「お前と同じだよ」
どんなに頭が沸騰しそうで、パンクしそうでも学校へは行かなくてはならないのが生徒というものの務めだ。当然気は乗らない。かといって、家で一人考え込んでいる訳にもいかない。
登校中も夢の事が頭から離れない。わかる事を一つ一つ確認して見る。
そこから分かる事は主に三つだ。
・噂は実在する。
・黒崎真珠は何かを確認したかった。(それは、僕がリアリスに聞かれた「どうして助けなかったのか」に関係している?)
・噂の情報が全く存在しない事がヒント。
夢の話を信じるのはばかばかしいが、リアリスの言葉には妙に説得力があった。いや、ただ僕の恐怖感が煽られただけかもしれない。これは考えるだけにとどめておこう。
現時点での切り口は、部室で挙げた7つだ。
1、黒崎真珠はなぜ、オカルト研究部の部長という情報だけで、顔も名前も知らない秋澤夏以を狙ったのか
2、黒崎真珠はなぜ、噂を再現しようとしたのか
3、黒崎真珠はなぜ、飛び降りる前に「ごめんなさい」と言ったのか(噂が実在する事の証明?)
4、そもそも噂は怪異なのか人為的なものか
5、いつから噂は始まったのか
6、止める方法は何か
7、秋澤夏以の身に起こった事と噂の関連性
これと照らし合わせ、頭の中で情報をアップデートしてみる。
1と2は僕自身の答えを確かめる為、作為的に僕を呼び出したという事になる。恐らくは、果歩の情報の通り、オカルト研究部の事を勧誘ポスターで知ったのだろう。その上で僕が選ばれた。しかし、オカルト研究部を狙った理由と、なぜ、リアリスの言う”確認すべき事”を残して命を絶ってしまったのかはわからない。
3は噂が実在するから。これから僕が命の危機にさらされる事を知っていたから、飛び降りる前に謝ったのだろう。
4以降に関して言えば、噂の本質に迫るものという点でリアリスのヒントが当てはまりそうだ。特に4と5はヒントを使って解けそうな印象を受ける。いつ始まったのか、それは怪異か、人か。しかし、噂の情報が全くないという事は、どういう事だろうか。
怪異なら噂の根拠を全て消し去って、なかった事にできるのかもしれない。しかし、今こうして噂が残っている。いかにも不完全すぎる。
人為的であるならば、噂が語り継がれているという性質上、集団的かつ伝統的なものの可能性が高い。しかし、夕美市の歴史を漁っても全くヒットしないというのは、一体どうやって隠蔽していると言うのだろうか。
そして、いつ始まったのか。噂が言い伝えられている以上、始まりがあるはずだが、それは全くつかめていない。一番新しい事象としても、僕の身に起きた事が最後なのだ。
──いや、待てよ。
「よっ! 夏以!」
一つの考えが頭をかすめたと同時に、浩介が後ろから肩を叩かれた。
「なになに、まぁーた難しい顔してんのかよ!」
「考え事ぐらい、誰でもするだろ。それに、ヤケに明るいよなぁ、浩介は……」
「ま、考えるのは良いけどさ、葬式みたいになるのは嫌なんでね」
浩介らしいといば浩介らしい。僕にはそれがありがたかった。
登校途中でも、夏の日差しは温度計の上を目指して伸びていく。それは、やがて首筋や額にも汗を滲ませる。今日辺りセミは鳴くだろうか。別に待ち遠しく待っている訳ではないのだが……。
僕たちの通学路は、住宅街から大通りに入り、河原を少し歩く。今、その内の大通りから橋を渡って河原の道に折れるところで、河川敷に目がついた。
そこには中学の制服を着た男子三人と女子一人がいた。僕たちが見たのは、まさしく男子生徒達に肩を強く押されて女子生徒が倒れる瞬間だった。
「なんで昨日来なかったんだよ。遊ぼうっていったよなぁ?」
男子生徒三人の内、真ん中の子が言った。両隣にいる二人はニヤニヤしながらその様子を見ている。
「き、昨日は、掃除当番で、帰りが遅くなったから……」
「そんなの聞いてねぇんだよ。どう詫びてくれんのかって聞いてんの」
真ん中の男子生徒が胸ぐらをつかむと、無理やり女子生徒を立たせようとする。
次の瞬間、女子生徒の頬から乾いた音が響き渡った。
「お前みたいなブスと遊んでやってんだから、少しは感謝しろよ! 何様だと思ってんだ!」
「ご、ごめんな、さ、い……」
女子生徒は胸ぐらをつかまれ、苦しそうに言った。
男子生徒の目はギラついていて、狂気に満ちた表情になっていた。僕は止めさせようと、一歩目を踏み出す。
「何やってんだ!!」
しかし、それより先に浩介が叫んで走り出していた。
浩介は勢いよく胸ぐらを掴んでいる男子生徒を突き飛ばした。その衝撃で男子生徒は吹っ飛んだ。解放された女子生徒は地面に手をついて、首の辺りを抑え咳をしている。
