「つまんないなぁー」
「へぇ〜、去年調べた事をまた調べるんだぁ〜」
その声、赤い教室、そして赤い瞳。彼女は僕の突っ伏していた机の正面にしゃがみ込み、僕の顔を覗き込んでいた。僕は再び夢を見ているのだと悟る。
それにしても、この夕焼けは赤すぎるのでは無いか? と思ったが、すぐに気にしても意味がないことに気がつく。
彼女は笑顔のまま僕に聞いてくる。
「調べるのは良いけど、結果にたどり着ける? 噂の真偽はわからないのに?」
「噂なんてもの、無いなら無いで良い。ただ、あった場合の備えみたいなものだよ」
「でも、実際に君は命の危険にさらされたんだよ?」
「そうかもしれない、でも、偶然の産物だと思ってる」
これは僕の記憶が作り出した夢。彼女が僕の考えを理解していたとしても不思議は無い。よって、隠す必要はどこにも無い。
僕は正直、現実と噂が上手く噛み合っていない事もあって、まだ去年の状態に近い。再び噂を調査しようと思ったのは、奏の心配そうな顔を見てしまった事が大きい。しかし、興味が無いと言ったら嘘になるだろう。自分の命が関わるとなれば、いやでも目を向ける。
だからきっと、僕自身が死ぬことや生きることのイメージが湧いていないのだ。
「これからどう振る舞うの?」
「振る舞う?」
「君は今、とても中途半端なんだよ。わからない?」
中途半端、といえばそうなのかもしれ無いが、その事に関して身の振り方とは……。
彼女はおもむろに立ち上がった。僕は彼女を見上げる形となる。
「奏は本気で君を心配しているから、噂も真剣に向き合う。浩介もあまり乗り気で無いように見えるけど、欠かさず部室に来る。果歩はオカルト好きが噛み合って真面目さも見えたでしょ? 雷夫はもともと真面目だから、徹底的に噂を調べるに決まってる」
オカルト研究部一人一人にそれぞれの特徴を述べていく姿を見ていると、確かに個々人のスタンスのようなものが見て取れる。しかし、それは個性でもあるのではないかとも思う。別に特別噂に固執している様には見えない。第一、部活動の一貫じゃないか。
そして、彼女は僕のおでこに当たるか当たらないかの距離で指を指す。
「君は部長という役職のおごりで部室にいるだけなんじゃ無いの?」
なるほど、僕だけが「部活動の一貫」として噂を軽視していると言いたいのか。
そんな事言われても仕方ないじゃ無いか。噂なんていう不確実はものに生死を左右されるなんて、普通は信じられないし、ありえない。みんなにとっては噂を面白がって調べているだけで、僕の生死は関係ない。
それを僕は短い言葉にまとめた。
「別に気にならない」
彼女は長く大きなため息をついた。やれやれと手を振ると、僕の前の机の椅子を引き、背もたれを前にして座った。その座り方を見るとやけにガサツそうな印象を受ける。
「つまんないなぁー」
「僕に言われても困るよ」
口をとがらせて頬杖をつく彼女は、きっと僕を弄んでいるのだろう。大体にして君は弄んで何がしたいんだ。ここから現実の僕を見て、テレビの前の視聴者のように、僕を見て楽しんでいるだなんて悪趣味なんだ。今の彼女からは悪意に近いものしか感じられない。
「まぁ、確かに君の言う通り、噂なんてないのかもしれないけど」
そのいじける様な表情は僕に「やっぱりな」と、思わせた。
しかし、その発言には些か違和感を覚えた。今までの彼女の発言は黒崎真珠のものとして考えていたからだ。それ故に、らしくないと思った。特に、彼女自身がが噂に疑問を持つ事は僕の中では黒崎真珠として破綻している。
いや、黒崎真珠は噂の実在を確信していたというところが間違いなのか? 確信はなくとも、そういう噂が存在すると信じるだけでも、最後に「ごめんなさい」と言っても不思議はない。
どちらにせよ、僕は彼女の正体がわからないことに気付く。
「君は、黒崎真珠ではないのか?」
「さぁ、どうかな?」
「噂の真偽について知っているんじゃないのか?」
「真偽かどうかはともかく、噂そのものは現実に言われていることでしょ?」
彼女はフッと吹き出すと、再び不気味に微笑んだ。
その笑みはやはり、狂気を感じられずにはいられない。小悪魔的とも違う、人を見下すのとも違う、その微笑みは、人形で遊ぶ女の子そのものに見えるが、明らかに何かを企んでいる。
「わかってる? 噂が本当なら、もう始まっているんだよ?」
突然背筋が凍ったように冷たくなる。
そう。噂があるとすれば、僕は死んでしまうかもしれないのだ。去年の経験から、心の奥深くのところで噂は信じられないものになっていた。しかし、今は当事者なのだ。外野から噂の正体を暴こうとするのとは訳が違う。
どうしてこんな重大なことに気がつかなかったんだ!
