1-4 魔導士殺し
《魔導士殺し》ロクジンは息を殺し裏口の戸に耳をつけ、中の音を聞いた。メリアドールが引きつけているからか、二人は遠く、一人は近い。彼に気付いている様子はない。
メリアドールは聞いた。
《魔導士殺し》ロクジンがどれ程優れた力を持っているかと。
メリアドールの無邪気な、しかし残酷な質問が木霊する。
「逆だよ、リア。俺は、何もないからこそ魔導士を殺せるんだ」
ひとりごち、呼吸を整えた。
鍵はかかっていない。ロクジンは扉を蹴り開けた。
ロクジンは全神経を集中し、周囲を知覚した。
泥の中を歩むかのように周囲の時間が鈍化する。
信じられないような顔をして彼を見るアウル。
振り返るスール、ツール。
まだ何もわかっていない店主夫婦。
アウルが信じられないのも当然だ。彼は自分の持つ微弱な魔力を「飛ばし」、その反響を探っていたのだ。生きとし生けるもの、ありとあらゆる生物は魔力を持つ。魔法使いは一流の戦士であると同時に、卓越した斥候でもある。
しかし、極稀に魔力を持たずに生まれる人間がいる。
存在しないものを、魔法使いは探知出来ない。
動揺は一瞬。
その一瞬だけがロクジンの勝機。
アウルとの間には店の旦那が挟まっている。一応、後方奇襲を警戒していたのだろう。両足で床を蹴り跳躍、天井をの梁を掴み、ロクジンは反動をつけてアウルに向けて矢のように飛んだ。ロクジンの両足がアウルの肩にめり込む。
「ぐむっ……!」
鎖骨の折れる音と、くぐもった悲鳴を上げてアウルが倒れた。ロクジンは倒れたアウルを下敷きにして着地、身を低く沈める。スールとツールからは、ちょうど真ん中のテーブルを挟んで視線を遮るような形になる。
「兄者ー!?」
いち早く反応したのはツールだった。彼の腕が鞭のようにしなり、掌を起点として紅蓮の炎が生まれ、腕を這った。炎は彼の手を離れ、テーブルめがけて飛んでいく。炎がテーブルと接触した瞬間、大爆発が起こった。
「兄者、少しは加減をしてくれ!」
「おお、すまんスール! しかし兄者を助けねば!」
スールは腕を広げて風の魔法を行使。荒れ狂う風が壁となり、飛散したテーブルの破片から二人を守った。一方、遮蔽を失ったロクジンは爆炎と煙に紛れて駆け出した。二人と違い、ロクジンには身を守る術がない。だから破片をまともに食らいいくつも傷が出来ていた。
呻き声を上げようとする体をロクジンは強いて動かした。
止まればその瞬間終わる。
ロクジンは床を蹴り、側方の壁を蹴りツールに三角飛びの要領で躍りかかる。
蹴られた壁がえぐれ、衝撃で棚が揺れて小物が落ちた。とっさにツールは右腕を掲げて防御しようとするが、加速のついた蹴りをそう簡単に受け止めることは出来ない。骨の軋む音が聞こえ、ツールが悲鳴を上げ、引っ張られるようにして店の奥に吹っ飛んでいった。
「兄者ー! ええい、おのれ! 一度ならずして二度までもーッ!」
スールが両腕を突き出す。
風の魔法は目に見えず、対応がし辛い。
しかし、ロクジンは大気の微妙な揺らぎを探知していた。
どっしりと構え、風の攻撃を迎え撃つ。ロクジンは弧を描くようにして腕を回し、風の攻撃を受け流した。円運動によって大気がかき乱されたのだ。続けて、頭部を粉砕せんと放たれた風の槌を、半歩分状態を逸らしてかわす。
「バカなーッ!?」
必殺の攻撃を避けられ、ツールは目を見開いた。次なる魔法を練ろうとした両腕をロクジンは払い、がら空きになった胴体に目にもとまらぬ単打を叩きこむ。
ツールの体がくの字に折れた。
瞬間、ロクジンは呼吸を整え力を溜める。
「『五行連弾』」
鼻、喉、胸、腹、股間を、ロクジンは一瞬にして打ち抜いた。駆け巡る衝撃が全身でぶつかり合い、その威力は倍増。ツールは全身を震わせながらどしゃりと倒れた。
「き、さ、ま……よくも、兄者と、弟者を……!」
吹き飛ばされたスールが首筋を抑えながら、よろよろと立ち上がる。息も絶え絶え、目の焦点もあっていないが、殺意はある。
彼は全身に魔力を漲らせていた。怒りのままに力を振るい、この家ごとロクジンを燃やし尽くさんばかりの勢いだ。
遮るものは何もない。一歩ロクジンは踏み出した。
溜めの隙を突き、とどめの一撃を繰り出そうとした、その時。
ロクジンは石造りの床を踏み抜いていた。それほど強い力で踏んだわけではない、自分の足元が脆くなっていたのだ。
「アウルの罠か――!?」
土魔法の使い手は土、砂利、岩といった、自然の岩石を自在に操る力を持つ。それは家の土壁や床石などにも有効だが、不思議なことに人の手で加工されたものほど魔力を通し難くなる性質がある。平原などでは強い力を発揮するが、都市部では難しい。
だから、都市で戦う土魔法使いは時間をかけて罠を作ることを好む。
例えば床を脆くして体勢を崩したり、特定のトリガーで発動し壁を変形させるようにする、などだ。ロクジンの受けた攻撃がまさにそれで、そして致命的なものだった。
「やばっ……!」
武術の基本は踏み込みだ。
腕だけでパンチを打つことは出来ない。
ただぶつかるだけでは相手を倒せない。
力を込めず放ったキックでは何も壊せない。
踏み込みの力を十全に伝えてこそ、武術は真価を発揮する。
そして生身の人間であるロクジンにとって、足場は何より重要なものだった。
「死ねぇっ、兄弟の仇ィーッ!」
「ロクジンさん、伏せてください!」
スールとメリアドールが同時に叫んだ。ロクジンは崩れる体勢を更に自分から崩し、床に倒れ込んだ。必殺の魔力が叩きつけられる、まさにその瞬間。
四発の銃声が同時に響き、スールが背中から倒れた。
「……すげ」
ロクジンは一部始終を目撃していた。メリアドールが放った弾が、ほとんど外れることなく、正確に同じ場所に着弾する様を。
両肩をそれぞれ二発ずつ撃ち抜かれ、スールは絶叫を挙げてのたうち回った。致命傷には程遠いだろうが、腕を振るい魔法を使うことはもう出来なさそうだった。
「……助かった」
立ち上がり、服の埃を払いながら、ロクジンは噛み締めた。
生き残った喜びを。