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黄昏の銃姫  作者: クロイモリ
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0-1 堕ちた姫君

 高度二千メートル上空、鋼鉄の怪鳥が青空を舞う。

 双発式魔導エンジンが唸りを上げ、白い飛行機雲が尾を引いた。


 これこそがマドラサ帝国の技術の粋。

 魔導科学の力を示す象徴であり、帝国の威容と脅威を示すものであった。


 極東の辺境に過ぎなかったマドラサは、たった百年の間に大陸を併呑し世界最強の神聖国家の喉元に食らいつくまでに至った。すべては偉大なるカリスマである皇帝、そして才能あるものにしか扱えなかった魔法の力を国民一般に広く与え、皆兵を成し遂げたからこそ出来たものだ。


(しかし、繁栄の代償はあまりにも大きい……)


 第三皇女メリアドールは窓から外を見下ろし、物憂げにため息を吐いた。


 長く美しい金色の髪も、翡翠のように輝く大きな眼も、浅黒く張りのある健康的な肌も人目を引く。健康的な美を体現した少女、しかし今日、彼女が纏っているシックなドレスはまるで喪服のように見えた。


 彼女はいま、敵国でありかつての宗主国であった神権国家ルーナへの道程にあった。最新式の飛行機に乗っているのは帝国の力を示すためでもあるが身の安全を確保するためでもある。ルーナとはつい五年前まで血で血を洗う戦争を繰り広げていた中であり、現在はなし崩し的な休戦状態にあるが正式な停戦にはまだ至っていない。


(すべてはそう、マドラサが引き起こしてしまったこと)


 見下ろす大地に広がっているのは、果てしなく広がる都市の残骸。





 五年前のちょうど今日。後に《オスティアの悲劇》と呼ばれる事件があった。

 帝国軍が開発した三発の新型爆弾により、半島の国家一つが消滅したのだ。


 かつて、ルーナから南東に張り出した半島には小国があった。それがいまは跡形もなくなっている。大規模な魔力行使によって汚染された大地は、ルーナ・マドラサに繋がる陸地に《死者の海》と呼ばれる淀みが広がり、近付くだけで死人が出かねない状況になっている。


 休戦の原因は、これだ。侵攻ルートが寸断されてしまった。ルーナとマドラサの間には広い海があり、陸地の続く北側は険しい山脈と極寒の大地を越えなければならない。マドラサにとって半島は絶好の拠点となるはずだったし、ルーナにとっては絶対に守らなければならない場所だった。だから滅んだ。


 人的被害も大きい。ルーナ・マドラサ双方の兵士一万が一瞬にして消えたと言われている。その後の被害も含めれば更に増えるだろう。人々は――メリアドールも含めて――己が行いと、魔導科学の力に恐怖した。この戦いで帝国第一皇子ライオネルも戦死し、すっかり皇帝も戦いに倦んでしまった。


 だからこそ、今回停戦協定が結ばれる運びとなったことに誰もが喜んだ。


 当人であるメリアドールを除いては。


(……怖い)


 メリアドールは震えていた。これまで宮廷で暮らしてきた少女、ほとんど外の世界を見たこともない。ましてやルーナの人間を『合理的なところがまるでなく、感情に任せて生きる、野蛮な未開人』と教わってきたのだからなおさらだ。


 彼女とて勉学を収める身、それが偏見であることは分かっている。だがそれでも、呪法爆弾を落とした当事者である――彼女が落としたわけではもちろんないが――帝国人がルーナに向かうというのがどういうことかも分かる。


(なぜ兄様は私を特使として……)


