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「じゃあ、まずは君についてから」

「会いたかった」


 彼女は一瞬、赤い瞳を見開いて驚いたような表情を見せたが、再び笑顔に戻る。


「そういう言い方されると、どこかの誰かに勘違いされるよ?」

「そうかな?」

「そうだよ」


 赤い教室も慣れたものだ。こんな赤いのに、最初は夢の中だとは気がつかなかった。それはきっと、夢として見ようとしていなかったからだろう。

 リアリスと名乗る少女は今日も僕の一つ前の席で、背もたれをまたぐようにして座る。両腕を背もたれの上の部分でに腕を組むようにして、そこに顎を乗せる。


「私に会いたかったって、随分珍しいことを言ってくれるね?」

「勘違いしないでよ。そんなに深い意味はないから」


 僕がここに来たかった理由は、運が絡んでいるからだ。彼女のいるこの空間に来る確実な方法はない。だから、出来れば来られれば良いな程度に思っていた。そして、僕の理想的な方向に転がったのだ。

 それ故に冗談だって言いたくもなる。「会いたかった」という台詞に深い意味などない。


「それで、私に会いたかったのはなんで?」

「答え合わせをしようと思ってね」

「答え合わせ?」


 今度は怪訝そうな表情になる。正直に言うならば、正しい反応だと思う。感覚としては、「答え」という言い方は正しくない。

 彼女は怪訝そうに、頰杖をついて尋ねた。


「ふーん、とりあえず話してみて?」

「じゃあ、まずは君についてから」


 僕は一呼吸を置いた。別に重大な発表をする訳ではないし、強い確信もある。それでも、これから犯人を暴こうとする探偵の様に、雰囲気に期待を持たせた。


「君は黒崎真珠、なんだろ?」


 言い放った瞬間、この空間の空気が凍りついた気がした。恐らく、僕が黒崎真珠と指摘した彼女も感じているだろう。

 表情からは笑みが消え、眉が少し持ち上がる。僕にはそれが驚いた様な表情に見えたが、多分違う。彼女は再び笑顔を作り直し、前のめりになる。


「どうしてわかったの?」

「君に確証を得るには、幾つかのポイントがあった。それは黒崎真珠の人格とよく似ているものだった。容姿を含めてね」


 僕は立ち上がって、黒板の方に向かう。やはり、僕の思った通りで、今は僕も動くことができる様だ。

 彼女も、黒板が正面になる様に座り直す。


「まずは君が名乗った時の名前、リアリス。アルファベットでは、Realisだ」


 僕はチョークで黒板にあの時の彼女の様に、アルファベットを書いていく。


「これだけでも君の名前が持つ意味は十分なものになる。それなのに、君は惜しいと言った。なぜか? それは、君が自覚していることが本来そうではなかったからだ」


 僕は再び黒板に向かってチョークを走らせる。書いたのはSarielという文字だ。


「アナグラム、つまり並び替えるとこうなる。読み方はサリエル。これは、キリスト教徒の間では、堕天使と言われているそうだね」


 黒崎真珠はキリスト教に感銘を受けていた。そこで、黒崎真珠とバレない様にサリエルを名乗り、リアリスで更にミスリードを誘ったのだ。

 しかし、彼女は堕天使を名乗りたくて名乗っていた訳ではないだろう。


「サリエルは死を司る天使として、時に死神と解釈されるそうだね。君はそれを何かのメッセージとして言いたかったんじゃないのか? 黒崎真珠はキリスト教に憧れを抱いている様だったからね。最も、僕はキリスト教の事をほとんど何も知らないのだけれどね……」

「それで、他には?」


 まるで誕生日プレゼントの個数を数えるのを急かす様な態度だ。自分の事を知ってもらえて嬉しいのだろうか。それとも、ただ単に僕の予想を楽しんで聞いているだけなのか。

 僕は教卓の上に肘を立てて指を絡めながら話を続ける。


「君は黒崎真珠しか知り得ない事を知っていた。それは、自殺をする事によって何かを確認するという情報だ。君がそれを知る事には幾つかの疑問がある。夢の中での存在である君が、どうやって黒崎真珠から聞き出したのか? 仮に君が現実の存在でもある場合、どうして自殺を止められなかったのか? 第一、死んだ後でどのように確認するのか? それは、君自身が黒崎真珠であれば全て解決する」

