「本題?」
「また会ったね」
夕焼けに染まる教室、僕は自分の机の上に腕を組んで突っ伏していた。
教室の座席配置は黒板側から見て横に5列、縦に7列という配置になっている。その中央である両横から3列目、前後から4つ目のところが僕の席だ。
その声に導かれ、重たい頭を上げると前の机に腰を下ろしている女子生徒と目があった。
夕焼けのせいか、その瞳は燃えるように赤かった。
「びっくりした?」
口角を上げてニッコリと微笑む。
彼女は僕の前で飛び降りて自ら命を絶ったその人で、昨日の夢に出て来たその人であった。そして今日も僕の夢に現れたというのか……。
「どうして、僕の夢に?」
彼女は、顎に人差し指を置いて「うーん……」と首をかしげる。
「君は今、『僕の夢』って言ったけど、そもそもここは君の夢ではないんだよ。まぁ、君が見ている夢ではあるんだけどね」
「それってどういう……」
彼女の言っている意味が理解できずに聞き返すと、彼女がクスッと笑ったような気がした。
「夢は確かにその人、一個人で見るものだけど、その人のものとは言えないんだよ。だって、夢の内容までは自由に操れないでしょ?」
確かに、夢というものは自分の望んだり理想的なストーリー通りには進まない。もしも夢の中で自分の理想や信念が叶えられる物語を作れるのならば、誰しもが永遠に眠り続けたいと思うだろう。
夢の中でその人の理想全てが叶えられるというのは、今のところ科学的根拠はないと思う。少なくとも実体験ではそうだ。
彼女は話を続ける。
「もっと言えばさ、今の君みたいに、夢の中で『これが夢だ!』って気づいても、思い通りになっていないでしょ?」
僕は納得した様に頷く。まぁ、自分の理想などを深く考えたことはなかったが……。もちろん、人並みには贅沢な願望を持っているが、例え夢の中であってもそれを叶えようとは思わない。
彼女は机から立ち上がり背中を向けて教団へ向かう。ふと気付いたが、口調や態度が屋上で出会った彼女とはどこか違っている様でもあった。それは、やけに赤い光の中を歩く彼女がやたら感慨深く感じてしまっただけかもしれなかった。
教団の前で再びこちらを振り向く。端から見れば先生と生徒の構図になっているな、と思った。こちらからは目の前で話していた時よりも一層濃い赤い色が彼女を照らし出す。
「夢は脳内の記憶と結びついている。つまり、ここは君の脳が作り出したら空間というわけ」
僕の記憶が作り出した空間。眠っている僕の脳が無意識にこの場面を見せていると言う事なのか。
それにしても、彼女の口調が違ったり、瞳の色が違ったりするのは、記憶という歪んだものが作り出しているからだろうか。
「そして、夢は記憶を元に作られた身勝手なストーリーなの。わかりやすく言えば、夢という内容の絵本が現在進行形で書き続けられているということかな。そしてその主人公が、今の君ということなのっ!」
僕を指差すとキメ顔でそう言った。どうやら渾身の例えだったらしい。
「それじゃあ、昨日の夢は……?」
「あー、あれは今の君と違って、夢だって気づいてないじゃない。だから、そういう筋書きの夢だったんだよ」
曖昧な答えでスッキリはしないが、なんとなく理解はできてきた。夢の中というのは、何でもありなのだ。
それにしても腑に落ちないのは、どうしてこうも彼女が自由な存在としてここにいるのか、という点だ。これは僕だけが見ている夢だとして、誰のものでもないこの夢にここまで自由な存在がいるのか……。
「君も、そうなの?」
「うん。そうだよ。私も君の夢が紡ぎだしたストーリーの一部」
「じゃあ、なんで僕に色々と説明できるの? これが僕の記憶であるならば、僕以上に物事を知っている人はいないはずだ」
その質問を聞いた瞬間、彼女はつまらなさそうに口を尖らせた。
