「あ、本当だ! 顔色が普通です!」
昼休み後の一時間だけ休んだ僕は、その次の授業から再び参加した。走り回っていたグループからは、聞き飽きるほど謝罪の言葉を聞かされた。特に奏は、先生の頼まれごとで教室にはいなかった事を酷く悔いていたようだ。他にもリンゴジュースやメロンパンなど、なぜか甘い系の貢物を幾つか渡された。
今置かれている自分の状況的には、墓石前のお供え物になるかもしれなかった品々なんだろうな、なんて不謹慎な事を思ったが、お世辞にも笑えない自分がいた。
そして放課後、過保護だとは思いながらも浩介と奏に連れられて部室に到着した。
「先輩! もう大丈夫何ですかっ!?」
「あぁ。今はもう通常運転だよ」
こんな過保護にされてるのを見たら、信じてもらえないかもだけど。
果歩はどこから話を聞きつけたのやら、昼休みに起きた事を知っているようだった。果歩は交友関係が広いから、割と新しいトピックスとして話題になっているのかもしれない。
果歩は、僕の顔を覗き込むようにまじまじと見つめると、ポンと手を叩いた。
「あ、本当だ! 顔色が普通です!」
「あのなぁ……」
人を気遣っているのか、面白がっているのか、そんなことを言う。大体、僕が保健室に行った時の顔色見てないだろう。まぁ、僕自身も見てないけど。
とにかく席に着く。周りを見渡すと、やはり雷夫の姿だけ見当たらない。それを察してか果歩は「イーオは学年委員です!」と手を挙げて言った。という事は今日のメンバーは四人、雷夫にはメールなどで情報を共有させれば良いだろう。
「それじゃあ、果歩、黒崎真珠についてわかった事について話してくれ」
「はい!」
果歩は元気よく立ち上がると、手帳を取り出し、話を始めた。
「まず、私なりの調査について何ですが、まとめるとはいえ、点と点を結んだに過ぎないという事を念頭にお聞き頂ければと思います」
果歩の情報は、正直言って、余り多くないし良質なものでもない。しかし、何かヒントがあるような気もしないではない。
果歩の調べによる、黒崎真珠とはこうだ。
一つ目に、友達が多くないという事。昼休みに一人でお弁当を食べるのをクラスメイトが見ていたという。一人で登校し、一人で下校していた。
二つ目に、部活等に所属していないという事。しかし、部員募集のポスターをジッと見ていた事があるらしい。どの部活のポスターを眺めていたかまではわからない。
三つ目に、とても優しい人柄という事。彼女の優しいという人柄のエピソードは数多くあった。大きな荷物を持って階段を上るのが辛そうなお年寄りの荷物を持ってあげたり、転んで膝を擦りむいて泣いている子供の手当てをしたり、轢かれそうになった猫を助けたり、カップルが川に落とした指輪を水に入って探した、なんていうエピソードもあった。
「何だか、聞けば聞くほどわからないわね」
奏は顎の辺りに手を当てて考える仕草をした。
概ね、奏のいう通りだ。真相を紐解くには、黒崎真珠について調べれば何かわかると踏んでいたが、どうやら更に深い沼に入ってしまったようだ。黒崎真珠と噂を結びつけるものは見つけられそうに無い。
悩める僕らに、少し違う角度の視点を持った発言が飛び出す。
「でもまぁ、噂云々よりか、自殺しない理由はわからないでもないかなぁ」
浩介は珍しく腕を組んで真剣そうな姿勢からそう言った。
奏は怪訝そうな顔をして「どういう事?」と聞いた。
「いや、だからさ、真珠には友達がいなかった訳じゃん? それでいて、他の人に優しさを降りまいてたら、生きるのも疲れるだろうなぁー、って」
「でも、こうとも考えられない? 他人に対して優しい事を利用されて、いじめられていた、それで自殺した」
「かなちゃん先輩の線は無いと思います!」
奏が別の仮定を出したところで、果歩がそれを否定した。奏は再び不機嫌な顔色になるが、下唇を噛むことでそれを抑えている。
「私の調べによると、いじめはなかったそうです。まぁ、聞いた人が嘘をついていれば話は別ですけど……」
流石に奏を相手に強く出られないのか、語尾が尻すぼみになっていた。僕は浩介に便乗し、少し角度を変えた質問をしてみる事にした。
「じゃあ、先生方との距離感はどう?」
「うーん……プライバシーとかで先生から何もは聞けなかったんですけど、他の生徒から見るに、人並みだったそうです」
「という事は、いじめがあれば相談できた可能性はあるよね」
奏の方をチラリと見やると、三人で自分の意見を否定しにかかってきたと思っているのか、何か重たいものを飲み込むような表情をしていた。しかし、彼女自身も論理的に自分の仮定が間違っていたと認める事が出来る。もしかしたら、今はその葛藤の中にいるのかもしれない。
