「どうして、助けてくれなかったの?」
放課後を告げるチャイムが校舎に響き渡る。それと同時に、教室は喧騒で盛り上がった。これからどうするかの話し合い、部活動の誘い、遊びの話予定、勉強の話、人によって様々だ。その喧騒は徐々に終息していき、そして今、僕は静かな空間にいる。
夕焼けが窓から教室を赤く染め上げる。僕はその赤を運んでくる窓から屋外で活動する野球部やサッカー部の様子をぼんやりと眺めていた。運動部にとっては、夏の大会が真っ只中なこともあってか、全力疾走でボールを追いかけていた。時々吹き込むささやかな風が心地よい。
夏という程には熱くないが、やはり爽やかな自然の風は心地いいものだ。もし眠気があったならば、気持ちよく眠れる事だろう。
心地よさに心奪われていると、ポンポンと肩を叩かれ振り向く。奏が「一緒に帰ろう」と微笑んでいた。僕は「わかった」と言って頷いた。少し名残惜しいが別に居残る理由もない為、帰り支度をする。
並んで教室のある三階から階段を降りる。奏は僕の少し前を歩いていた。階段の踊り場にある窓からも夕日が差し込む。奏の黒髪は夕日の赤をものともせずに黒いままで、歩調に合わせてキラキラと揺らめいていた。
丁度一階に着いたタイミングで、奏が何かに気づいて立ち止まる。何やら鞄の中をかき回し始めた。
「あ、ごめん! ちょっと教室に忘れ物したから、校門のところで待ってて!」
「珍しいな、奏が忘れ物なんて」
「私だって、こういう事ぐらいあるわよ」
そう言って、奏は階段を駆け上がっていった。
一人残された僕は、言われた通りに校門に向かった。靴を履き替えて、昇降口を出た。そして、ふと無意識の視線の中で、うつ伏せに倒れている人影を見つけた。丁度校舎の影のところだ。うちの学校の制服をきた女子生徒のようだ。
周りを見渡すと、部活動をしている生徒や他の下校している生徒が見て取れる。しかし、誰も気にとめる事はなく、うつ伏せになっている女子生徒の前や横を通り過ぎていく。
不気味な光景だったが、もしもの事を考え、恐る恐る彼女に近づいた。
「大丈夫、ですか?」
膝をついて彼女に声をかけたのも、殆ど無意識だ。そう言わなければならないような心理が、僕の中で働いていたのかもしれない。
しかし、彼女からの返事はなかった。
「大丈夫ですか!!」
今度ははっきりと聞こえる声で言った。
これ程大声を上げれば、誰かしら何事かと思い視線を向けるようなものだが、誰一人として振り返らない。運動部の体育会系独特の声が響き渡るだけだ。
僕は次の行動に迷いが生じていた。
とりあえずは救急車か? 一旦保健室に運んだ方がいい気もするが、セクハラなんて面倒な事は避けたい。誰か他の助けを求められないならば、自分が何とかするしかない訳だが。しかし……。
その先の思考で、対立する葛藤が頭をよぎり一歩が踏み出せない。
「うっ……」
体がピクリと動く、それが僕にとっての引き金となった。
まだ生きている。
彼女の肩に触れ、彼女の上半身を抱くようにして体を仰向けにする。すると、目を閉じたまま体のどこかに力を入れようとする度に、苦しそうな表情をしていた。
「大丈夫ですか!?」
少し体を揺すってみるものの、反応がない。早く保健室に連れて行かなければ、と気が先走る。
すると、再びピクリと体が動いた。
彼女の表情に目を落とすと、閉じていた目がカッと見開いた。
丸々とした目は、まっすぐ僕を捉える。
その目は燃えるように赤く、喜怒哀楽のどれにも当てはまらない表情をしていた。
「どうして、助けてくれなかったの……?」
か細い声で、彼女は確かにそう言った。
僕は思考が麻痺して、頭がクラクラした。耳鳴りもし始めたらかと思えば、どんどんと僕を追い詰めるように、その音は大きくなる。