「なるほど。つい、自分が出ちゃってたんだね……」

「だから、僕には噂の興味をそそらせ、調べさせた。その様子をこの場所から見ていた。いや、これだけだとまだ惜しいかな? 一応、見守ることの意味、確認しておきたかったことが介在していた、とも言っておこうか」

「正解、負けたよ」


 彼女は肩を上げてやれやれ、といったポーズをとった。


「ま、そもそも僕が『君は黒崎真珠じゃないのか?』と聞いたとき、否定しなかったからね」

「そこからかぁー!」


 今度は天を仰いで額に手のひらを当てて、残念がるようなポーズに変わった。

 どうして彼女が僕の夢の中に出て、現実とリンクしていたのか。それは至ってシンプルで、単なる“偶然”だった。

 この現象に名前が無いなら、雷夫の言う様に予知夢と呼んでも良いだろう。

 もしくは、深層心理の中の事柄として、サブリミナル効果とも関係があるのかもしれない。

 第一、目の前にいるのが本物の黒崎真珠かどうかもわからない。もし、本物の本人だとすれば、本当にとんでもない確率だ。いや、確率の概念を覆している。

 いずれにせよ、この夢の中は実際に僕が見ているもので、現実世界とリンクしている。それが事実だ。


「なぁ、真珠」


 もう、彼女はリアリスでは無い。僕が暴いた様にサリエルでもない。僕はいつもそうする様に、飾りっけのない下の名前で彼女を呼んだ。

 彼女はこちらに「んっ?」と聞き返してこちらをまっすぐ見る。


「君の話を聞かせてくれないか? どうして、サリエルなんて名乗ろうと思ったのか」

「わかった、良いよ」


 リアリスは立ち上がり、上を指差した。僕はその意味をしかと理解する。

 教室を出て階段へ向かい、ゆっくりと屋上を目指す。少し先に真珠が歩き、僕がそれに続く。

 一つ目の階段の踊り場に足を踏み入れた時、真珠が口を開いた。


「私はサリエルが好きだった」

「サリエルは、どんな堕天使だったの?」

「ううん、正確には天使だよ。堕天使だと思われたのは、月を支配していたから」

「月を?」

「昔の人は月を生命の拠り所と考えていたんだよ。命が生まれる時、月から魂が宿り、命が失われる時、魂は月へ帰る」

「それを支配することで、どうして堕天使に?」

「この月の秘密を人間に伝えてしまったから。神からは反逆者と呼ばれた。それで、自ら堕天使になったんだよ」


 宗教的な話といえばそうだが、何とも不思議な話だ。わざわざ、神に背いて人に月の秘密を教えようとしたなんて。神への忠誠心の方が遥かに高く、徳の高いという感覚があるのに……。


「私はね、サリエルは命が好きだったんじゃないかって思うんだ」


 僕にもその解釈はわかったが、違和感があった。

 要するに、命の根源たる月の正体。命はどこから来て、どこへ行くのか。それを知らずに過ごす人間を見て、サリエルは虚しい気持ちになったのだろう。そこで、掟を破って命について人間に語ってやった。それは、命の美しさや尊さを見い出した者にしか出来ない。

 恐らく、真珠はこういうことを言いたのだろう。


「好きとは少し違うんじゃないか?」

「じゃあ、愛?」

「その方がしっくりくるね」


 そう、サリエルは命を愛していたんだと思う。愛故に、自らを堕天使にしてまでも、命の秘密を伝えたかったのだろう。

 僕が同じ立場なら、どう考えただろうか。少し前の僕なら同じことを考えられただろうが、流石に今は違ったことを考えて、秘匿するだろう。

 少し見上げて真珠の後ろ姿を見る。彼女がキリスト教に憧れていたのは、サリエルの影響の様な気がした。


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