003
例えば、朝起きたら十歳くらいの少女になっていたとしよう。
では、その事実を受け入れられる人間が何人いるだろうか?
これに対する回答は「誰もいない」だ。
もちろん、僕もその「誰も」の中に入っていたりする。
そもそも、朝起きたら少女になっていることすら、ありえないことなんだ。
ライトノベルなどでよくある展開ではあるが、どうやら現実のものとなってしまったようだ……。
というか、原理はどうなっているんだ?
「それで、『蛍』でいいんだよね?」
一階リビングにて。
僕の対面に座る母さんにそう言われ、うなずく。
「そうだよ、母さん。蛍だよ」
僕は微笑みを浮かべ、答える。うなずきながら答える。
「大丈夫なのか?」
これは僕の右斜め前に座っていた父さんからの質問だ。
「? うん、大丈夫だ、と思う……」
自分の体の調子なんて、そこまで詳細にわかるものではない。
「こんなふうに見た目はすごく変わったように見えるけど、いきなり女の子になったってのが不思議なくらい身体は万全の状態なんだよ」
僕は手を開いたり閉じたりしてそう答える。
「…………まあ、その、身体が大丈夫なことに越したことはないからな、その情報はその情報で嬉しいことだ。でも、父さんが訊きたいのはもう一つのほうなんだが……?」
はて?
もう一つ?
「ごめん、父さん。よくわからない。もうちょっと詳しく質問してくれ」
言葉が足りない。
これは昔からの父さんの悪い癖であった。
そのせいで何度、父さんと僕たち家族とで、すれ違いが起こったか。
あまりの回数に苦笑いが出てしまいそうになる。
「つまりだな。仕事は『大丈夫なのか?』ってことだ。入社して間もないだろ?」
…………あっ。
「あっ!」
今気づいた。
ちらりと時計を見るが、結局は肩を落とす動作を追加してしまっただけのことだった。
もはや、遅れているというレベルの問題ではない。
「仕事、大丈夫?」
隣に座る憩が不安げな視線を向けてくる。
今や、十歳ほどとなった僕と同じ年齢である憩に心配されることに、中身が二十歳の社会人として少々心苦しいものがないではなかったが、この状況で不安な顔を見せるなど、『お兄ちゃん』として恥さらしにもほどがある。
僕は憩を安心させるために笑顔を作り……いや、心からの笑顔を浮かべる。
憩を目の前にして頬を緩ませない人間がいるとは思えない。
だから、僕の作った笑顔は自然で、心からで、屈託のないものなのだ。
つまり、安心させられるということだ。
「もちろん、大丈夫」
……なわけがない。