「天罰って……」
生きること、そんな当たり前のことを考える機会というのは、一体いつだろう。何気にこうして生活しているだけでも奇跡と思えてしまう程、命というものは輝いているだろうか。
これは偏見だが、なんだか年寄り臭いと思ってしまう。
僕がこんな話を他の人にしたら、どんな反応をするだろう。僕が聞く立場なら笑えない。笑うにしても、引きつった作り笑いにしかならないだろう。
「何か考え事か?」
「まぁ、ね」
昼休み、僕は浩介と昼食をとっていた。僕は購買のホットドッグ、浩介は同じく購買のハムカツサンドを頬張る。僕の席は縦横共に真ん中、教室内では中央の席だ。しかし、浩介の席は前から二番目の窓際だ。僕はその前の席を借りて、向かい合わせに座っている。
教室内は放課後とは違い、やたら騒がしい。それは単なる喧騒のみならず、主に動き回る男子生徒によって、賑やかな空間を作り上げていた。”視覚的にうるさい”と言ってピンと来る人は僕の他にもいると信じたい。今はそんな状況なのだ。バスケットボールを指の先で回転させていたり、野球の真似事をしていたり、ただ単に追いかけ合って走り回る生徒もいる。
そんな中、浩介は僕の態度を確実に読み取っていた。
「どうせ噂のことだろ? そんなに気にするなって。たまたまそれっぽいことが続いただけなんだよ」
「確かにそうかもだけど……」
「去年にあんだけ調べた噂を、今は自分が当事者になったからって調べ始めるのも尚早だと思うぜ?」
僕は奏の心配そうな顔を思い出す。いつも明るくまっすぐな奏は、そのまっすぐさ故に弱りやすく、その姿は何ともいたたまれなくなってしまう。その様を見なければ、「再び調査しよう」なんて事は言い出さなかっただろう。奏を満足させるための、ちょっとした自分への嘘みたいなものだ。余計なお世話と言ってもいい。
その次に、今朝見た夢のことを思い出した。リアリスは僕を見て楽しんでいる。僕にむざむざと噂の恐怖を擦り付けた。生きる事と死ぬ事、その境目にいるかもしれない僕を笑う。よく考えたら夢の中でのことなので馬鹿らしくもある。
奏とリアリス、二人の共通点は、噂というフィルターを通してから僕を見ている事だ。ただし、その方向性は全く逆で、天使と悪魔と言っても差し支えないだろう。人が違えば立場も違う。いや、そもそも比べることが間違っている。
「そこで一つ提案があるんだ」
浩介は、食べ終わったハムカツサンドのビニールをクシャクシャと丸めながら言った。
僕はホットドッグの最後の一口を食べようとした手を止めて聞き返した。
「どんな?」
「一週間、いや一ヶ月とかでも良いけど、ある一定期間様子を見て、もし何もなかったら噂の調査は切り上げ、ってのはどう?」
「やっぱ浩介は調査は嫌なの?」
「まぁ、聞けって。この街の噂は『目の前で自殺する瞬間をたった一人で見た時、その人は死ぬ』だけど、いつ死ぬとか、いつまでに死ぬ、みたいなことないだろ? それって、噂にしては不完全過ぎると思んだよなぁ」
確かに、子供の頃に読んだ本の中には、「◯◯を見た人は、◯時間以内に死ぬ」や「◯◯で◯◯をした人は、◯日後に死ぬ」というのがお約束だ。しかし、この噂はその期限がない。人はいずれ死ぬものであるからして、期限無しで死ぬというのは馬鹿げている。
これは当事者となった今だからこそ考えられる点だ。そして今、僕も盲点だったことに気付く。
「でも、元々期限があって、伝わる過程で抜け落ちただけだとしたら? 打ち切った後に期限があったとすれば、僕は間違いなく死ぬことになるけど」
やんわり浩介の提案を批判しているように見えて、僕の中ではもう心は決まっている。
期間なんて関係ない。そんなもの、元々存在しないから無いのだ。いや、例えこの噂に期限があったとしても、今の僕は信じないだろう。
「いや、ただの思いつき提案だって。それに、俺はお前に協力するつもりだから、あんまり本気にするなって……」
浩介は宥めるように両手を振った。はたから見れば、なんだか僕が機嫌を損ねたみたいになっているので不本意だったが、浩介の「協力する」の言葉に免じてスルーすることにした。
会話がひと段落して、残りのホットドックを食べきってしまおうと口に運びかけた次の瞬間、走り回っていた生徒が前を見ていなかったのか、左から思いっきりぶつかってきた。
右側へ倒れそうになったその視界が急に外にずれた。重心が更に右側に傾き、体全体が窓枠を越えようとしていた。
──落ちる!
高校二年の教室は三階。もしかしたら、死ぬことはないかもしれない。しかし、頭から落ちてしまえば、あの黒崎真珠のように死んでしまうだろうか。死ななくとも、なんらかの障害を持つかもしれない。
痛みを覚悟して目を強く瞑る。
「夏以っ!」
叫ぶような声の直後、教室を切り裂くような悲鳴が響き渡った。
僕はゆっくりと目を開けると、世界が逆さまになっていた。空が下、校庭が上。そして、空中で止まっていることに気がつく。
足が固定され、落下する力に逆らう。更に足元を見ると、僕の足を鬼の形相でつかんでいる浩介の姿があった。更に、その後ろで誰かが支えているのか、何かを叫んでいる男子生徒の声も聞こえる。
「夏以! しっかりしろ!」
浩介が僕の足をつかんだのだと悟る。
その後すぐに、クラスの誰かが読んできたらしい先生方が僕を引き上げた。僕は頭に血が登り、それが急に全身に流れた為か、めまいがしてフラついた。
そして僕は名前の知らない男の先生に担がれ、保健室で少し休むこととなった。
「大丈夫か?」
「まぁ、なんとか……」
付き添いとして浩介がきた。正直、一人では心細かったから、浩介が居てくれるのが心強かった。僕を担いだ先生は、保健室の先生と何やら話をしている。恐らく事情の説明などだろう。保健室は初めて利用するが、会話を注意して聞くに、保健室の先生は女性という事が分かった。
「走り回ってた奴ら、今頃天罰が下ってるぜ」
「天罰って……」
なんだかその言葉が浩介から出てくるのが意外に思えて、浩介には似合わないセリフのような気がした。
要するに先生によるお叱りの事なのだろうが、浩介はこういう言い回しもするのだなと、新たな一面が垣間見えた。
「こうなったら、本格的に噂を信じるしかないか……」
「やっぱ、調べんの嫌なんじゃん」
僕は別に責めるつもりは全くなかった。それを浩介はそれを察せなかったのか、小さく「ごめん」と言った。
そして、先ほどまでの提案の説得力はあっさりと、危険を伴って解決した。しかし、これは僕が再び危険に巻き込まれるかもしれないという危惧でもあった。
「どう? 具合の方は」
担いでくれた先生と話を終えた保健室の先生が、こちらに歩み寄ってきて尋ねた。白衣のポケットに手を突っ込んでいる姿は、ドラマで見る医者を思わせた。
「はい、大丈夫です」
「そう。でも、とりあえず次の授業までは休んでなさいね。その後でまた様子を見ましょう」
「はい……」
「ほら、あなたは教室に戻りなさい」
保健室の先生は、浩介に手を払うようなジェスチャーをした。時計などは確認できないが、もう昼休みの時間は僅かだろう。
「はーい。それじゃ、またな!」
浩介は笑顔で手を挙げて保健室を後にした。