そして──目が覚めた。
目覚ましを止めて、目をこする。
夢の中の彼女には心当たりがあった。僕の目の前で飛び降りた、あの彼女だ。頭から地面に激突した為か、病院に運ばれて間も無く死亡が確認されたそうだ。
『どうして助けてくれなかったの?』
確かに、救うことが出来るとしたならば、僕だったのかもしれない。
それでも、僕は彼女の事は何も知らない。なぜ自殺なんかしようとしたのかわからないのだから、当然救う方法なんか思いつくはずが無い。
僕はやるせない思いを現実的な観点を言い訳にして、ベッドから起き上がった。
それにしても、やけにリアルで、しかも出会って数秒で自ら命を絶った彼女の顔が鮮明に出てくるのは、やはり変な夢だなと思った。
登校前に、警察に呼び出された。
飛び降り自殺は明白だったのだが、その一部始終を見ていた僕は内心混乱しているだろうとの計らいで、事情聴取が今日となったのだ。しかし、同じ学校の後輩という事以外は何も接点がない為、殆ど話す事はなかった。
逆に話された内容とすれば、先生方や警察側からは僕が自殺の様子を見たという旨は秘匿されることになった。しかし、僕の口から言うのは自由であるが、なるべく謹むように言われた。もう既にオカルト研究部の面々はこのことを知っているのだが。何せ屋上に行くよう焚き付けられた場所が部室なのだから当然だ。
警察も大方自殺とくくっているのか(その内部事情も勝手な憶測だが)、あっという間に事情聴取は終わった。
学校に着いたのは三時間目からだった。
その後はいつものように授業を受け、放課後を迎えた。
「夏以、大丈夫?」
帰りのホームルーム後、奏に声をかけられた。隣には浩介もいた。
正直、疲れている。あの飛び降りから一夜明けたとはいえ、変な夢を見たり、警察の事情聴取に付き合わされたりで参っている。
もしかしたら、それが無意識に表情や態度に出てしまっているのかもしれない。
「まぁまぁ、かな」
「今日の部活は中止にして、今日はゆっくり安静にしたらどう?」
「そうしたいんだけど、良いかな……」
「良いに決まってるでしょ!」
眉間を寄せた表情から叱咤が飛んできた。
僕の事、心配する気あるのかな……。
「え、良いの!?」
僕以上のリアクションを示した浩介は、些か意外そうだった。
「夏以だけ休みで良くね?」
「何よ! 良いじゃない! しかも私たちは普段から霊だ! 怪異だ! って言ってるのよ? 多少なりとも不謹慎だわ!」
僕がいてもいなくても部活はできるだろうに、と思った。どうせ、やることは変わらない。依頼箱をチェックし、調査を検討する。そして大体は理由をつけて却下される。
しかし、次の言葉はどっしりとした重みを持っていた。
「それに、例の噂の事があるかもしれないし……」
その事を口にした瞬間、沈黙が訪れた。まるで、何かのタブーを必死に黙秘して守ろうとするかのようだった。
奏の言わんとしている事は、もしも噂通りなら僕はこのまま一人の下校中になんらかの影響で死んでしまうかもしれないという危惧だった。
暫く続いた沈黙を破ったのは浩介だった。
「あぁ、じゃあ、俺サッカー部に顔出してくるわ」
そう言うと、荷物を持って後ろ向きに手を振りながら教室を後にした。その姿は、呆れてい様でもあり、楽しみを奪われて不貞腐れた態度の様にも見えた。
浩介は元々サッカー部に入る予定だったのだが、オカルト研究会を立ち上げるのに、必要な三人というノルマを達成する為に協力してもらったのだ。
最も、サッカー部員は三学年集めても人数が足りず、お遊びのサッカー部となっている。よって、活動らしい活動をしているオカルト研究会に顔を出すようになったのだ。
僕は部活動のグループチャットに今日の部活動中止の旨を打ち込み、昇降口へと向かった。