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白き翼に誘われ  作者: 月龍波
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六翼:敗北より這い上がる

 ぼんやりと意識が徐々に戻っていくのを感じ取り、酷く重たく閉ざされた瞼をゆっくりと開けようとした時に体全体がとてつもなく重く感じる。

 まるで全身に体重以上の重りを括り付けている様だった。

 それでもあまり力の入らない体に鞭を打って瞼をこじ開けると、見知らぬ天井であった。


「……目覚めたか」

「…………」


 見知らぬ天井を見たと思えば今度は聞き覚えの無い男性の声だ。

 声がした方へと首を動かそうとしたが、それすらできない程に体が動かなかった。

 仕方なく視線だけ動かすと、その人物は直ぐ近くに居る事が分かり、容姿がはっきりと見えた。

 腰まで届く長い黒髪、その黒髪に隠れ片目だけ覗かせる瞳の色は血の様な紅。

 東洋の出身を思わせる青を基調とした着物、そして目を引くのは長大な大太刀だった。


「……貴方が助けてくれたんですか?」

「結果的にそうなる」


 なんとか絞り出した声で問うが、返された言葉は非常に淡泊なものであった。

 それでも気分を害さなかったのは一先ずは助かったという安堵からであろう。

 ようやく気分が落ち着くと、腹部に重みを今更ながら感じた。

 ラティエが自身の腹に両腕を置き、それを枕替わりとして寝ていた。


「その少女はお前にずっと神聖魔法(サンクチュアル)にて治癒していた。魔原(マナ)が尽きたのか今は寝ているがな」

「……そう、なんですか」

「あぁ。その少女が治癒を続けていなければ、あの瀕死の状態でたった一日で目を覚まさなかっただろう」

「一日……?!」


 ラティエがずっと神聖魔法(サンクチュアル)を使い自分に治癒を行ったことによる事で力尽きた事に罪悪感と共に胸がチクリと痛んだ。

 だが、それすらも吹き飛ばす程の言葉を彼が放ったことで、驚愕と共に跳ね起きようとしたが、体はそれを許さず一気に怠けが襲い掛かりため息をつきながらベッドに身をゆだねた。


「無理に動こうとしない方が良い。僅か一日で目を覚ましたのだ、傷は治っても体力は戻ってはいまい」

「……そのようですね」


 男の言葉にため息をつきながらエルは全身の力を抜き、諦めて天井を見やる。

 ようやく落ち着いたところで、この男がいったい何者なのかという疑問が浮かんだ。

 自身を助けて、今も敵意を感じない所から敵では無い事は分かるのではあるが。


「……あの、貴方の名前は?俺はエル=イクリティカって言います」

「……カルヴァ=ヴィエルジュ。ただの放流人だ」


 ただの放流人というには些か首を傾げるものがあった。

 今ベッドで彼を見ているが、壁に背を預けリラックスしているように見えて隙が全く見えない。

 おまけに放流人と名乗っている割には、腰に帯刀している大太刀が異様だった。

 そして最も気になるのが、彼から漂う血の臭いだ。

 濃くこびり付いた匂いではないものの、確かに臭うのだ。


 ――たぶん、何人かは殺しているだろうなぁ……。


 ただの推測にしかならないが、確信めいたものがエルの中で生じていた。

 だが、その中でも気になったのは黒騎士の存在だ。

 彼と黒騎士が対峙した時には自身は気を失っていた。

 戦いの結果は分からないが、自分が帝国に連れて行かれてないだろう事から彼が撃退したのだとは推測できる。

 問題は黒騎士と戦って彼が無傷ではないだろうことだ。


「あの、カルヴァさん。黒騎士はどうしたんですか?」

「……数合打ち合って奴自身から撤退した。理由は分からんがな」


 ――とりあえず無事みたいだけど、撤退……?


