「じゃあ、今日の夕日はどう思う?」
さらに一時間後、僕たちは市立図書館を後にしていた。
噂の調べの方はもとより、その後のテスト勉強にも集中できていた様だった。この結果だけ見れば意外なものなのだろう。しかし、雷夫の教え方に一目置かざるを得ない。しっかりと問題に対して”出来る!”という感覚を盛り込み、勉強への興味を引き出している。将来は先生にでもなれば、多くの生徒から好かれるのではないだろうか。頭が良いというのは、やはり教え方にも起因するものなのだろう。
図書館から一歩外に出ると、18時を回っているが、蒸し暑さが待っていましたと言わんばかりに絡みついてくる。
しかし、僕の待ちわびていた夕日の色がそこにはあった。
「あぁ、もう、図書館との温度差がぁー……」
果歩は夕日に目もくれていない様だった。暑いのは真っ当な事実なので、咎める気にはなれない。
ただ、雷夫はどうだろうか。僕と同じく、この夕日を見て綺麗だと思うだろうか。物事を冷静に見れる雷夫ならば、そう見えていると思いたい。
「これから家でまた勉強なんて、面倒だなぁ」
「そう言うなよ。雷夫に勉強方法教えてもらったんだから」
「じゃあ、イーオ。テストまでうちに居てよ」
雷夫はビクッと跳ね上がる様に驚くと、口をパクパクして目をキョロキョロさせる。雷夫の思考はパニックになっている様だ。雷夫程の人見知りならば、当然女の子慣れなんてものはしていないだろう。もしかしたら、具体的な想像だけでもあたふたしてしまうのかもしれない。
「うっそー! 冗談だよー!」
雷夫は胸に手を置いて安堵の溜息をつく。僕は雷夫の代わりに果歩を咎めた。
「勉強を教えて貰って置いて、雷夫をいじめるんじゃないよ、全く」
「いや、良いんです……いつもの事なので……」
僕の気遣いは雷夫の優しさに止められてしまった。雷夫にそう言われてしまうと僕の立場がなくなってしまう。
それは、果歩にマウントを取られる事と同義だ。
「そうそう、私たちは大体いつもこんな感じですよ。雷夫が慣れていないだけで」
果歩が小悪魔的な笑みで雷夫をチクリと針でさすみたいに言った。雷夫は視線を逸らして、その表情を見ないよう努めていた。
駅の方まで戻ってくると、果歩が二、三歩前に躍り出てくるりと振り返る。
「先輩。私こっちの方なので、失礼しますね〜!」
「おう、それじゃあ」
果歩は大きく手を振りながら、走って行った。
残された様な気分の僕たちは再び並んで歩き出す。
僕は個人的に雷夫に関して聞きたいことと話したいことがそれぞれあった。しかし、スルリと口を滑り降りて来ないのは、何か前提の様な、クッションの様なものがないと話してはいけない気がしたからだ。
とにかく、比較的口に出しやすい事から話してみる事にした。
「雷夫はさ、夕日は好き?」
「まぁ、それなりに……」
「じゃあ、今日の夕日はどう思う?」
雷夫は夕日を直視した後に、少し考える表情になる。眉間にしわを寄せるその姿は、何か詩的な言葉でも探しているのだろうか。普通であれば、「簡単な感想で良いよ」と言うところなのだろうが、僕は雷夫が選んだ言葉を聞いてみたいと思った。
少しの間言葉を待っていると、雷夫はゆっくり口を開いた。
「美しい、というよりは、情熱的な夕日だと思います……」
「その心は?」
「ここ夕日は、美しさで言えば、秋の方が綺麗だと、思います……。かといって、この夕日の特長は、熱がこもっている事だと思います……」
なるほど、それで”情熱的”か。ひょっとしたら、果歩と同じように暑さの方が、夕日の風景よりも強かったのかもしれない。
そう考えたら、不意に可笑しくなってしまった。
「何か、変、でしたか……?」
「あ、いや、ごめん」
雷夫は先ほど果歩に意地悪くされた時とは違う表情をした。まるで心外だと言わんばかりの鋭い目付きだ。
しかし、僕は悪びれるよりも、雷夫はこういう表情も出来るのだと感心した。
そして、もう一度「ごめん」と言った。
少し間を置いて、一つ咳をうった後、僕は本題に入った。
「雷夫はさ、僕が見る限り真面目で、オカルトとか興味なさそうだけど、どうしてオカルト研究部に入ってくれたの?」
「えっと、それは……」
雷夫は答えを言おうかどうか迷っているようだった。気軽に話せるような内容ではないのだろうか。
真面目な雷夫の事だから、何か深い理由があるのかもしれない。もし、そうならば無理に答えさせる事もない。これは単なる僕の好奇心なのだから。
「理由は、二つあります。ただ、誰にも話さないで欲しいです……」
「うん、わかった。でも、これはただの興味でしかないけど、良いの?」
「はい……。あんまり気を悪くされないで聞いて欲しいのですが、噂が本当にあるのだとすれば、秋澤先輩はもうすぐ死んでしまうかもしれません……。だとすれば、なるべく先輩の話を聞いておきたいですし、答えられる事には、全て答えたいです……」
真面目な後輩でありながらも、このように気を使われるのはどうなのかと思うが、図らずも噂のおかげで雷夫の気になる事を聞ける事となった。
しかし、やはり死ぬ前提の話し方は気にくわないと感じた。それ故、少し意地悪だってしたくなる。
「じゃあ、僕が噂と何も関わりがなかったら話してくれないという事かな? それに、噂が全くの空想である可能性だってあるんだよ?」
「秋澤先輩以外の人が、同じ状況で同じ事を聞かれたら、きっと僕は話しません」
雷夫は、いつもより強い口調で言った。
僕は感情的に意地悪な質問をした事をひどく後悔した。雷夫が僕に話そうとしてくれたのは、死を目の前にした者への慈悲ではなく、単純に僕個人という存在の肯定だった。
雷夫の中で、僕という存在は、多少の秘密を好奇心でこじ開けられるほど、信頼されていたようだ。
僕は全くその点に気付く事が出来なかった。
「そっか、ありがと……。気を悪くしないで、って言ってたのに、ごめんよ」
「いえ……その……良いんです……。僕の言い方も悪かったですから……」
そうやって、小さく謝られるのは卑怯だなと思った。悪いのは僕の方なのに、まるで僕より反省しているような態度をズルいと思うのは間違いだろうか。
結局また、二人の間に沈黙が訪れた。こんな時、果歩や浩介の存在が欲しくなる。暑苦しくても、話を続けてくれる、話題が途切れない空間を作ってくれる存在のありがたみを感じる。
目を合わせることもはばかれる気まずいだけの雰囲気。さすがに、後輩にきを使わせる訳にはいかない。そうさせてしまったのならば、それは先輩としての怠慢だ。
「僕から見た雷夫は、すごく頭が良いし、真面目だからさ、オカルト研究部に入部してくれることがちょっと以外でね。なんていうか、すごく現実に生きる人、みたいな感じだったから。もちろん、入部してくれたのは嬉しい。だって、同好会から正式に部活になったからね。感謝もしてる。だから、本当にただの好奇心だけど、入部した理由を聞かせてくれたら、とても嬉しい」
僕は雷夫の横顔に向かって、淡々と語った。
雷夫は僕に視線を合わせ、再び視線を正面に戻す。そしてゆっくりと話を始めた。