「おや、また一人増えているね」
ファミリーレストランに入ると、まるでオアシスの様だ。蒸し暑い外とは違い、ひんやりとした涼しさが僕たちの汗が一気に冷え上がる。寒いと言っても過言ではない。
店員に待ち合わせという事を伝えると、テーブル席の奥の方で軽く手を挙げている人物を見つけた。
「おや、また一人増えてるね」
洲崎警部は既にテーブル席で僕たちを待っていた。店内の一番角にある席だ。周りを見渡すと、お昼にはまだ早い時間という事もあって、余り混雑はしていない。それでもポツポツと席が埋まっている。
「こんにちは」
奏は礼義の良い様に、かつ、自然体で挨拶をした。僕もそれに続いて挨拶をする。雷夫は黙ってお辞儀だけをした。洲崎警部も「こんにちは」と返した。
洲崎警部は最初に言った様に、前まではいなかった少年の事を注視しているようだった。その視線にさらされる雷夫は、目が合わない様に視線を細かく切っている。
「あ、あぁ、そんなに緊張しなくて良から。別に疑いがあって逮捕の機会を狙っているわけじゃないし、第一職務外だから……」
どうやら自分の職業によって緊張させていると思い込んだらしい。雷夫は小さな怯えた声で「いえ……」と言った。
雷夫が自分で名乗るよりも、代わりに言った方が良いと判断したのだろう。奏は雷夫について他己紹介をした。
「彼は大森雷夫と言います。実は、誰これ構わず人見知りがあるみたいで……」
「あー、なるほど、これは失礼な事をしたなぁ」
洲崎警部は笑いながら、頭の後ろの方を掻いた。無論、その行為が雷夫の緊張をほぐす要因になり得ない事は言うまでもない。
「洲崎です。よろしく」
新しい顔触れの挨拶が終わったところで、僕たちは席に着いた。僕と奏が隣り合って座り、テーブルを挟んで洲崎警部と雷夫が隣りに座った。
とりあえずは、それぞれ昼食の品を注文した。僕はカレーライス、奏はミートソースドリア、雷夫はエビフライのセット、洲崎警部はクラムチャウダーを注文した。
このファミリーレストランは、品数が豊富なことが売りだ。洋食であれば、思い思いのものを食べることができる。
店員が一通りの注文を繰り返し、厨房に下がっていくの確認すると、奏から口を開いた。
「実はこの間、夏以はまた危ない目にあったんです」
「そうか、実際にはどんな……」
その視線を僕に向けて、話の続きを促す。それを受けた僕は、自分が昼休みに窓際の席で昼食を取っていると、教室で走り回っている生徒にぶつかって、窓から身が投げ出された事を話した。
「なるほど、それは故意ではなんだね?」
「はい。そう思います」
「だとすると、これまた噂と結びつけるのは難しいなぁ」
「全く」
洲崎警部は腕を組んで顎の辺りを触りながら怪訝な顔をした。
「あの……、どうして、協力してくださったのでしょう、か……」
雷夫は何とか聞き取れる声で言った。
言われてみれば、確かに気になる点ではある。単なる興味ではあるが。
警察としては協力出来ないと言いつつも、個人としては協力してくれる。そこには洲崎警部と噂を繋げる因縁のようなものがあるとしか思えない。僕たちは洲崎警部の次の言葉を待った。
「あ、別に、大した話じゃないからな?」
「構いません。正直、僕たちも気になっている事なので。まぁ、興味本位ですけど……」
「あぁ、そうか」
洲崎警部は、一息吸うとゆっくりと話し始めた。
「俺は今年で40になるんだ。それなのに家庭がない。だから、若い時に結婚して、子供もいて。息子か娘がいれば、どんな楽しみがあっただろうって考えてしまうんだ。だから、奏さんが俺に噂の話をしてくれた時は、警部としての俺ではなくて、親としての俺だったのかもしれない。子供たちと一緒に何かをしたい、って思ったんだ。俺自身、噂について調べるのも警察内では出来ないから、こういう誘いがあって嬉しく思うよ」
まるで故郷を懐かしんで語っているようだった。これが大人になった時の語り口調なのだろうか。
──それに比べて。
