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駐仏プロイセン大使、ロベルト・フォン・デア・ゴルツ伯爵の語る

 私がオットー・フォン・ビスマルクの後任の大使に任命されて巴里に赴いた頃には、ゲオルク――ノイブランデンブルク伯爵の洗礼名だ――が囲っている高級娼婦の屋敷は竣工していた。

 巴里に着任後に早速招待されたから、噂の場所に行った。何もかもが一級品の素材で構成された建物に調度品、まばゆい輝きを放つ貴石や金の細工が壁や階段の手すり、扉の把手などあちこちに施されていて、細部にまで凝った屋敷だった。巴里で整備しはじめられていた水道も備え付け、中世的な豪奢な気分と現代風の快適さの双方を兼ね備えていた。

 ゲオルクは私よりも十ほど年少だが、ゲオルクが囲っている高級娼婦は、聞くところによると私と同じくらいの年齢だという。しわ一つない滑らかな肌の持ち主で、女は化けると感心したが、二人並んでいる所を見ると、やはりゲオルクよりは年上だと判った。

 娼館と変わらぬと陰口を叩かれた猥雑な催しは改めたようだが、それでも多くの客を招いての晩餐会を好むのは変わらないのだと、ゲオルクは語っていた。

「ヘレーネの名ばかりの夫が自殺したのだから、彼の女とはいつでも結婚できる。私はそのつもりでいる。なかなか彼の女が承諾してくれない」

「プロイセンの、それも随分東にある君の領地に引っ込んでしまうよりも、巴里でこうして派手に暮らしている方が好きなんだろうよ。

 普通、囲われている女性が旦那の機嫌を気にするが、君の方が囲い者の顔色を気にしているようだ」

 ゲオルクは自嘲気味に口の端を上げた。

 どこの生まれとも知れず、これまでの所業も感心しかねる、それも後嗣を得るのを期待できそうもない年齢の女性と結婚したいとは、ゲオルクが理解できなかった。

 ゲオルクがヘレーネと呼ぶ名前が本名なのかどうか怪しい。ノイブランデンブルク伯爵家の家名の重さを考えたら、一族が元高級娼婦を妻にするのを大反対するのは目に見えている。だからラ・ペルピニャンの通り名の女性は結婚を承諾しないのだろうと、深く考えはしなかった。

 だが、彼の女と話をしていて、オペラ゠コミック座のボックス席を年間購入していて、それがフランス皇妃の向かい側に当たると聞いて、心底驚いた。

 彼の女はいい旦那を捕まえて贅沢三昧ができればいい、若しくはその旦那と結婚して捨てられる心配がなくなればいい程度の願望の持ち主ではなかった。日々の糧を得、また暮らしを上向きにする為に自分の体や感情を切り売りし、それを蔑まれてきた経験から、由緒ある家系の貴族を虜にし、まるで金塊で太陽に対抗しようと、権勢や権威を金銭で購うのを何とも思っていないのだ。

 ラ・ペルピニャンがゲオルクと結び付くまで、どのような人生を送ってきたか知らない。ただ言えるのは、心身ともに傷付くことの多かった生活の中で、彼の女は自尊心を強く保ってきた。

 自らが傷付いて、立ち直る中で、他人の境遇を慮り、やさしく接しようとする人間がいる。しかし、軍人に例が多いが、自分は体だけでなく心もずたずたに傷付いたが生き延びた、だからほかの人間も憐みで接されなくても生き延びられる、同情はむしろ成長を妨げると信じる人間がいる。

 ラ・ペルピニャンは恐らく後者の種類の人間だ。今までのことを反省しろ、悔い改めよと説教されるよりも、ここまで昇りつめてこられた自分の飽くなき努力と向上心を賛美せよと、顔を上げ、胸を張る。

 多分、彼の女の自尊心を満足させる成果が何か加われば、ゲオルクと結婚して、巴里で堂々と伯爵夫人を名乗り、プロイセンに凱旋するだろうと、推測した。事実そうなった。

 好きにはなれないが、称賛はしよう。

 ゲオルクの顔を立てる為にこの屋敷での招待はなるべく受けるし、私が行けない時は代理を行かせると決めた。

 ゲオルクの為だけではなかった。ラ・ペルピニャンの屋敷には我々在仏のプロイセン人が招待されるが、主な客は地元のフランス人、それも政府要人や雑誌記者などの情報通だった。宮廷に伺候して得られる情報だけでは足りない、補足できる裏話、意外な人脈、様々掘りだせる場所、毛嫌いして避け続けていては仕事に不都合。上手く利用させてもらった。ラ・ペルピニャンはフランス皇妃や取り巻きの貴婦人方の悪口が大好きで、彼の女を喜ばせようと、スペイン出身の皇妃は皇帝ナポレオン3世の浮気に角を生やしているくせに、軍人の誰それがお気に入りらしい、某侯爵夫人はあの男爵と通じているらしい、と客たちがペラペラと教えてくれた。こちらは軍人の誰それやあの男爵の名前を覚えて、損はなかった。また、ラ・ペルピニャンは男の仕事上の愚痴を聞いてやるのに嫌な素振りはしなかったし、巧みに組織の泣き所を探り出す質問をした。オルレアン家からボナパルト家に支配者が変わっても、ピアニストと婚約していた時期に受けた屈辱を忘れず、フランスの宮廷やそれに連なる上流階級を見返してやりたい、勿論ゲオルクや我々を利すると意識があってのことだろう。フランス人たちが酒に酔ってお喋りをしているうちは、後に普仏戦争が起こり、巴里がプロイセン軍に包囲され、巴里市民が飢えに苛まれるなど、誰も予想しえなかったことだ。

 そう、普仏戦争でナポレオン3世が戦場で白旗を揚げて捕虜となり、皇妃はフランス革命期の王妃の二の舞になるのを恐れて、慌ててイングランドに亡命し、プロイセンのゲオルクの領地に避難していたヘレーネはその報を聞いて小踊りした。

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