パウルの妹、パウリーネの語る
兄はあの女に騙されたんです。
兄は何かというと、あの女を褒め、どんなに愛情を注いでいるかと口にしていましたが、あの女は兄や男たちからちやほやされるのを愛しているのであって、兄を愛していませんでした。
「エレーヌを悪く言わないでくれ。苦労してきたんだよ。それが今ではどこに出ても恥ずかしくない奥方の嗜みを身に着けているじゃないか。僕は粗削りだったエレーヌを、ピグマリオンのように美の女神に創り上げたんだ」
兄は自慢げに言っていましたが、それは兄の幻想です。
バーデン゠バーデンの演奏旅行から帰ってきた際に、あちらで出会って婚約したと連れてきたのが、あの女でした。あの女はしおらしく母とわたしに挨拶してきましたが、一瞬値踏みするような目付きをしたのを見逃しませんでした。女としての出来が自分の方が上等、兄からの愛情の対象も自分が数段上、と確認するかのような嫌な視線は忘れられません。
考え過ぎじゃないかですって? 莫迦言わないでください。
常に人間は他人からの視線に晒されているのです。鈍感でいては身を守れませんし、特に女は見た目で評価されがちなんですから、気にするのは当たり前です。
わたしはエレーヌがバーデン゠バーデンでどんな仕事をしていて、兄とどんな出会い方をしたか、直ぐに判りました。
冗談じゃありません。男性に媚びへつらって床を共にする稼業をしていた女性を家族にしたい者がいるでしょうか。兄がどれほど惚れ込んで、そんな仕事は綺麗さっぱり辞めたんだと言い張ったって、そんな女性を義姉に持ったら、わたしと交際を断とうとする人が出てくるじゃないですか。縁談を持ってきてくれる人もいなくなってしまうじゃないですか。
母は、「ポールがそれほど好きになった女性なら結婚してもいいじゃないの。ポーリーヌ(母は元々フランス人で、居を巴里に移してから長く、家庭での会話がフランス語なので、ポーリーヌと呼ばれています)も寛大におなりなさい」と、言いました。母は兄に甘いのです。わたしを我が儘で頑固と悪者扱いです。
エレーヌを許さないので、兄は別の場所であの女と暮らし始めました。
宮廷でピアノ演奏する程の奏者が元娼婦と婚約したと、巴里で評判になっていて、それが醜聞として広められていると理解していないのは兄の方でした。
兄はあの女が芸術家の自分に相応しく、優雅で、サロンの女主人になれるのだと証明しようと、実に涙ぐましい努力をしました。
確かにあの女が優れた容姿の持ち主で、機知に富んだ会話ができるのは認めましょう。でもそれは自分自身が満足する為、鏡を見詰めて自分に口付けするようなものでした。お客を招いての小さな宴、一回、二回で満足できず、何回も催そうとし、規模も大きくしようとしました。当然、揃える食器、食材、どんな服装でお客を迎えるか、飽きられないように趣向を凝らそうとし始めます。
兄の収入で支え切れなくなってくるのは時間の問題でした。あの女が新しいドレスの仮縫いをしている間、兄が必死に働いているのを、平気で見ていられますか!
兄が高額の契約金で亜米利加合衆国に演奏に行くと決めて、あの女の所為だというのに、あの女は巴里に残ると言ったのです。あの女は兄の創り上げた美の女神なんかじゃありません。とんでもない金食い虫の厄介者です。
兄が亜米利加に旅立ってから、あの女が体調を崩したと聞いたので、わたしは好機だと、それまで考えていた計画を実行しました。あの女を快く思っていない兄の友人の手を借りて、あの女の兄が為に借りていた家の家主と交渉して、契約を解除し、家具も何もかも引き取れる物は引き取り、売れる物は売り払えるように手続きをしました。
「あなたの戻る家はなくなりました。出ていってちょうだい」
こうしてわたしはヘルツ家の疫病神を追い出しました。勿論わたしだって多少の情はありますわ。それまで兄から買い与えられたあの女の衣装や宝飾品の幾らかは残してやって荷造りしてやりましたとも。三個くらいの旅行鞄にまとめてやって、それと一緒に玄関先に放り出しました。
その後あの女が救護院なり、修道院に入れば、わたしも反省しましたけれど、そうはなりませんでした。あの女は前の仕事に戻りました。
兄が亜米利加から戻ってくる頃には、イングランドの倫敦で、ロードなんとかって貴族の愛人になって大層羽振りのいい暮らしをしているって、噂が巴里に流れてくるようになっていました。
兄からは責められましたが、エレーヌはそういう女なんです。兄と正式に結婚しなくて、本当にさいわいでした。
え? わたし? ご覧の通り今でも独り身です。