1_6 メリアドール
メリアドールは夢を見た。
少し前に、ダリオと話した夢を。
「あいつはな、人を助けるために生まれたような男なんだ」
ロクジンはヤスカ地方の出身であり、道場の跡取り息子だった。『炎凰流』は素手の武術であり、武器を持てない下級市民に護身の手段として親しまれていた。
一生をそこで終えるはずだったロクジンがオスティアまで来たのは、父が一家を連れて移り住んで来たからだ。村は貧しく門下生は少なく、とてもではないが生活を維持していけなくなった。そこで彼の父は一旗揚げるためにここにやってきた。
オスティアでは義勇兵を募集しており、適正さえあれば精霊を宿すことも可能だった。戦況はそれほどまでに逼迫していた。
しかし。
「あいつの父親は精霊に愛されなかった。あの一族は魔力が薄いんだ」
すぐそこまで帝国兵が迫っている状況、さすがに悪意を持って力を与えなかったとは考えられない。ロクジンの父は武術の力のみをもって戦場に向かった。
「そして呪法爆弾が炸裂し――街がめちゃくちゃになって。王も、貴族も、騎士も、そうでないものも。分け隔てなくみんな死んだ。そして彼は帰って来なかった」
戦後の混乱期、ロクジンは人々を助けるため駆け回った。
東へ、西へ、それは父を探してなのかもしれない。
いずれにせよ、それは実らなかったが。
「あいつが金を受け取りたがらないのは、父から受け継いだ清貧の教えゆえだろう。いや、もしかしたら……自分の命を軽視しているのかもしれない」
ダリオは遠い昔を見るかのように、虚空に目を向けながら言った。
「ロクジンがキミを見る目は、他の人間を見る目とは少し違っているように思えるんだ。もしかしたら、キミが今の捨て鉢な彼を変えてくれるとね……」
※※※
静謐な闇の中、メリアドールは目を覚ました。あの後、ロクジンは食事を出し、風呂まで提供した。返すものがない彼女はただただ、深々と頭を下げた。
道場の真ん中に敷かれた布団。
目を覚ましても彼女はどこまでも続く闇と静寂を楽しんだ。
暮らしていた帝都では、こんな静けさは考えられなかったからだ。
(人は魔道科学によって光を手に入れた。でも……)
闇に身を浸す心地よさを知り、彼女は思う。
人は大切なものを置き去りにしたのではないかと。
(レアは無事でしょうか……いえ、彼女だけではない。
護衛の騎士も、操縦士も、皆どうなったのでしょう)
ほっと一息つくと、いろいろなことが頭をよぎる。例えば彼女と一緒に飛行機に乗っていた人々の安否。あの高さから落ちて無事でいること自体が奇跡、もしかしたら他に生存者はいないのかもしれない。しかし、彼女はいると信じたかった。
特に、侍従であるレアは長く彼女に付き従ってくれた忠臣で、決して欠くことの出来ない友でもあった。生きているのか、それとも死んでいるのか。安否を確かめたい。そしてもし生きていないのならば、安らかに埋葬したい。
(……もしかして、あの時襲い掛かってきたコープスの中に?)