 カルヴァの言葉にエルは怪訝の表情を見せた。

 それほどまで彼が強かったからなのか、それとも別の思惑があったからなのか、どちらにしろ何故撤退したのかは分からない。

 結局何も分からないという事しか分からず、ため息をついて考えるのを止めた時に、腹の付近からモゾモゾと何かが動いた。

 そちらに目を向けると、今まで寝息を立てていたラティエがゆっくりと頭を持ち上げた。

 まだ眠気が強いのか、目は虚ろであり、指で瞼を擦っている。


「……おはよう、ラティエ」

「……エル?」


 声が聞こえ、彼の名を呟きながらラティエは虚ろの目のまま右に視線を向け、次に左へと視線を動かすが、彼の姿は見当たらず小首を傾げる。


「もう少し下だよ」


 苦笑と共に発せられた声の方へ向くと、少しだけ困ったような表情を浮かべたエルが見えた。

 その瞳と自身の瞳がぶつかり、数秒の間沈黙が流れた。

 ふと、意識が急激にはっきりとしたのか目を見開いた。


「エル!!」

「うん、おはよ――ゲフッ!?」


 大きな声で自身の名を呼ぶ彼女に苦笑を浮かべながら言葉を発するもそれは最後まで続かず、代わりに灰の中の空気を吐き出すように苦しそうな声を上げた。

 原因は彼女が自身に飛びかかり、鳩尾の付近へ衝撃を受けたからだった。


「エル……良かった……」

「……心配かけてごめん」


 腹の鈍痛と共に首筋に暖かい物が零れる。

 絞り出すような彼女の声に、体が動かないエルはただ謝る事しかできなかった。


 ※


 アルファ大陸オリオニス地方より更に北へ進んだところにタウリ地方が存在する。

 そこにはアル・ジャウザというベテルギウス帝国首都が存在する最重要地であった。

 アル・ジャウザの中央にそびえ立つ塔の様な城はまるで天を目指すかのように高い。

 その城の中でも重要区域である【上層部(アッパーヤード)】にガシャリと響くような金属音が鳴った。

 全身を継ぎ目が無い鎧の様なもので覆われた人物、黒騎士が【上層部(アッパーヤード)】内を歩いている、と思えばそこを通り過ぎ、階段を更に登っていく。

 そこから先は城の中でも最重要区域に値する【皇族居区(ロードヤード)】であった。

 そこへの入り口を守護する全身鎧に身を固めた二人の兵士は近づく足音に警戒を強め、矛槍を握るその手の力を強めた。

 しかし、黒騎士の姿が露わとなると警戒心を解いて敬礼を行った。


「ご苦労」


 向けられる敬礼に返礼をせず、短く黒騎士が言うと、全身鎧の二人は直ぐに【皇族居区(ロードヤード)】へと繋がる扉を開けて黒騎士を向かい入れた。

 普通であれば【皇族居区(ロードヤード)】に足を踏み入る事が許されるのは、皇族か侯爵以上の上級貴族のみである。

 しかし、万を超える帝国軍の頂点に立ち、皇族の護衛を担う【四覇将(しはしょう)】は例外だ。

 その一である黒騎士はいわば軍団長に等しい権力を持つ者であり【皇族居区(ロードヤード)】へ踏み込むことは容易であった。

 開けられた堅牢な扉を潜り、黒騎士は再度歩き始める。

 元々静かな【上層部(アッパーヤード)】よりも静寂である【皇族居区(ロードヤード)】は無音に等しく、唯一音が聞こえるとすれば黒騎士が歩くたびに発する鎧の音であった。