「でも、それは現実世界においての話でしょ。現象が予想できる現実と違って、何でもありの夢の中は何が起きても不思議じゃない。だから、夢の中で現実の理論を当てはめて考えるのはやめたほうが良いよ。で、質問に対する答えとしては、その質問を私にされても答えられない、かな」
それを言われてしまうと、僕はどうしたら良いのかわからない。なぜ夢の中で彼女が出てきたのか、その意味もつかめないままだ。
今の自分と状況、環境は理解できても、「夢の中では現実と違ってなんでもあり」という捉え方に慣れない。この夢の中で意味を見出そうとする方がナンセンス、ということでもあるだろう。
「僕はどうしたら良い?」
「よし、それを知りたいなら本題に行こう!」
「本題?」
彼女は両肘を教卓に乗せて顔を支えてからニッコリして「そうだよ」と言った。
その微笑みは、可愛げがないこともないが、何の微笑みなのか僕にはわからない。おちょくっている様にも思えし、ただ素直に嬉しくて微笑んでいる様にも見える。
しかし、次の言葉はその笑顔とは不似合いなものだった。
「今日の事故、看板が落ちてきて、君の目の前にいる男性が死んだよね?」
これは僕の記憶が紡ぎだしている夢だ。当然の彼女だって知っているのだろう。その話題が本題というのも、何だか変な気もするが……。
「どうして助けなかったの?」
昨日も同じ様な言葉を彼女から聞いた。
その言葉は僕の胸を穿ち、それに反射して立ち上がろうした。しかし、足が動かない。「夢の中で『夢だ』と気がついても、思い通りにならない」彼女の言葉を脳内で反復し、その言葉を身をもって知る。
「君が手を伸ばせばあの男性を看板の落下地点から回避させることができた。『危ない!』と言って警告することもできた。それでもしなかったのはどうして?」
僕は答えに困ってしまう。
確かに、手の届く距離だった。スマホを握る手を無理やり引いてやれば、看板の下敷きにならずに済んだのかもしれない。そんな可能性を示されてしまうのは、僕にとって不都合極まりない。
「それが、本題……」
「そう。私が聞いてみたいって思ったことだよ」
「聞いてみたいって、僕が殺したみたいな言い方……」
「でも無視した」
そういう言い方をされると、胸が抉られる様な感覚になる。彼女は僕を追い詰めて楽しんでいるのだろうか。未だに崩れない笑顔が狂気の沙汰に見える。
僕が見殺しにしたとして、彼女は僕を断罪するのか。夢の中で? どうやって?
「そんな怖い顔で睨まないでよ。別に理由はなんだって良いんだから」
そう言うと、両肘を戻して、人差し指を縦に振りながら教団の右側に移動する。僕はその動きを目で追いかける。
「例えば、あの男性は君の嫌いな人種だったので、助ける義理は無いと思ったから」
今度は右側から左側に移動する。
「例えば、助けた時、自分も怪我をすると思ったから」
最後に、再び正面に立つ。
「例えば、助けたとして、見返りが期待できないと思ったから」
「どう? 考えた?」と子供が遊園地などで親を急かす様に聞いてくる。その赤い瞳でまっすぐ見られるのは、何だか心地悪かった。先ほどよりも黒板の赤色の壁に映し出される彼女の影が先ほどよりも大きくなっているような気がした。
「少なくとも、その三つでは無い……と思う」
果たして、人助けというものは、そんな利害関係で成り立っているものだろうか。少なくとも、僕が感じる優しさや親切というものは、その場その場の感情の動きだ。そこに損得勘定の考えは働かない。たまたまあの男性が僕の感情の対象となり得なかっただけで……。
適切な言葉がみつからない。それを見かねたのか、彼女は両手を横に広げて見せた。まるで、悪魔が自分の羽を大きく広げる様に。
「なぁーんでも良いの! 君が納得できる、君自身の答えを私は待ってる!」
「待ってる?」
「うん、今じゃなくていい。それに、もう今日は時間切れみたいだし」
そう言うと、僕の意識が急速に閉じられていく。そして、いつもの耳障りな音が大きくなる。
──そしてまた、朝を迎えた。