一人として例外なく、死者はコープスとなる。
恐ろしい想像を、彼女は打ち消した。
(私がいなくなったことで、帝国はどうなっているのでしょう? 姉さん……)
メリアドールは旅立つ前のことを思い出した。
姉である第二皇女、ルリアとの会話を。
◎◎◎
「偉大なる兄はもういない。私たちが帝国を支えていくしかないの」
ルリアは鋭い目を向けて言った。背は男のように高く、ハスキーな声と豪胆な性格から『姫将軍』ともあだ名される女性。しかしメリアドールは彼女の、厳しさの裏に秘めた優しさをよく知っていたから懐いていた。
「あなたが自分の身に余ると思っていることは分かっている。
だからこそ言う……逃げ出してはいけませんよ。あなたは皇女なのだから」
「はい、姉さま。マドラサ皇帝の名に恥じぬよう、精一杯職務に当たります」
なるべく、内心の恐れを表さないようにして言った。
声も、肩も震えていたが。
そんなメリアドールの様子を見て、ルリアは微笑んだ。
「大丈夫。あなたは賢い子。必ずや我々の思いを彼らに運んでくれるでしょう」
ルリアは化粧箱をメリアドールに差し出す。
彼女が選んだアクセサリーが入ったものだ。
「私のコレクションを少しあなたに分けてあげる。
人はまず見た目から、相手の目を奪いなさい。
あなたの本当の強さを見せるのは、そのあとでいいから……」
◎◎◎
風を切る音が何度も聞こえた。目を開けると、薄っすらと陽が指していた。気付かないうちに、時間が過ぎていたらしい。メリアドールは体を起こす。
(ダリオさんは、私に何をさせようとしているのでしょうか)
常識的に考えれば、会って一日しか経っていない人間が人の何かを変えることはあり得ない。ダリオが何を期待しているのか、彼女には分からない。
(あの拙い説得で何か期待をさせてしまったのでしょうか。
もしそうならば、悪いことをしてしまいました……)
そう考えている間も、風切り音は止まない。何かあったのだろうか、と彼女は立ち上がり、ロクジンから借りた着物の前を押さえながら道場の窓を開いた。
陽光に照らされ、ロクジンが舞う。
否、型を繰り返している。
右手を突き出した構え。
右で攻撃を払い左で踏み込みながら一撃。
怯んで距離を取ろうとした相手に二段蹴り。
残心、その後裏拳。
後方から迫る敵に対処する。
舞うように、踊るように。
玉のような汗に月光が反射し煌めく。
(ああ、なんて……綺麗な動きなんだろう)
しばし、メリアドールはそれに見惚れた。
(彼がどんなことを考えているのかはわからないけど……でも、いい人です)
自分の命を助けてくれた。
自分のために働いてくれた。
何の見返りもないのに。
しばらくの間、静かな時が流れた。
やがてロクジンは彼女の姿に気付く。
「おはよう。まだ早いと思うけど……寝心地が悪かったかな?」
「いえ、そんなんじゃありません。
助けていただいた上に、住む場所まで与えられて……
それで不満なんて、あるわけありません」
メリアドールは満々の笑みを浮かべて言った。
ロクジンは顔を逸らし、頬を掻く。
「……一日この街で過ごしてみて、どう思った?」
「私は……」
少しの間、彼女は考えた。
顔を伏せ、そして言う。
「私はやるべきことが……やらなければいけないことがありました。
でも、それを重荷に感じていました。私には出来ない、と。
だからここに落ちて来た時、正直嬉しかった」
「いまはどうなの?」
「以前よりもやるべきことを……やらなければならないことを。
はっきりと認識しました」
顔を上げ、まっすぐロクジンを見据えた。
「私は帝国に帰りたい。帰って、やらなければならないことがあるから」
強い決意を秘めた言葉。ロクジンはしばし逡巡した。
「この街から出るのは容易なことじゃない。呪法汚染のせいでオスティア周辺には《呪い溜まり》が出来ている。生きたものが通れば、たちどころに死んでしまう猛毒だ」
「でも帝国通貨を使っているということは、流通がある。街の中でやり取りをするだけなら、物々交換でもいいはずですから」
「そうだね。専属の《輸送屋》がいる。でもあいつらは金、ふんだくってくるからね」
腕を組み、うーんと唸って考える。
「……ここでの生活が長くなるかもしれないから、金を稼いで悪いことはない。今日の調子なら、みんなキミのことを拒絶することはないはずだ」
パン、とロクジンは拳を打ち付け合った。
「キミは仕事をして金を稼ぐ。俺はキミの面倒を見るように言われているから、それを手伝う。この街から出ていくために……」
「手伝って、いただけるんですか?」
「……まあ、乗りかかった舟だからな」
鍛錬を終えた後だからか、ロクジンの頬は赤みをさしている。
「……ありがとうございます! ロクジンさん!」
メリアドールは思う。ここにきてから助けられてばかりだと。
(なら例え短い間でも、私はロクジンさんの助けになりたい)
そう彼女は、小さな決意をした。