1-3 人質交渉
市街地の片隅にある、ありふれた二階建てのアパートメントを張り詰めた空気が包み込んだ。殺風景な土壁の建物で、一階を店舗として、二階を住居として使っている。店には売上金が蓄えられており、犯人はそれを狙ってきたものと思われる――
商工会の自警団が周囲を封鎖し、封鎖戦の外には野次馬が殺到した。
店主を心配して、というより乏しい娯楽を補うためだろう。
人々の目には好奇が浮かんでいる。
「やめろ、近づくんじゃねえ! 手前らも巻き添え食らいてえか!」
店から罵声が飛ぶ。そしてカウンターの向こうから炎の玉も飛ぶ。野次馬たちは一目散に逃げ、風の魔法使いが被害を出さないよう障壁を張った。空中で火球が炸裂し、焦げ臭い匂いがあたりに漂う。
「店の中には少なくとも三人の賊がいると、遠見の魔法が使える水魔法使いが確認している。それから店の中には経営者夫婦が人質として残されている、という証言を客から得ている。相手は殺気立っていて、非常に危険な状態だ」
その現場から少し離れて、行商のテントを借りた対策本部が開かれていた。そこを取り仕切っているのは自警団の幹部、ダリオ。真一文字に結ばれた口元、浅黒く日焼けした肌、無造作に伸ばされた無精髭。筋骨隆々とした男はこれだけでも威圧感たっぷりだが、それを更に際立たせているのが左目に刻まれた生々しい刀傷だ。
ダリオを筆頭に他数名の団員と、ロクジン、メリアドールがここにいた。
「こんな強盗団が、この街にはいるのですね……」
「死なずにこうして救出方法を勘案出来ているだけ、幸運と言わざるを得ない」
ダリオは外見から想像するよりも高い声で言った。
「表には鎧戸がかけられるようになっている、だがいまは開かれている。閉じれば相手としても逃げ場がなくなるから、当然だろう。裏口もある」
「二階から入ることは出来ないのかな?」
「そちらの方はすべて閉じられている。飛び移っても外から開けるのは難しいだろう」
「相手がどういう魔法使いか、そういう情報は入ってきているのかな?」
「現在、団員が情報を収集中だ。全く知らない顔というわけではないらしいから、ほどなく正体も判明することだろう」
ダリオは一拍間をおいて。
「《魔導士殺し》ロクジンの出番というわけだ」
「《魔導士殺し》……? そんなにすごい魔法が使えるんですか、ロクジンさん?」
「御大層なあだ名をつけてもらったんだ。まあやるよ、やるけどどうするかね」
ロクジンと団員たちがああでもない、こうでもないと言い合う中、メリアドールは静かに店を見つめた。過酷なオスティアの現実、その集大成がここにあるような気がした。
(日々の糧を得るため、人々を傷つける……)
この現実を変えるために、自分は何ができるだろうか?
足は震える。しかし。
メリアドールはやることを決めた。
「ロクジンさん、ダリオさん。私が彼らの気を引きます」
※※
それから少しもたたないうちに、相手の素性が判明した。札付きのワルで、いたるところで問題を起こしていたからだ。
アウル、ツール、スールの三兄弟。神権国家ルーナの出で、地元では僧兵をしていたと嘯いている。しかし、彼らが聖句の一つでも詠んでいるのを見たものは、いない。
帝国との戦争では武功を挙げるために田舎から出てきた。基本的に殺生を禁じられている聖職者だが、唯一信仰の敵に対してはあらゆる武力を使うことを許されている。そして地母神の敵を倒すものは、あらゆる罪を許され未来永劫の安息を約束されるという。
そういう事情で来た彼らが未だ故郷に戻れていないのは武功を挙げていないからか、あるいは何か別の事情があるのか――例えばこうして強盗に精を出すような――、それが分かるものはいない。
分かっているのは長男アウルが土の精霊と、ツールが火の精霊と、スールが風の精霊と契約を交わし、魔法使いとなったことだ。精霊とは下位の神々であり、僧兵や下級騎士など、魔法の力を武力として期待されるものたちに回されるものだ。
相手が恐るべき熟練の魔法使いであることに変わりはない。
だから自警団も攻めあぐねている。
そんな相手を前にして、メリアドールは怯まなかった。
「待てい、小娘! それ以上近寄るでない!」
ドスの効いた声が店内から聞こえてきた。
それでもメリアドールは止まらない。
突如として風が吹くのを彼女は感じた。スールの風魔法、吹き荒れた風がメリアドールを切り刻む。しかし全身に傷を作りながらも、メリアドールは止まらなかった。
「私はあなたたちを傷つけに来たのではありません!
