は戦場を疾駆する俺の騎兵団を時代遅れにしてくれた。
泣き叫ぶ原住民を斬り従える快感を軟弱皇帝は否定した、この恨みを晴らさないでおくものか!
戦場の混乱の中で皇帝を謀殺する、そして俺が皇帝となり武力征服だ。
新編成で3年前からは皇女が騎士の恰好をして赤薔薇隊と名乗り皇帝警護を専管している。たまるか!
神聖な男の戦場を虚仮にしている雌どもを罠にかけて、豚の様に血まみれで泣き叫ぶさまをじっくりと見てやる。
今回のヌールイ湖畔の埋設兵攻めでは赤薔薇隊と皇帝馬車をおとりに使い敵の矢面に立たせて敵を誘き出す。
ほんの少しだけ救援要請を聞こえない振りをして、ほんの少しだけ本隊の出動を遅らせて敵に蹂躙の機会を与えてやればいいのだ。
その後、時間を置き近衛騎士団が突撃して地上を逃げ回る敵兵を槍で突き殺せば、逆臣の汚名を着ずに戦勝の勢いで皇帝の位をもぎ取るのだ。
騎士気取りの雌どもも軟弱皇帝も血にまみれて死ぬがいい。
己の手は汚すまい、ジャロック近衛騎士団長は薄暗い笑いを頬に浮かべた。
◇◆◇
「ここまで腐っていたとは」
アーサー皇帝はヘル城主執務室に座り報告された領政のあまりの腐敗ぶりに茫然としていた。
一言で言い表すと反社会構成員が貴族の皮を被りフェン公国という公的機関を己の欲望のままに壟断していたという事実だけが残っていた。
公国の役人は賄賂で行政を捻じ曲げており、トップの公爵自体が法律無視で麻薬所持・婦女誘拐暴行監禁致死の常習犯であった。
関所の通行税や商人の取引税・農民年貢7公3民などの重税も掛けており、民草への救済の公金投入は記録になかった。
むろん地場産業の育成もなされずに、税は領主家族と上級軍人の生活費と遊興費に消費されていた。
公国内に不公正行政への不満が渦巻いており、発言の自由はなく理由なき投獄で多くの男女が犯罪奴隷として城内地下牢に監禁されていた。
フェン公国は麻薬と暴力のヒャッハ-世界なのか!
領民は恐怖政治で心身を縛られて逃げられなかったのか。
オッタル一族の心の闇の深さが感じられた。
これでは領内に住む住民から早晩暴動が起きても不思議はなかった。
今後の方針が決定した。まず地下牢に囚われていた人々を解放する。
全てのフェン公国時代の武官文官の査問を開始する。
軍人、財務官僚、執事、従女、従者、村役人たち全員の始末調書を作成しよう。
むろん帝国法や慣習法に抵触している犯罪は即断で処断する。
訴えのある商人や住民の被害には適正賠償をする。
賄賂や横領していたものは誰であれ公開処刑をする。
ルイ公国の基礎を、不正の基盤の上には築けないからな。
年貢は4公6民に戻す、開拓民は5年間の無税だ、穀物倉を建てて不作に備える。
後は特産品を活用して地産地消を進めて産業化まで図る。
公設井戸や水車動力の活用、河川工事、道路工事、鉄路敷設も進めよう。
灌漑ダムや農業用水網そして風土に合う新しい農産物を開発する。
◇◆◇
「拾ったものでアベルにあげるにゃ」
とミーナから押し付けられた吊り天井裏にあった古いガラスの壺にはヌールイ湖の風景画が描かれており、中身は水銀に似ている重い比重の液体が2L程入っていた。
水銀かなとアベルが興味を持ち金属鑑定してみると流星由来の未知の液体金属と判明した。絵から伝来ルーツは滅んだ霧の王国と推定される。
光も熱も薬品も弾く未知金属に刺激されたアベルは夜刀姫をモデルに金属変形能力で全身を包むボデイアーマー素材として開発してみた。
鬼神の様に強い夜刀姫でも数千の乱刃の中では万全の備えが必要だ。
液体金属を全裸の夜刀姫の頭頂部から流しながら金属変形魔力を込めて視界確保のゴーグル着用の全身を包むボデイアーマーをイメージして形成した。
完成してみるとドライスーツ型液体金属鎧とでもいうべきものになった。
色は素材の水銀色から変形魔力吸収後は徐々に漆黒に変色してゴーグルをした両眼部分以外全身を生きている様に素早く覆った。