「やっと、それっぽい顔になってきたね」
「興味出て来た?」と、嬉しそうに弾む声で聞いてきた。更に口角が上がって目を細める彼女の姿は、もはや魔女の様にも見える。
確かに、こんな表情も見せられれば、あの屋上で会った黒崎真珠とは別人というには十分だ。
彼女を喜ばせるだけだとわかっていているが、僕は彼女の笑顔を睨み返さずにはいられなかった。
「私を責める様な目をされても困るよ? 私には何もできないんだから。分かってるでしょう?」
「黒崎真珠が飛び降りたりしなければ、こんな事にはならなかった……」
「さっきと随分態度が違うね。やっと本気にしてくれたんだ」
彼女はあくまでも挑発的な態度を続ける。そして、僕もこれは八つ当たりだという事に気づく。
感情的になっては彼女のもうツボだ。冷静になれ。
一つ深呼吸をして、高ぶる感情を鎮める。
「君は一体何をしたいんだ?」
「私はただ、君がどうするのかを見ていたいだけだよ」
笑顔のままの返答は、やはり狂気を覚える。
そしてその言葉からは、彼女が傍観者として現実の僕を面白がっている事、この先どうなっていくのかを、まるで映画を見る様に小説の次のページをめくる様に楽しんでいる事という意味が読み取れる。
「あと、出来れば私の質問にも答えてほしいかな」
彼女が僕にした質問、最初の夢の「どうして、助けてくれなかったの?」と、次の日に見た夢の「どうして、助けなかったの?」だろう。僕はその質問に答える事が出来ていない。
大体、こういう質問をするという事は、黒崎真珠の様な気もする。
「黒崎真珠でないのなら、君は何なんだ?」
彼女は「うーん」と上を向いて人差し指を顎において、考え込む仕草を見せた。次に腕を組み、眉間に皺を寄せる。そして、仕方ないという、妥協に満ちた表情になり、「それじゃあ……」と言いながら彼女は立ち上がる。
その歩は教団の方に進んでいた。
「君の夢に出てくる私は単なる妄想の産物。それに名前を尋ねる君は、やっぱり面白いね。だから……」
彼女はチョークを手に取り、黒板に文字を書き始めた。コツコツと黒板をノックするような音と、スーッと線を引っ張る音が聞こえてくる。彼女の影で文字の全体は見えないが、どうやらアルファベットらしい。
黒板に文字を書き終えると、くるりとこちらを振り向いて、「あ、正面に立つと見えないね」と言って、右端にちょこちょことよけた。
黒板には「Realis」と書かれていた。
「り、あ、り、す?」
「うん。リアリス。私のことはリアリスって呼んで」
「リアリス……」
彼女の名前を呼ぶと、突然視界がぼやけ、焦点が合わなくなる。
目覚めた朝、仰向けで見る天井に彼女の名前をもう一度つぶやいて体を起こした。
ある訳ない、その自信が揺らぐのを体全身が憶えていた