話をしに来ました、矛を収めなさい!」
凛とした声があたりに響く。
メリアドールは薄暗い店の中を見られる位置まで歩き、そこで堂々と立ち止まった。
(怖い)
内心は恐れていた。
それでも、立ち向かう気概が勝った。
(私がしなければならなかったのは……こういうことだ)
自分は使節として旅立った。
その結果が何を生むか、想像したこともなかった。
スケールは違えど、今していることはそれと同じだ。
言葉を交わし、望む結果を引き出す。
失敗すれば、誰かが傷つけられる。
対面するからこそ分かるリアルな現実。
(私に出来ることがあるならば……私は、全力でそうする)
店の正面には二本の柱があり、その間にカウンターがある。部屋の真ん中には小物を置くためのテーブルがあり、両脇の棚には所狭しと雑貨が並んでいる。
柱には身を隠すようにして二人の男が立っていた。薄汚いローブを纏った、あまり特徴のない外見だが、この二人のどちらかがツールであり、スールであることに間違いはない。長男アウルは彼らよりも一回り背が高いからだ。
アウルは店の奥、従業員通路の方に立ち店主夫婦を油断なく見張っている。両手にはナイフを持ち、いつでも振れる体勢になっている。
「小娘! 何のつもりか知らんがそこで止まれ、そして帰れ!
我々は本気だ、貴様が下手な動きをすればこの女も死ぬしお前も死ぬ」
アウルの言葉は鋭い。
決して躊躇いなくそうするだろう。
しかしメリアドールもまた、負けじと声を張り上げた。
「もしその方を手にかけるようなことがあれば、あなたの魂は穢れ永遠に地獄を彷徨う!」
「な、なんだと!?」
柱の隅から声が上がった。アウルは沈黙を保っているが、少なくとも弟二人は言葉を聞く気があると判断。メリアドールは畳みかけるように言葉を重ねた。
「ルーナ新約聖典第七章三節にはこうある!
『神の敵は一切合切を打ち倒せ。さすればそなたに安息が与えられん』と!
しかし四章五節にはこうある、『例え異教を信じるものであろうとも罪なき者を殺めれば、その罪は汝に跳ね返るであろう』と!」
「グムーッ」
アウルのうめき声が聞こえてきた。
これは教義に関わる問答の中でも一般的で、かつ難解とされるものだ。誰を殺し、誰を助けるべきか。聖典はそれを定めているのか。そして何より、己の行いは神の意志に沿う神事なのか。それとも唾棄すべき殺人であるのか。常にルーナ教徒はそれを気にする。
(よし、これでいい。揺さぶれる。相手は心のない化け物じゃない)
場の雰囲気に気圧されながらも、メリアドールは手応えを掴んでいた。
「善良な商人を殺すことの、どこが神の意志に適うと言うのですか!
あなたたちは――」
「黙らっしゃい!」
しかし、それは突如として店の奥から響いたアウルの一喝で遮られた。
「よいか、商人が作るのは何だ? 金だ。人の意志を縛る、汚れた偶像だ」
「それは――」
「ルーナの神は実在するもののみ、偶像は神に非ず、人を惑わす悪魔なり!
惑わすものを滅ぼすこと、それすなわち神への捧げものに他ならない!」
無茶苦茶な理論だ。ならば、そこを襲い金を奪おうとしている自分たちは何なのか。
しかしそんな穴だらけの理論でも、二人を納得させるには十分だったようだ。
「そうだ! 俺は神のために戦っているんだ!」
「さすが兄貴、完璧な信仰だ!」
誰もが信仰を完全に理解しているわけではない。
理解していても敬虔な信仰を持っているわけではない。
メリアドールは単純な真理を知った。
そして彼女がどう思っていようとも、やるべきことはやっていた。
メリアドールが表に意識を引きつけている間に、ロクジンが裏口から飛び込んだのだ。