「洲崎警部が仮に今親になっていたとしても、僕たちの様にはなって無いですよ。きっと優秀なお子さんでしょうから。それに、今からでもそれを現実にするのは遅くないと思います」
なんて、根拠の無いことばかり言ってしまうのは、僕が子供という証だろう。年の功に若気の至り、まさしくこのことだ。
洲崎警部は、年下の僕たちに励まされるようなことが気に入らなかったのか、鼻で笑って「ありがとな」と言った。
「ただ、現時的観点からして、俺もまだ好奇心の域を出ていない。それは申し訳ないと思う。しかし、人を守ることを本職としているからには、できる範囲で協力する」
「わかりました。ありがとうございます。それだけでも十分です」
大人が一人味方につくだけでも僕たちには心強い。大人の許可が必要な部分にも介入して情報を得る事ができる。また、子供には思いつきもしない大人の見解から、ヒントを得る事が出来るかもしれない。
洲崎警部の事情を聞けたところで、丁度注文したものが運ばれてきた。それぞれ頼んだものに舌鼓しながら、噂について僕たちの情報を話していると、そこで再び雷夫は口を開いた。
「あの……警察内での、噂の認識は、どう、なんでしょう、か……?」
相変わらず俯いて、チラチラと横目で洲崎警部の顔を伺うような聞き方だった。肩にも少し力が入っている。今になって思えば、この席配置は失敗だったかもしれない。どこに配置しようが、雷夫は変わらないような気もするが……。
しかし、相変わらず的を得た質問をする。警察内部での噂について、どれほどの関心があるのか、確かに気になる。
「警察組織とすれば、噂は単なる噂にすぎない。前にも言ったが、何も根拠が無いんだ。噂の認識はしているが、全く手を出していない。ただし、一個人としたら話は別だ。やはり興味のある奴はいるな。特に若い連中は面白がって話しているよ」
「洲崎警部はどう思われますか?」
僕はカレーライスを食べ進める手を止めて聞いた。洲崎警部はクラムチャウダーをひとすくい口に運ぶと、同じくスプーンを止めた。
「どう、と言われても困るが、人の仕業な気がするなぁ」
「人、ですか。呪いや霊の類ではなく」
洲崎警部は頷く。
「あくまで俺の勝手な見解だが、呪いや霊ならば、もっと確実に殺せるんじゃ無いかと思うんだ。しかし、二度も失敗している。これは君を殺そうとした誰かの作為が上手く作用していないからじゃないか?」
「確かに。ですが、現実には老朽化した看板とクラスメイトが過失で死に至らしめようとしました。ここに人為的作為を考えるのはとても……。例えば、看板やクラスメイトに呪いや霊の力が働いた、というのは?」
「いや、それなら夏以君、君自身にその力を使えば良い筈だ。何せクラスメイトを呪いやら霊の力で操れるのだからね。君を操り、自由に殺せる筈だ」
「もうやめてっ!」
奏は鋭い声で会話を断ち切った。他の店内にいる客や店員も一斉にこちらを振り向く。
それを察してか、奏はおもむろに立ち上がると頭を下げた。
「お食事中、失礼しました。大声を出してしまい、すみませんでした」
入店した時と同じように店内は静まり返っているが、明らかに空気が違っていた。その張り詰めた空気は奏の着席後、徐々に溶けて元の空気感に戻っていった。
奏は座った後、少しの沈黙を守っていた。僕たちは奏から目を離せない。奏は事情聴取の時と同じように拳を握りしめ、俯いていた。
そして、悲しげな声を抑えるように言った。
「そんな、死ぬとか、殺すとか、簡単に言わないで下さい……。噂なんて、実際にあるのかどうかもわからない。それでも、夏以が危なかったのは本当で、噂なんて、本当は無ければ良いはずなのに……」
奏の方は小刻みに震えていた。それはきっと、当然の様にこんな話をしている僕たちに怯えているのだろう。
想像のものでしかない噂を、現実に捉える難しさ。それは彼女が一番知っている。僕たちはまだ、単なる好奇心を出ていない。噂だからと簡単に人の命を軽視する。
違うと言いたくとも違わない。僕たちはもっと、命の重みを感じなくてはならない。黒崎真珠の様に、自殺志願者ではないのだから。