「おやおやぁ、黒騎士殿のご帰還でございますかぁ?」


 不意に鎧の音以外に新たな音が聞こえた。

 それは人を小馬鹿にしたような男の声音であり、聞く者の神経を逆撫でするようであった。

 その声を耳に入れると、黒騎士は歩みを止め僅かに顎を持ち上げる。


「……スクッラか、何様だ」

「いえいえ、黒騎士殿が帰還されたと耳に入りまして、労いのお言葉でもと」


 背後から聞こえる声に振り返らず、黒騎士は低い声を漏らす。

 それは僅かながら、否、明らかな敵意を込められたものであった。

 だが、スクッラと呼ばれた男は向けられる敵意に対し飄々とした様子で姿を見せながら変わらず言葉を発するが、黒騎士からは鼻で笑う様な息遣いであった。


「微塵にも思って無い癖に労りの言葉だと?笑わせるな、道化」

「その名の通り、笑われるのが道化(私め)の仕事ですから。あ、今上手い事言った、アヒャーハッハッハッハ!!」


 道化師の様な衣服を身に包み、顔にメイクを施した男は自身の発した言葉に一人で笑い声を上げて静寂な【皇族居区(ロードヤード)】内を響かせた。

 それに対して黒騎士はただ冷めた目で見やるだけであった。

 自らの名前を道化師とするこの男を黒騎士は好意など抱いておらず、むしろ嫌悪していた。

 かく言うも、この男はベテルギウス帝国の【四覇将(しはしょう)】の一人であり、そして帝国史上最悪の男であるからだ。

 帝国の行う天使狩り、その筆頭とも言えるのがスクッラであり、その手にかけた天使は既に百人は超えるとも言われている。


 そして天使狩り以外にも虐殺を好み、村や町を滅ぼした回数は断トツである。

 非公式の情報であれば、川に毒を流した、捕虜の兵士を人体実験の材料もしくは気まぐれに拷問を掛ける、あげくには自身の部下ごと敵兵を魔術で殲滅するなど黒い噂が絶えない。

 その様な事から帝国内での人望は皆無に等しく、何故【四覇将(しはしょう)】に在住し続けられるのか疑問視する声が絶えなかった。

 だがそれらの黒い噂はあくまでも非公式であり、【四覇将(しはしょう)】の任命はベテルギウス皇帝が一任する者である事から、皇帝自身が任命を解く以外に誰であろうと何もできない。


「……用が無いのであれば、私は行くぞ」

「あっとっと……ちょぉっとお聞きしたいことが有るのですが?」

「……いったい何だ」


 未だに一人で笑い続けるスクッラを鬱陶しく感じたのか、黒騎士はその場から離れようとするが、前を塞ぐように気味が悪いほどぬるりと移動したスックラに足が止まる。

 言葉と共に纏わりつくように肩に手を置くスクッラに黒騎士は忌々し気に振り払う。


「黒騎士殿が仕留め損なうとは、相手はそんなにお強い方でしたのかな?」


 ぬるりとした声色で耳元から囁かれる言葉に、黒騎士の纏う雰囲気がガラリと変わった。

 常に周りの熱を奪う様な雰囲気を纏う黒騎士だが、それが更に強くなったかのようにも思える。


「……どういう意味だ?」

「いえいえ、今日の黒騎士殿からは血の臭いがあまりしませんので……仕留め損なったのかなぁ? っと思いまして、ねぇ?」

「虐殺を楽しむ貴様と一緒にしないで貰おう。今日の出撃は馬鹿者の尻拭いに過ぎん、血の臭いなど付かん」

「アヒャーッハッハッハ! それはそうでした、失礼ぶっこきました! ではでは、私めはこれにて失礼」


 黒騎士の言い様に何がツボに入ったのかは不明だが、目の前の道化はさぞ愉快そうに声高らかに笑い声を再度響かせた。

 そして納得するかのような事を言いながら、額を自身の手でペシッと良い音がなるくらいに叩くと、スキップするかのような足取りでその場から離れていく。


 ――気味の悪い道化め……いったい何が目的だ……。


 口には出さないながらも、その胸中にはスクッラに対しての疑念が蠢いていた。

 だが、いくら考えたところで行動原理が一切不明なのは長い付き合いで分かっている為、結局は何も分からない。

 ため息をつきたくなるのを堪え、黒騎士は今度こそ歩みを進めた。


「――ふっふっふぅん……黒騎士ちゃぁん。何を考えているのか知らないけど、あまりおいたが過ぎると痛い目に合うだけよぉん?」


 とある物陰にボウッと姿を現せ、道化は黒騎士の背中を見やりながら呟く。

 声音こそ笑っているものの、その目は笑っておらず、道端に落ちているチリを見る様な冷たいものであった。



 ※


「よし、行くか」


 宿の室内でエルは身支度を整え、オープンフィンガーグローブを装着して意気込む。

 あれから更に一日の時間が経ち、ラティエの献身的な介護もあったからか体が動く程度には回復したようだった。


「エル、本当に大丈夫?」


 彼の隣でラティエが心配そうに見上げながら言う。

 その声を聴いて、どう答えた物かと考えるが、体自体も激しい運動などを行わない限りは大丈夫だろうと結論付けた。

 考えを纏め終わって、エルは微笑を浮かべながら彼女の頭を優しく撫でた。


「大丈夫、此処からはアクイラエ王国の領土に入るんだ。大きな戦闘とかは無いと思う」


 昨日に確認を取ったが、此処は関所の中に存在する宿屋で、意識を失った後にラティエが自身を関所まで運ぼうとしたが、彼女の細腕では上手くいかず見かねたカルヴァが此処まで運んだらしい。