 継承権のほぼない第三皇女が政治に携わる。これは異例なことだった。

 名誉というものもいるが、彼女自身にその喜びはない。

 もし逃げられるなら、このまま逃げてしまいたかった。


「姫様、いかがなさいましたか? 顔色が優れないようですが……」


 言われて、メリアドールははっと顔を上げた。

 窓に映っている自分の顔を見て、強張っていることにようやく気付いた。


「ありがとう、大丈夫です。

 少し緊張しているくらいの方が、かえっていいかもしれませんから」


 対面に座った侍従、レアにメリアドールは答えた。彼女もまたマドラサ人であり、幼い頃から付き合って来た親友でもある。レアの方もほっと胸を撫で下ろした。


 どうせ逃げられない。この鉄の塊が、自分の牢獄だ。






 そう思った時、飛行機が轟音を立てて揺れた。


「なんだ、機体にトラブルか!」


 護衛官を担う女騎士が立ち上がり、操縦席へと向かった。と、その時また機体が揺れた。今度は先ほどの揺れよりも遥かに強く、鍛え上げた騎士ですらも立っていられないほどの衝撃だった。メリアドールは座席にしがみついた。


 ふと目を外に向けた時、彼女は見た。


 鋼鉄の翼を切り裂く、神の姿を。


 そして次の瞬間機体が真っ二つに裂け、メリアドールは空中に投げ出された。


***


 どれほどの時間が経っただろうか。

 鈍い痛みを覚え、メリドールの意識が覚醒した。


「うっ……ここは? 私は、いったいどうなって――」


 体を起こすと、自分が機体の厚い天板の上に転がっていることに気付いた。周りを見回すと瓦礫の山だった。

 記憶が呼び起こされる。ルーナの最大兵力“神”が飛行機をずたずたに引き裂く様が。


「あれは……ルーナ側の攻撃?」


 違う、とメリアドールは直感した。そんなことをしたところでメリットはない。むしろ、両国で燻ぶっていた憎悪に火をつけるだけだろう。


「私は、オスティアの汚染地帯に落ちてしまったの……?」


 かつてここには国があり、人がいた。いまはどちらもない。


 ここはどこだ、と周囲を見渡し、自分が地下にいることに気付いた。あたりは薄暗く、頭上から降り注ぐ光とのコントラストによって、より暗く見える。周りの壁にはいくつかの棚があり、そこには棺が納められている。オスティアには地下墓地があり、ルーナに邪教と認定されたの信徒が死者の安息を願い建てたものがまだ残っていると聞いたことがあった。


 そして天井を見上げる。天井はごつごつしたドーム状であり、自然の洞窟を改装したものだと分かる。ドームの天辺には穴が開いており、更にそれを残骸が塞いでいる。


(機体がバラバラになるほどの衝撃を受けて……いえ、分厚い天井ドームを破るほどの衝撃を受けて、なぜ私は無事だったのでしょうか……?)


 早くここから出なければ。痛む体を強いて立ち上がったメリアドールは――背後から近付いて来る足音を聞いた。


 何か言葉をかけられた。彼女が普段使っているマドラサ帝国の言語、サイード語ではない。ルーナの言語だが、少し訛りがある。西方の出か。昔読んだ本の知識と、ルーナ人との交流により、メリアドールには彼の言葉が分かった。害意がないことも。


「あんた、大丈夫か? それに乗っていたのか? よく無事だったな……」


 そんな意味の、気遣うような、やさしい言葉だった。

 なぜここに人が。疑問に思いながらも、メリアドールは答える。


「ええ、どうして無事でいられるのか不思議なくらい。とても運がよかったのでしょうね」

「バラバラになったそれが、落ちて来たんだ。人がいるとは、まったく思わなかったよ」


 自分が乗っていた飛行機は空中で分解したのだと知って、メリアドールは戦慄した。最後に見た風を纏った神――あれが機体を引き裂いた。


「俺はロクジン。キミは?」

「私は……」一瞬考えてから「リア。リア・ルード」答えた。表裏はなさそうだが、自分の素性を晒していいとは思わなかった。

「さあ、立てるなら移動しよう。ここは危険だから」


 言われるまでもない。そう思っていた。



 だが危険の度合いは、彼女が考えていたものよりも一段階上のものだった。



 ベチャリ。

 粘度の高い液体を床に落としたような、そんな音がして、メリアドールは反射的に振り返った。



 そこに立っていたのは、人型だった。



 目があり、口がある。人の特徴を持っている。しかし、どうしても人とそれを呼びたくなかった。人型の黒い輪郭は絶えず揺らめいている、それは全身を覆う黒い粘液のせいだ。それが足を踏み出すたびに地面とぶつかり、あの音を立てているのだ。