液体金属なのに形状記憶の特性を持った物質で、夜刀姫の体形を記憶したらしく数秒で全身を被覆して外皮化して形状安定する。
アベル相手の組手戦にも手足肘膝の折り曲げに不自由さは見られない。
夜刀姫に使用感を聞くと、運動や外部魔力感知に支障はないそうだ。
鎧素材としての液体金属鎧の各種性能試験では良好な成績を示した。
火・水・風・土・雷属性の魔法攻撃と酸系薬品に対しては変性毀損が見られずに内部温度変化もなかった。
矢・槍・剣・爆薬等の物理攻撃については衝突部位が瞬時に固体化して保護する体内への衝撃伝播は無かった。
全身液体鎧の戦闘装備は、腰に装着した剣帯だけで左右の剣止めと後部に腰バックが付けられる。
戦闘後の装着解除もすべてアベルの魔力で瞬時に元の液体金属に戻る。
液体金属鎧は皮膚呼吸や排便のない夜刀姫以外装着できなかった。
古いガラス壺は水晶製ゴーグルと共にアベルの空間収納庫内に常備して夜刀姫の鎧化に備えている。
夜刀姫の眼以外の皮膚面積を覆う液体金属の必要な量は1Lで足りた。
◇◆◇
「諸卿の騎士としての誇りに問う」
ジャロック近衛騎士団長から配下の千人隊長10人への激文は冒頭で新皇帝の経済優先主義を激しく非難していた。
主文では今回のヌールイ湖畔での戦闘で薔薇騎士団と皇帝馬車を意図的に戦線前面に放置してオッタル軍に討たせてしまおうと述べていた。
5000人の埋設兵の前に100人の女性軍と30輌の皇帝馬車列をおとりとして最前列に放置して敵の攻撃を誘い、皇帝を打たせてから9000騎の騎馬突撃で敵を粉砕しようと述べていた。
回状形式を取っており原文は団長の手元に帰るので身の安全は図っている。
当然、鉄の結束はなくゲンッという10番隊長が激文を書き写し宰相ホレーショに手渡した。
むしろゲンッは宰相配下の密偵であり本来任務を果たしたに過ぎないのだが。
宰相から報告を受けたアーサー皇帝は鷹揚な顔をしてジャロックの朝の挨拶を受けていた。
皇帝直轄軍50000人はいまだゴンラート山脈踏破に時間を取られてヌールイ湖畔戦に1日遅れで間に合わない見込みだ。
埋設兵の背後からの山越えの逆落としの奇襲作戦は少数部隊用だった。
主力軍で峻嶮な山地登踏を実施してみると、このまま時間短縮を目指して強行軍すれば甚大な人馬の被害が予測された。
500m上空の飛行船で監視中のアベルのもとにアーサー皇帝から少人数の飛行船見学の申し入れが魔道具通信であった。
当初、皇帝は空中パノラマでヌールイ湖畔戦を観戦したいのかなと考えたがミーナの話では謀反対策としての緊急避難の疑いが濃いそうだ。
馬車列の中にいる暗部の白猫ミーナの勘はなかなか鋭いものがある。
皇帝側近と宰相配下の動きが慌ただしいそうだ。
「ミーナは手間になるが最初にジェンとジェドを転送してくれないか、仲間で打ち合わせ後に皇帝に回答しよう」
「「「了解です、にゃ」」」
やがてミーナがジェンとジェドを転送してきたので、アベルは
「皆お疲れ! これから皇帝たちを招待するので役割説明しますね、ミーナは皇帝の送迎と、ジェンは船中で空中ブロック貼りお願いです。ジェドは皇帝たちを操縦席区画に近づけない見張りをお願いします」
「皇帝を信じないにゃ」
「信じません、ジェンは操縦席と客席の間に板状のブロックを貼れませんか?」
「はい、操縦席と客席間に板状の空間ブロックを今貼りました」
「有り難う、夜刀姫はオッタルを視認したらミーナが運ぶので首斬りお願いです」
「了解です」
それからアベルは魔道具通信でアーサー皇帝の飛行船見学を4人まで受け入れる旨の回答を送り、ミーナを地上に迎えに出した。
それからガラスの壺を収納庫から出して夜刀姫に合図した。
夜刀姫は素早くメイド服を脱ぎ腰バックに入れてゴーグルを掛けた。
アベルは金属変形の魔力と共に液体金属を夜刀姫の頭頂部に注ぎ始めると素早く全身がゴーグル付ドライスーツ型液体金属鎧状態になった。