 当のカルヴァは既に宿から出て行ったようで、部屋には居ない。

 エルの言葉に一応の納得をしたのか、ラティエの顔から不安の色が消える。

 それを確認したエルは、彼女の手を取り共に部屋を出る。

 階段を下りて受付の所まで足を運ぶと、宿の主人が二人を見かけて声をかける。


「やあ、兄ちゃん。もう大丈夫なのかい?」

「はい、何とか動けるくらいには。お騒がせしました」

「いや、良いんだよ。血まみれで運ばれてきた時は度胆を抜かれたけどね。その子ずっと泣きそうな顔していたんだから、あまり彼女を心配させたらダメだよ?」


 主人の言葉に二人は同時に顔を赤くさせるが、ラティエは泣きそうな顔をしていたという部分で、エルは彼女という部分という違いがあったが。

 不意を突かれたに等しい言葉を受けながら、エルは口ごもりながらそれに返す。


「は、はぁ……気を付けます。それとこの子は彼女じゃないです」

「おや、そうなのかい。そういえばよく見れば少し似ているな。兄妹かい?」

「ははは……兄妹でもないんですよ」

「ふむ、そうか」


 村に居た頃でも自身とラティエは似ていると言われていたが、どうやら他人からすれば相当似ているのだろう。

 以前に水面に映る自身の顔と彼女の顔を見比べたが、どうもしっくりと来ていなかった。

 とはいえ世の中には自分に似た他人は五万と居ると聞いた事がある為、そういう類だろうとエルは思う事にしたところで一つ重要な事を思い出した。


「あ、すみません。御代は幾らですか?入るときにはこの子が渡したと思いますけど、超過分がまだだと思ったんで」

「あぁ、金なら大丈夫だよ。もう出て行っちまったけど、長い刀を持ったお兄さんに纏めて貰ったから」


 主人の言葉にエルは目を丸くさせ、ラティエの方へと見やる。


「え……? ラティエ、俺の財布から払ったんじゃないのか?」

「うん。払おうとしたんだけど、カルヴァさんが纏めて払っちゃって」

「すみません。その人が出て行ってどれくらいですか?」

「うん、君たちが下りてくるつい三分ほど前だよ」


 ――三分前なら、まだそこまで遠くに行っていないか?