 ひぃっ、とメリアドールは引きつった悲鳴を上げた。その声を聴いて、黒い人型がニィ、と意地悪く笑ったような気がした。ベチャリ、ベチャリとそれは一歩ずつ近づいてきて――三歩目を力強く踏み込み、弾丸のような勢いでメリアドールに突進してきた。


 メリアドールはそれを避けようとしたが、一瞬の遅れが致命的だった。怪人の腕はメリアドールの頭部を粉砕せんと勢いよく突き出される。


「『落鳳槌』」


 ロクジンの反応はそれより速かった。怪人が飛び出す前に力強く地面を踏み込んだ。メリアドールを飛び越すほど高く跳び上がり、空中で身を捻り一回転。回転の力を乗せた踵落としを、飛び掛かって来る怪人の頭に落とした。地面と頭が縫い付けられ、砕ける音があたりに響いた。


「大丈夫かい? ここは危険なんだ、さっきも言ったけど」

「これは……これは、いったい何なんですか……!?」

落人コープス。この街で死んだ人間は、みんなあんな姿になってしまうのさ」


 ベチャリ、ベチャリという音が次々聞こえた。いつの間にか集まってきたコープスが廃都のそこかしこから顔を出し、舌なめずりをしている。飛び掛かって来るコープスをロクジンは払い、殴り、蹴りつけた。まるで寄せ付けない。


 一方で、メリアドールも自分の身を守るために武器を取った。ドレスの袖に隠していたリボルバー――魔力によって生み出した衝撃により金属を叩き、高速射出する兵装――と、腰に下げていたサーベルを引き抜いた。武芸百般、皇女たるもの身につけていなければならなかったからだ。振るう刃がコープスを裁断し、弾丸が敵を穿つ。しかし数が多い、撃ち尽くした魔力莢を地面に落とし、交換しながら彼女は叫んだ。


「数が多過ぎます! どこかに……安全なところはないのですか!?」

「あるよ! こいつらは陽の光が好きじゃないみたいだから……東の二体、あいつらを倒して抜けよう!」


 次から次へと湧き出して来るコープス、しかし倒し続けたことで徐々にその圧力は弱まりつつあった。ロクジンは言うやいなや東に向けて走り出し、メリアドールもそれに続く。ロクジンは素早く左右に飛びコープスの動きを撹乱、距離を詰める。そして素早く死角に回り、強烈な掌打をコープスの顎先に叩き込んでその首を七百二十度回転させた。


 メリアドールはサーベルに取り付けられたトリガーを引く。それに呼応し柄頭に備えられた魔力石が輝き、刀身を魔力で覆う。彼女が剣を振るうと、斬撃が飛んだ。コープスは頭頂から股間にかけてを真っ二つに切り裂かれ倒れ、その死体はグズグズとした黒い、言い知れないものへと変わった。


 それらを踏み越えて、二人は走る。安全な世界へと。





 ――五年前の呪法爆弾爆発により、街は死の世界へと変わった。だがそれでも、生存者がいないわけではなかった。彼らは隔離され、いないものとして扱われても、それでも懸命に生きていた。ある時は飢餓に、ある時は暴力に、そしてある時はコープスの脅威に耐えながら。


 ここは廃都オスティア。

 かつて世界の楽園と呼ばれたオスティア共和国の成れの果て。

 この世の地獄であった。


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