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マルタン・ド・ラ・ペルピニャンの弟、オリヴィエ・ド・ラ・ペルピニャン侯爵の語る

 兄と巴里のマドモワゼルとの一件は兄から聞かされているだけで、兄の主観でしか知らない。

 ラ・ペルピニャン侯爵家は南仏の古い家系で、それくらいしか取り柄がない。革命期にスペインに移動しながら生き延びて、領地を死守して、帝政や王政、再びの帝政の中、領地の小作料で暮らしている。

 兄のマルタンは余裕があるとは言えないのに、遠く巴里に出て、首都に華やかさに惑わされた。巴里の劇場に行って、そこのボックス席に陣取る女性にすっかり魅了されてしまった。劇場のボックス席は、周囲に邪魔されずに舞台に集中できる席だが、場所が場所だから、ほかの客席をしっかり観察できるようになっている。兄の様子は直ぐにその女性に気付かれた。

 田舎貴族が止せばいいのに、その女性に近付こうとした。女性はブルジョワの令嬢や貴族のご婦人ではなかった。エレーヌ、マドモワゼル・ディヴェールと呼ばれる高級娼婦だった。温暖な南仏育ちの兄は「冬」の冷たさを温もりで充たしてやりたいと、申し出た。

 軍隊にいて、高級ではない娼婦と付き合った経験のある俺からすれば、呆れるほかない。

 兄はマドモワゼル・ディヴェールを完全に誤解していた。辛い境遇に身を落とした可哀想な女性だから、愛した女性を結婚して救い上げたいと本気で考え、熱心に口説いた。

 高価な贈り物をするでもなく、機知に富んだ話ができるほど頭が切れるでもなく、捧げるのは真心のみと、とつとつと娼婦に訴える貧乏貴族が巴里でどんな目で見られていたか、兄が気の毒で、そして滑稽だ。

 初めのうち、マドモワゼルは自分を賛美する男性なぞ珍しくもなんともないから、適当にあしらっていたらしい。だが、己の肉体を求めるでなく、ただただ真剣に愛している、結婚すればこんな仕事をしなくても済むと主張し続ける兄の言葉に、思う所があったらしい。結婚してもいいと返事した。

 その時から結婚式の夜までが、兄が一番仕合せだったのではないだろうか。

 巴里で多くの男たちから囲まれて、贅沢に暮らしている若い女が、正式に結婚してくれるからといって、稼業を辞めて畑と山しかない田舎の領地に引っ込む生活が送れるかどうかなんて、兄には想像できなかったんだ。

 結婚式を挙げて、初夜を過して、次の朝に新妻は残酷な宣告を下した。

「あなたはわたしと寝たかった。わたしは貴族の令夫人の称号が欲しかった。だから結婚した。

 もうこれでいいでしょう。わたしは南仏の田舎で小作の面倒見ながら暮らすのは真っ平。巴里でラ・ペルピニャン侯爵夫人の名前でこの仕事を続けていくわ。

 あなたは田舎にわたしを妻として連れて帰れるつもりだったの? 悪名高いこのわたし、恥ずかしくてご領地近くのお仲間や親戚に紹介できないでしょう? 一人でご領地に帰りなさいよ」

 兄はマドモワゼルに泣いて縋ったが、マドモワゼルの凍てついた心は兄の熱情で融かせなかった。兄は一人空しく南仏に戻った。結婚後の生活を一応計画していたから無一文にはならなかったが、かなり無理して指輪だの、花嫁衣裳だの準備したものだから、財産を大分使った。心を打ち砕かれた兄の憔悴振りは尋常ではなかった。

 巴里で相変わらずの生活を続けるマドモワゼルの噂を伝え聞き、自分が生きているうちは彼の女は誰とも結婚できないと、負け惜しみを言いながら、泣き暮らした。

 巴里からマドモワゼルの情報を得るのが兄の生き甲斐みたいになっていたが、プロイセンのノイブランデンブルク伯爵がマドモワゼル・ディヴェールの新しい後援者となったと聞いて、兄は絶望した。

 プロイセンのノイブランデンブルク伯爵、後に侯爵になる人物だ。ノイブランデンブルク家はプロイセンでも由緒正しい古い家系の貴族であるだけでなく、多くの鉱山や工場を所有する大富豪で、鉄血宰相の年少の友人でもある。そんな人物がマドモワゼルが結び付いたとなれば、自分との婚姻は重い軛ではなかったと思い知らされたのだ。巴里に駆け付けていって、彼の女は自分の妻だと言い張ったとしても、巴里でも倫敦でも伯林でも、好きな都会や景勝地に連れていき、立派な屋敷を建てさせ、贅沢三昧させてやれるだけの財力があり、政財界に人脈を持つ男の前では惨めなだけだ。

 兄は拳銃で自殺した。

 不面目な死に方をした兄に代わって、俺は侯爵家の当主になった。地代を当てにした貴族の暮らしなんて時代遅れだと俺だって判っている。だから名前だけの侯爵様さ。肩書を上手く利用して世の中を渡っていこうとしているのだから、俺もマドモワゼルも同類だ。

 今更彼の女を恨んでも憎んでも意味がない。せめて兄マルタンよりは、弟のオリヴィエが侯爵の当主に相応しかったと認められたいね。俺は俺の人生を生きる。

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