 今から追いかければ追いつくだろうと、エルは確信して足先を宿の出入り口へと向けた。


「ありがとうございます。行こう、ラティエ」

「うん」

「気を付けるんだぞ」


 店主にお礼を言い、ラティエへと向き直り出発を告げると、彼女は微笑を浮かべて頷いた。

 歩を進めるのと同時に店主の声が背中越しに聞きながら出入り口を開ける。

 戸を開けた瞬間に朝日が差し込み、自身とラティエを照らした。

 柔らかくそれでいて暖かな優しい光に目を細めると、横から自身に声を掛けられた。


「……来たか」


 エル達に声を掛けたのは出発したと思われたカルヴァだった。

 彼は宿の壁に背を預け、目を閉じながら静かに佇んでいた。

 宿から出て数秒しか経っていないが、声を掛けられるまで彼の存在に気付かなかった事もあり、エルは目を丸くさせてカルヴァを見やった。


「カルヴァさん。俺達を待っていたんですか?」

「……そのつもりはなかったが、厄介な事になっているようでな」


 言葉の意味を理解できず眉間に皺を寄せていると、カルヴァはとある方向に顎で指した。

 そちらへと目を向けると、アルタイル地方を繋ぐ門がある。

 だがそこには商人らしき人物が数人と門を警護する兵士が話し合っている。

 こちらからでは会話の内容までは聞こえないが、表情からして深刻そうな雰囲気が漂っている。


「何かあったのかな?」

「かもね……ラティエ少し待っていて」


 小首を傾げながら言うラティエに反しながら、エルは一人商人たちの元へと向かう。


 ――なるほど、厄介な事ってこれの事か。


 つい先ほどカルヴァの言葉の意味を少しだけ理解すると同時に嫌な予感がしてままならない。

 しかし、状況を把握するには彼等に接触を試みなければどうしようもないため、そのまま商人達の輪に入っていく。


「すみません、どうしたんですか?」


 突如乱入してきたエルに商人達は何事かとざわついた。

 しかし、エルの外見が若い事と雰囲気からただ単に自身達が集まっている事に興味を持っただけだと確信すると、一人が困ったような表情を浮かべて口を開く。


「あぁ、実はアルタイル地方への門が封鎖されていてね……」

「門が封鎖!?」


 今まさにアルタイル大陸へと向かう予定であったエルにとっては商人の言葉は寝耳に水も良いところであった。

 それとは別に商人達が門の前で立ち往生をしている理由もなんとなく分かっていた。

 この商人達は自身と同じでアルタイル地域に行く予定だったのだろう、だが何らかの理由で門が封鎖され此処で立ち往生を強いられる形となっているのだ。


「……いったい、何が原因で門が封鎖されたのですか?」

「あぁ、此処の警備兵さん曰く今この門の近くまで【ヘッドレス】が出現したみたいなんだ。それで危険だからってアルタイル地方に行くことができないんだ。参っちまうよ……」

「そうですか、分かりました。貴重な情報ありがとうございます」

「いやいや、気にしないでくれ」


 ある程度必要だと思われる情報を聞き出せた所でエルは話してくれた商人に対して頭を下げお礼を言う。

 商人は苦笑を漏らしながら手を振り、再び仲間達と話し合いを始めた。

 それを見計らい、エルはその輪から離れ宿屋の近くまで戻る事にする。


 ――【ヘッドレス】か……聞いたことが無いな。カルヴァさんに聞けば何かわかるだろうか……。


 はたして、何も関係ないカルヴァが話してくれるか怪しいところではあったが、エルが戻るなり待っていたラティエとその場で動かなかったカルヴァは一斉にエルへと視線を向けた。


「エル、どうだった?」

「それが……」


 エルが戻るなり、彼の近くに歩み寄りながらラティエは様子を伺う様に問うと、彼は少し表情を暗くさせながら近くに居るカルヴァにも聞こえるように事の内容を離し始めた。

 内容自体は単純な為、情報を伝える事には苦労は無かったが、目的地であるアルタイル地方へと通じる門が封鎖されているという事実にラティエは少しばかりか表情を暗くさせた。

 その中で反応を示したのはカルヴァであった。


「……【ヘッドレス】か。この時期では珍しい魔物が出没しているな」

「どういう事ですか?」

「【ヘッドレス】というのは巨人型の魔物の一体で、その名もとおり首から上、つまり頭部が無い巨人族だ。しかし、何らかの器官で獲物を察知する事には普通の巨人族よりも得意で巨人族特有の力も持ち合わせている厄介な魔物だ」


 カルヴァの説明を聞いている内にエルもこの事態がかなり異常だと言う事が理解できた。

 そもそも【ヘッドレス】はこの地域に出没はしても、それは冬の時期であるため、春である今の時期に出現するのはおかしい事だった。

 ただの異常種と見れる可能性も拭えないが、判断材料が少ないため断言できないでいた。

 どちらにしても今現状で分かっていることは、【ヘッドレス】がこの付近より立ち退かない限りは此処で足止めを食らうままであるという事であった。


「それで、お前はどうするつもりだ?そこの少女から聞いたが、お前達は急いでアルタイル地方に向かう必要があるのだろう?」


 カルヴァの問いにエルは素直に首を縦に振り肯定した。

 黒騎士と戦っていた所を見られているのだから隠す意味は無い事なく、逆を言えば早くアルタイル地方に足を踏み入れなければいつ帝国の追手が来るか分からないからだった。

 直ぐにでも出発をしたいが、目の前の障害で足止めを余儀なくされている現状にイラついているのか、左足のつま先がせわしく何度も地を叩いているのが見えた。

 そんな様子を見たカルヴァは呆れでため息が出そうになるのを堪え、エルに問うた。


「そんなに急ぐのであれば討伐するか?」

「……そうしたいのは山々ですが、この関所でそれを行う人はいないでしょう。俺一人で倒せると思うほど自惚れてはいないつもりですし、ラティエを危険な目に合わせるわけにもいきません」