夜刀姫は腰バックから剣帯と菊一文字の太刀脇差を取り出して装着した。
ミーナが地上に移転すると、皇帝馬車の傍に赤い軍服と黒のズボンに黒コート姿のアーサー皇帝と宰相ホレーショがおり後ろに手荷物を持った騎士と侍女の2人が控えていた。
静かに近づいた従女の姿のミーナが皇帝にお辞儀して。
「アーサー皇帝陛下、お迎えに参りましたにゃ」
「ご苦労である、この4人を運んで貰いたい」
「はい、ではお運びいたします」
ミーナは半径25m以内の任意の物体を目視できる場所か鮮明に記憶している場所に空中移転させることが出来る。
アーサー皇帝と宰相ホレーショが一瞬で周囲の景色が切り替わり驚きの声を上げた。
「「おお、これはすごい景色だ」」
飛行船の周囲は蒼い空が広がり近くにゴンラート山脈の山並みが連なり、眼下には光に煌めくヌールイ湖と街道と森林がカルマ市まで続いている。
人影は豆粒ほどに見える、今から戦場と化す場所とは信じられない美しい風景であった。
護衛の騎士は夜刀姫の漆黒鎧の異様さに少々警戒した様だった。
「もう少し高度を下げましょう」
アベルが操縦者Aに飛行船を300mに下降するように指示した。
「おお、これなら敵味方の区別が付きますな」
上空から見ていると赤薔薇隊と皇帝馬車列は進み、なぜか近衛騎士団の騎馬隊列は動く気配がなかった。
時間の経過と共に2つの集団の距離は開いて行くばかりだった。
すると湖畔沿いの森林の中で黒い人影が湧きだしていた。
高度300mからは大パノラマで俯瞰して敵味方の動きが把握できた。
続々と密林の中から武装兵が沸き上がり隊列を組んでいくのが見える。
湖畔沿いの街道はゆるくカーブしており森林側に徐々に近づいて行く。
街道は湖畔の平地に展開してあり、森林は丘の上に繁っている。
上から下への矢攻めの理想的地形になっていた。
赤薔薇隊の赤色の鎧と皇帝馬車列の金色の飾りが最適の目標に見える。
アベルは思わず魔道具通信で叫んだ。
「埋設兵が今から攻撃を開始するぞ、防御隊形をとれ」
誰も応答する者もなく、やがて森林の中から矢が放たれたのが上空からでも判る赤薔薇隊の動きに乱れが出た。
次々と馬から転げ落ちる赤鎧の騎士たちが半数近くに達した。
それでも後方の近衛騎士団に援護の動きは見られなかった。
アベルは皇帝を見ても表情は変えていなかった。
これは近衛騎士団の謀反の証拠を確保するために赤薔薇隊を犠牲にしているのではないかと疑惑が浮かんだ。
「アベル様今森の中にオッタル翁が視認できましたので移転したいのですが」
「そうか、ミーナは夜刀姫の指示する位置に共に移転したらすぐに戻ってくれ」
「「了解です、にゃ」」
漆黒のドライスーツ型液体金属鎧と白猫の姿は随分森の奥に突然現れて、すぐに白猫の姿は消えた。
攻撃中のオッタル軍は誰も異形な刺客の出現に気が付いてなかった。
◇◆◇
“ウッ”
空が暗くなるほどの矢雨が降り注ぎ、アン兵長が肩に矢が突き刺さり愛馬から転がり落ちた。
“アン~~”
クレア皇女に率いられた帝国赤薔薇騎士隊は生存者53人まで追い詰められていた。
突然の埋設兵の矢攻撃で47人の乙女たちの屍が湖畔街道上に朱に染まって倒れていた。
「埋設兵が今から攻撃を開始するぞ、防御隊形をとれ」
アベルの魔道具での呼び掛けを傍受していたジャロック近衛騎士団長はクレア赤薔薇隊長に奇襲の連絡をしなかった。
生存者53人はいずれも手傷を負い、次の攻撃で全滅が予想出来た。
アベルは皇帝を見たが沈思黙考していた。
妹のクレア皇女が眼の前で死のうが逆臣を討てればいいのか。
侍女が抱えてきた紅茶ポットからティーカップに芳香のする紅茶を入れさせて戦場を見ながらお茶を飲む皇帝を見て孤独な権力者の姿を見た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
PV17,581アクセスに達しました、嬉しいです、本物語を読んで頂き深く感謝いたします!