「大丈夫か!?」
浩介は女子生徒の背中に触れようとした動作をしたが、手を止めて声をかけるだけにした。
僕は浩介をフレンドリーな性格と思っていたが、割と紳士的な面もあるのだなと感心した。それに、ここは浩介が先に飛び出した事もあるので、非常事態になるまで見守って見ようと思った。
「誰だよ! 関係ねーじゃん!」
突き飛ばされた男子生徒が起き上がりながら叫んだ。
浩介もそれに叫んで返す。
「お前ら、三人で寄ってたかって、女の子泣かせるとか、恥ずかしくないのか!」
「こいつが悪りぃんだよ! 約束ちっとも守らねーし、ブスで友達もいなくて、俺たちが折角遊んでやってるのに、お礼の一つも言わねーし」
「それはお前らの思い込みだ! 彼女の気持ち、考えたことあんのか! あるなら大いに間違っている。ないなら彼女を都合よく解釈してんじゃねー!」
浩介は、一つ息を吸って静かに一言付け加えた。
「次、彼女に手を出したら、三度目は無いと思え……」
うわぁ……。要するに、三度目に手を出せない状態にするって事か。
取り巻きの二人は鞄を拾い上げると、「もう行こうぜ!」と言って退散を始めた。突き飛ばされた男子生徒は、暫く睨みを利かせてからその後を追っていった。
「あの、ありがとうございましたっ!」
女子生徒は立ち上がると、深々と頭を下げた。髪は果歩と同じミディアム。黒髪で顔は垂れ目、頰に少しそばかすがある程度で、容姿が良くないかと言われればそうでも無いと思った。
「俺は、井上浩介。こっちは秋澤夏以。君は?」
「国見沙知と言います」
「沙知さんね。ケガとかは無い?」
浩介があまりも熱心な為、僕は言葉を挟む隙がない。いや、むしろここは聞かれた時だけ話せば良いのではないだろうか。今さっきのいざこざも傍観者でいると決めたじゃないか。
僕は、もう少し外野でいる事にした。
「はい、大丈夫です」
「一応、あいつらにはあぁ言ったから、また何かあったら言って貰って良いから」
浩介は、鞄からノートを取り出してページの端を千切ると、電話番号を書いて彼女に渡した。
彼女はそれを手のひらで制する。
「いえ、本当は、自分の身は自分で守らなきゃ、って思うんですけど……」
「良いから良いから。貰ってよ」
初対面に電話番号を渡してしまうほどの無用心さは気になったが、沙知はそういう人には見えなかったので、その人柄を信じる事にした。そんな僕も随分と安直だな、と内心では失笑する。
沙知はなかなか受け取ろうとしないので、浩介は無理やり沙知の手のひらに千切ったノートを押し込んだ。
「やっぱり、男の子は強いですね。私も強くなって、自分の身を守れるようになりたいです……。どうしたらそんなに強くなれますか?」
沙知は真剣な眼差しで浩介を見上げた。彼女は人に頼ることを望まない。それ故に自分の弱さを克服しようとしている。僕にはその心がとても美しく思えた。
浩介は少し照れながら答えた。
「強さにも色々あると思う。でも、今回みたいな暴力を振るういじめっ子を撃退するだけなら、その相手との力の差は道具で埋めるしかないかもな。なるべく、使い慣れているものが良い。そうすれば、もう手を挙げられる事も無いと思う」
僕はため息をついた。あまりにも好戦的すぎる。これでは学校で「凶器を振り回す危ない人」として、孤立してしまうのではないだろうか。
それを沙知は頷きながら聞いているのだから、止めようがない。
「わかりました! 色々とありがとうございました!」
沙知は再び深々と頭を下げた。
浩介は大げさだと言わんばかりに手を振る。
「いやいや、当然のことをしたまでだから……」
僕はチラリとスマホの時計に目をやると、遅刻の可能性が見え始める時間になった。僕は堪らず、浩介に声をかける。
「浩介! そろそろ遅刻!!」
「へっ!? マジで!?」
「あ! では、そろそろ失礼しますね!」
沙知はぺこりと頭をさげたが、その頭が上がる前に、僕たちは走り出していた。走っている間は、風を切る為に一時的に体感温度が下がり、若干涼しくなる。
僕は、上がりつつある息を抑えて皮肉を言うように浩介に尋ねた。
「どうして、彼女を助けたんだ?」
浩介も僕と同じように息を抑えた様な間があってから答えた。
「お前と同じだよ」
そういった後、また少しの間があって「先に人助けをしたのは俺が先だがな」と後から付け加えた。
浩介が言っているのは、僕が昼休みに窓から落ちかけたのを助けた事を言っているのだろう。
僕は色んな意味で「浩介は浩介なんだな」とごく普通の、当たり前のことを思った。そして再び内心で自分に失笑した。