7-1 オスティア決戦
震える腕を胸元まで上げ、ボロボロになった剣の切っ先を突きつける。その先にあるのは、無傷の黒鎧。
対するダリオは右目が潰れ、全身に擦過傷。鎧はひしゃげて役に立たなくなり、特に腹の部分が大きくへこんでいる。彼は口から血を噴いていた。
すでに仲間は倒れ、彼のほかに立つものはなし。あるものは鉄の拳に砕かれ、あるものは黒炎に焼かれ、またあるものは剣で貫かれている。自警団の中核をなすメンバー、その多くがこの戦場に散っていった。
ああそれでも、とダリオは思う。
一分、一秒、一瞬を稼げばどれだけ多くの人々を逃がすことが出来るだろう。ここでした行いは決して、無駄ではないのだ。そう考えなければ、いまにも足が萎え、倒れてしまいそうだった。
「貴様の忌々しい努力はすべてが無駄だ」
対するルリアは、人差し指をダリオに向けてマドラサの言葉で挑発する。
「オスティアのゴミどもはすべて焼却する」
ダリオにはその言葉が分からない。
だから何を言われても気にしない。
いや、少しだけわかる。
侮蔑のニュアンスを多く含んでいることが。
ダリオは全身全霊で地を蹴った。満身創痍の肉体から迸っているとは思えないほどの力。十メートルはあった距離を一瞬にして詰め、ダリオは渾身の突きを放った。
剣先が胸甲とぶつかり合う。
甲高い音があがった。
剣が少しだけめり込み――折れた。
カウンターとばかりに、ルリアはダリオの首根っこを掴んだ。そしてそのまま持ち上げ、宙づりにした。もはやもがく力もないダリオは、枝肉のように反動でぶらぶらと揺れた。
「分かるか、お前の無力さが」
兜の中で、ルリアは口元を邪悪に歪めた。
「神の、名の、もとに……」
ルリアが触れた箇所から、黒炎が吹き上がる。瞬く間に炎がダリオの体を包み込み、皮膚を焼き肉を焦がし骨を溶かす。数秒のうちに、ダリオは黒い炭になって消えた。
宙づりの姿勢のまま、ルリアはしばらく動かなかった。不意に、顔を左側に向けてみる。何もない、虚空を彼女は睨んでいた。
「……ふんっ。最後の最後で、何を言ったかと思えば……」
ふっ、と息を吐いたかと思うと、堰を切ったようにゲラゲラと声をあげて笑い出した。狂っている。その場にいた誰もがそう思いながらも、口にはしなかった。
「……さあ、我々を邪魔するものはもういない。進軍だ、わが軍よ」
そしていきなり笑うのをやめて、仲間の方に向き直った。今度は正気の声だったが、果たしてそれがルリアがいま正気で要ることを意味するのかは誰にも分からなかった。
ルリアは無傷だったが、他の黒鎧には少なからず傷やへこみ、欠損が見受けられた。同じ戦いをして、より強い相手と戦っているはずなのに、この違いは何なのかと、騎士たちは内心で首をひねった。
「メリアドールを捕え、私の前に引っ立てろ。それ以外の人間は焼け。ここを前線基地とする」
騎士団がざわめいた。
「名分は必要ない。我々が必要とする、それこそが大義だ。オスティアは私たちのものだ」
ルリアの狂気に、反論出来るものはいなかった。
騎士たちは痛む体を引き摺りながら、黙々とオスティア市街地に向けて進んだ。途中、妨害するものは何もなかった。
「……なあ、俺たちはこのまま進んでいいのか?」
騎士の誰かがポツリと呟いた。
動揺は波紋のように広がり、対列全体がざわめいた。
「ルリア様からのご命令だ。従わぬわけにはいかんだろう」
戦闘を歩いていた騎士頭がぴしゃりと言うと、一旦は収まった。
「しかし……ルーナとの戦争で疲弊したからこそ、俺たちはこの事実上の休戦を受け入れたんじゃないですか? この黒鎧があるとはいえ、皆が皆戦いに耐えられるわけではない」
マドラサ帝国は満身創痍だった。
優秀な兵士は前線で散り、それらを統率する士官階級の人間も少なくなった。マドラサは教育と工学により人材の均一化を図ったが、それが実を結ぶまではまだ時間が必要だった。
急速な領地拡大による指揮系統の乱れ、統治と開拓のため占領地に飛ばされた人間の不満、発展とともに不足していく資源。マドラサは拡大と困窮という、大いなる矛盾に立ち向かわなければならなかった。
「私たちがすべきことは本当に……オスティアを占領することなのでしょうか?」
「黙れ!」
騎士頭が叫び、今度こそ話は終わった。
「進み続けねばならんのだ、マドラサは。
止まれば、もう二度と動き出すことは出来ん」
騎士たちの行軍は早く、数分のうちに市街地へとたどり着いた。静寂が支配する街、人っ子一人見当たらない。どこに行ったのか、騎士たちはあたりを警戒しながら進んだ。
しばらく歩くと、彼らは開けた場所に辿り着いた。両脇に建物がそびえ立つ、オスティアの中心市街地だ。
「なんだ、これは」
本来平坦であるはずの広場には、いくつもボコボコとした土くれの塊があった。まるでそれらが買い物をして、往来を横切っているかのように。
「これは……」
その時、土くれ――土塁の影から人の頭が飛び出した。それはブツブツと何事かを詠唱した。すると、顔の前に巨大な火球が現れる。
「――敵襲!」
言い終わる前に火球が放たれ、騎士頭が炎に飲み込まれた。