なんにせよ、自殺した理由は今のところ、浩介の説が有力となった。
「こうちゃん先輩の意見は納得できますけど、どうして噂通りの事を先輩にしようと思ったかですよねー。先輩の言うように、うちの部活の部長というのは知っていても、顔も名前も知らないという事になるわけで……」
果歩の調べでは、部員募集のポスターを見ていたのであれば、当然オカルト研究部の勧誘ポスターも見たのだろう。しかし、数多くある部活の中でオカルト研究部を選んだのかは謎のままだ。
「それになぜ、黒崎真珠さんが噂を再現しようとしたのかしら」
「それに、飛び降りる直前の謝罪も気になるなぁ」
「何かなぁー、わからない事ばっかだよなぁ……」
浩介は頭を掻き毟りながら険しい表情をした。彼は決して頭が悪い訳ではないが、それほど良い訳でもない。去年は噂の真偽についてだけだったが、今回は当事者がいるために、憶測の範囲が広い。それに加え、当事者たちの心情までも情報として組み込まれている。これで完全に浩介の思考容量がオーバーしたらしい。
「それじゃあ、現時点での不審な点を書き出してみましょうか」
奏は立ち上がって、ホワイトボードの前に立って水性ペンを手に取った。
1、黒崎真珠はなぜ、オカルト研究部の部長という情報だけで、顔も名前も知らない秋澤夏以を狙ったのか
2、黒崎真珠はなぜ、噂を再現しようとしたのか
3、黒崎真珠はなぜ、飛び降りる前に「ごめんなさい」と言ったのか(噂が実在する事の証明?)
4、そもそも噂は怪異なのか人為的なものか
5、いつから噂は始まったのか
6、止める方法は何か
7、秋澤夏以の身に起こった事と噂の関連性
七つ書いたところで、再び浩介が弱音を吐く。
「何か、挙げるだけで疲れるなぁー……」
「そこっ! 意識低いわよ! それに今はあなたの為にこうやって書き出してるんでしょ!?」
奏からの檄が飛ぶが、流石に僕も浩介に同情してしまう。前途多難というレベルを超えている、と言っても過言ではない気がした。尚且つ優先度や目的などを一切考慮しない順序であるため、混乱もするというものだ。ここらが一旦の落とし所だろう。
「これから更にわからない事も増えるだろうし、とりあえずは1、2、3を中心にしよう。しらみつぶしにしていけば、4、5なんかもわかるかも。最終的には6だね」
奏は鼻白んでため息をついた。まだまだ話し合いたいという熱意は、自分の置かれている身からすれば、非常にありがたいものだが、今日のところはここが限界だろう。
視界の端では、浩介はこちらに向かって小さく手を合わせていた。僕の助け船に対しての感謝としてだろうが、浩介の集中力への非難だということも理解して欲しかった。
果歩に視線を移すと、少し俯いて、物悲しそうにしていた。元気印が似合う彼女だからこそ、他の人と比べて少し切なそうにしているだけでも大事に至っていると思ってしまう。
だから、ここで果歩に「どうした?」と、気を使ったのもその感情の動きからだ。
「先輩、何か自覚足りなくないですか」
果歩は俯いたまま言った。感情を抑えながらも、チクリと針を刺すような声だった。
僕は背筋が凍りつき、ざらついた物で撫でられる様な感覚になった。
奏と浩介も、僕と果歩を注視する。
「死ぬの、怖くないんですか……」
それは夢で見たリアリスから言われた言葉ともリンクしている。意識しないはずはない。しかし、僕には言葉が出てこなかった。
果歩の言いたいことはわかる。果歩から見た奏は、噂の解明を迅速に、且つ積極的に果たしたい様に見える。浩介は解決を急ぐあまり、自分では追いきれない量の情報を焦って取り入れようとしている様に見えるだろう。
その一方で、僕は温度差が異なり冷めている。噂によって死ぬのは僕であるというのに。
「ごめん、死ぬことへの恐怖よりも、たまに噂への好奇心が勝っているのかもしれない。現に、こうやって噂を調べたくてオカルト研究会を立ち上げた訳だしね。ただ、果歩がそうやって元気がない姿を見ると、僕も死ぬことを意識してしまう。だからせめて普段通りでいてくれないかな?」
ここでは、嘘も必要だと思う。ただし、単なる嘘は見破られやすい。だからこうして本当のことに混ぜるのだ。そうすれば、嘘が見えにくくなる。
それだけなのに、何かものすごく重い嘘の様に感じてしまうのはなぜだろうか。
「……わかりました」
果歩はしぶしぶ了承したが、全てを納得した訳ではなかった。
果歩と浩介も同じ気持ちだったのだろうか。僕は自分の為に一生懸命な人々に対してあぐらをかき、ふんぞり返っていたのかもしれない。でも、わざと暗い雰囲気を装う気にもなれなくて。
どこかに何事も無く明日が来ることを信じて疑わなかった。