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「ごめんなさい……」

 今回ほどリアリスに会いたくないと思ったことはなかった。

 赤い教室だ。また僕は自分の席について頭を突っ伏しているが、頭を持ち上げることすら疎まれる。だから、右側にいるリアリスが視界に入らないように反対側に首を向ける。僕は疲れているのだ。こんな時ぐらい平穏に眠らせてくれても良いじゃないか。


「大変だったね」

「君に言われても全く労われた気がしない」


 今はこのまま、リアリスの顔を見ないでいたかった。何か、訳のわからない怒りをぶつけてしまいそうだったから。そんな自分が嫌だった。誰かを助けたいって思っていた自分が、誰かを傷つけるなんて、僕自身が許せるはずがない。だから、何も関わらずにいて欲しかった。一人に、なりたかった。


「もう、噂は関係無いはずだろ? なんでまだ君が出てくるんだよ」

「だーかーら、それは私には決められ無いの! 君の脳が勝手にこの夢を見させているんだから、仕方ないでしょ?」


 リアリスの顔を見ないようにしているのにも関わらず、容易に表情や態度が想像できてしまうから更に疎ましい。今はまた、言葉とは裏腹に微笑んで、僕を見て楽しんでいるのだろう。


「それにさ、私に『僕たちは噂の問題は解決させた』って、言ってたのに、私のこと調べてたよね」


 事実だった。本当にリアリスはほぼ何でも知っている。

 それは単純に興味だった。しかし、こう言ってリアリスの機嫌を良くしてもつまらない。

 実際、「リアリス」という名前には何か意味があるのではないかと思っていた。始めて名乗られた時、わざわざ黒板に、それもアルファベットで書いた。ただ単に「リアリス」と呼ばせたいなら、口頭で伝えれば事足りるのにも関わらず、だ。その点が僕の中で引っかかっていた。

 そして、夏祭りの少し前に少し調べ、僕は答えらしきものを掴んでいた。恐らく、そこから読み取れるメッセージも。その答えは、前にリアリスと会った時に立てた仮説を補強するものに近かった。だから、僕の中でリアリスの正体は確信に変わりつつある。


「何がわかったの?」


 こちらが答えを知っている前提の聞き方だった。しかし、答える気にはなれない。

 僕は黙りこくっていると、視界の外で彼女はなんらかアクションを起こすような気配がした。それでも頑なに反応せずにいる。しばらくして、彼女は僕の反応がないことに鼻白んだのか、ため息が聞こえた。


「答えないなら、別の話題の私が聞きたい事聞いても良い?」

「あぁ、そうしてくれ」


 どうせどんな話題が出ても聞く耳を持たないはずだった。それでも、聞かざるをえない。夢から覚める以外に回避する方法などないのだから。


「君は私に、『怖くて弱い感情を回避する為に、僕は助けなければならなかった』って言ってたけど、今はどう?」


 チクリと細いものが突き刺さった気がした。多分、痛い。

 その言葉を自分で言っておきながら、今は全く別の心情と感情だった。夏祭りで子供を助けようと思ったこと、ビルから転落した男を助けようとしたこと、そして、沙知を助けようとしたこと。

 彼らを助けようとしたのは、自分の為ではなかった。助けずにはいられなかった。助けなければならないと思った。


「わからない」


 それを「どうして?」と聞かれればわからない。なぜ僕は彼らのように助けなければならないと思ったのか。また、黒崎真珠やビルの看板の下敷きになった男性を助けようと思わなかったのか。

 これは矛盾している。亀裂と言っても良い。僕の中では、それがとても大きい。


「最近の君は本当に変わったね」


 そうやってまた僕をおもちゃのように、アニメのキャラクターのように眺めて楽しんでいるのだろう。

 しかし、リアリスが視界に入って来たとき、僕の考えは否定された。


「君の周りには色々なことがありすぎるね」


 覗き込むように僕の視界に入ってきたリアリスは、笑ってなどいなかった。僕の心情を形にしたらこんな表情なのではないだろうかと思わせる表情をしていた。それが腹立たしかった。「今まで散々嘲り笑っていたくせに、なんだその表情は」と。

 もう一つ、僕は嬉しくもあった。ちゃんとリアリスにもこういう表情ができることに安心してしまった。これは完全に心の油断で、不覚だった。


「もしかしたら、私は残酷な問いを君にしてしまったのかもしれないね」


 今更それを言うのか。しかも、その表情で。本当に苛立たしい。それなのに……涙が溢れ出てきた。

 僕はそれを認めたくなくて、おでこを机に当てる。

 今までに起こった出来事を思い出す度に、命への慈しみに捻り潰されるような痛みを感じた。いつの間にか、僕は命を救わずにはいられなくなっていた。

 これは呪いだ。決して解けることのない、呪いだ。僕はこれからも助けたいと思うだろう。その度に、救えなかった自分を悔やむんだ。これは、彼女が僕に与えた呪いなのだ。


「ごめんなさい……」


 謝罪を述べたリアリスは、横から僕の頭を待ちあげると両手で胸の中に収めた。無論、抵抗は出来ない。

 彼女の体温は感じなかった。手と腕の感触も。それもそうだ。これは夢の中なのだから。ただ、しっかりと視界だけは塞がれた。


「君はヒーローだよ。救えなくても、救おうとした。救った後に非難されても、何も言い返さなかった。私は全部見てるからわかるよ。とってもカッコよかった」

「救う事をしなかったのも、救おうとして救えなかったのも、結果は同じだよ」

「ううん、全然違うよ。君は、確かに絶たれた命の事を感じている。だから、悲しくて泣きたくもなるんだよ。それは、優しさの証明なんだよ」


 悔しいが彼女の言う通りなのかもしれないと思った。何より、この涙を証拠として。本当は否定したいのに、リアリスに認められる自分に安心してしまっている。僕は、どうかしている。せめてもの抵抗として腕の隙間から見える赤を睨んだ。


「もう慰めなくていいよ。第一、なんでハグ?」

「君が奏にこうしていたから。効果があるんじゃないかって思ってね」


 僕の頭を開放したリアリスは、僕の正面に移動した。

 彼女の顔を見上げると、そこには赤い瞳があった。まだ、僕の感情を写したような表情だ。


「現実主義者」

「え?」


 リアリスの顔は、真っ先に疑問を目の前にした時の表情に変わる。数秒がたって、僕の言葉を噛み砕いて飲み込んだようで、再び笑顔に戻る。


「なぁーんだ、気付いたのね」


 唐突かもしれないが、僕はリアリスの正体をあばき立てる事にした。正体をあばくと言っても、名前の意味するところだけだ。本当の正体までは言う気になれなかった。


「どうしてわかったの?」

「現代は便利だからね。スマホがあると簡単に物事が調べられるんだ」


 最初は図書館で調べようとした。しかし、そこには果歩と雷夫がいて、噂について調べてくれていた。そこに僕も加わることとなったため、その時には調べられなかったのだ。

 果歩や雷夫の話を聞くうちに、僕もすっかりそのことを忘れていたが、夏祭りの話を果歩が部室に持ち込んだ時、偶然思い出したのだ。


「君の名前を検索したら、すぐに出てきたよ。わざわざ黒板にスペルを書いてくれたおかげかな。もっと早く検索をかければ良かった」


 リアリスは黙って僕の話に耳を傾けている。それに合わせて、僕も話を続ける。


「ラテン語では現実主義者、インドネシア語では写実主義者、両者に共通するのは、空想や理想に頼らない、現実的なものを見ようという考え方や視点を持った人だ」


 リアリスは笑顔のまま頷く。僕はここで一つの核心をつく。


「つまり、君は僕に現実のあり方を説きたかったんじゃないのか?」


 リアリスはクスッと笑うと、小さく拍手をした。ゆっくりと、そのリズムはきっと賛美の意味はない。別の意味の拍手だ。


「すごいじゃん! そこまでわかるなんて! ただ、私も安直だったなぁ。まさかスマホで一発だとは思わなかったよ」


 リアリスは拍手を止める。そして僕の目の前の机に腰を下ろす。そして、少し笑顔の様相を狂気に変えながら言った。


「でもやっぱり、惜しいね」

「惜しい?」

「名前の意味は当たってるし、解釈の仕方も大方当たっている。でも、満点ではないかなぁ」

「じゃあ、君はなんだって言うんだ! 君は誰なんだ!」

「それはもう、大体は見当が付いているんじゃない?」

「まさか、本当に……」


 ──目が覚めた。


 仮定と予測が、確信に変わりつつあった。だとすれば、次に会う時に正体がはっきりするだろう。

 それにしても、また「惜しい」と言われた。これはどういうことだろうか。さらに、リアリスならば夏祭りや沙知のことを引き合いにして「噂は続いている」と言いだしそうなものなのにそうしなかった。「君はまた、危険な目にあったんだ」と。

 そんなことは良い。ともかく今日は面倒くさい事のある日だ。早めに終わってくれる事を願うばかりだ。

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