 苦虫を噛み潰したような表情と共に、諦念に似たような感情と共に静かに言うエルに彼はどこか納得した様子で息を漏らす。

 それについてエルは怪訝な表情で首を傾げた。


「ならば、私が手を貸そう」


 突然のカルヴァの申し出にエルは目を丸くさせ、ラティエは少し驚いたような表情で彼を見やる。


「どうした?急いでいるのだろう?」

「いや、一緒に戦ってくれるのは嬉しいですけど、どうして?」


 黒騎士と戦って無傷であった彼ならば【ヘッドレス】と戦うには頼もしい戦力になる事は確実であり、願ってもいない事であったが目的が不明すぎる。

 自分達の宿代を肩代わりしただけでなく、傍で付き添うように居てくれたことも何もかもが不明だ。

 そんなエルの心境を読み取ったのか、カルヴァは鼻で笑うかのように息遣いを漏らす。


「私もアルタイル地方に用があるのでな。急いではいないとはいえ早く移動する事には越したことはないという事だ」

「つまり、利害が一致しているから手を貸すと?」

「そうだ。それにその娘は神聖魔術(サンクチュアル)が扱える。お前も含め戦力的には申し分ないはずだ」


 そう問われ、エルは再び思考を巡らせる。

 恐らく自身が足手纏いになる可能性は否めないが、カルヴァが居れば【ヘッドレス】の討伐は可能だろう。

 自身は一刻も早くアクイラエ王国に行く必要がある。

 その点で言えば、カルヴァもアルタイル地方を目指している事からもお互いの利害関係は一致している。


「……ラティエ、君はどうしたい?」


 自分だけの判断では決めかねないと判断したのか、エルはラティエに判断を求めるかのように彼女に問う。

 自身に話を振られた事にラティエは少しだけ目を丸くさせるが、少しだけ考える素振りを見せてからエルの目を真っ直ぐと見やった。


「……【ヘッドレス】がこのままいると、あそこの商人さんだけじゃなくて、此処の人達も困るんだよね?」

「うん? そうなるの……かな」

「だったら、私達で何とかできるなら私は何とかしてあげたい」


 自分達の事について聞いたはずなのに、他人の事に視点を寄せた言葉にエルは苦笑を漏らす。

 黒騎士に敗北してから、自身の中に生じた焦りが大きすぎてそこまで考えを巡らせる事が出来なかった程に思考が固まっていたのかと思うと、少しだけ恥ずかしく感じた。


 ――そうだな、どうせなら皆助かる方向で行くのが良いな。


 自身の中で考えが纏まり、エルは改めてカルヴァの目を真っ直ぐと見据えた。


「俺もアルタイル地方に行くために、此処で足止めを食らう訳にはいかない」

「……言葉と裏腹に、前提が変わっているようだが、良いんだな?」

「はい。どうせなら皆が助かる方向で行こうと思います。だからカルヴァさん、力を貸してください」

「請け負った」


 改めてカルヴァの助力を得る事ができたエルは二人を連れて、アルタイル地方へと繋がる門へと歩み始めた。

 未だに商人達は門の前で話し込んでおり、その表情から諦観に満ちていた。

 傍に居る警備兵も事情が分かっているがどうしようもないといった様子であったが、エルはそれに気にせずにその者の前に立った。


「あの、すみません。俺達三人を通してくれませんか?」

「な、なに言っているんだい。さっきそこの商人達から聞いたように門の先に【ヘッドレス】が居て危険なんだ」

「えぇ、ですから俺達で【ヘッドレス】を討伐しに行きます」


 突如のエルの言葉に警備兵だけでなく、話を聞いていた商人達からもどよめきが生じる。

【ヘッドレス】という危険な魔物をたった三人で討伐するなど危険な事この上ない事から無理もないが、エルとしては知った事ではなかった。


「君、悪い事言わないから止めた方が良い。【ヘッドレス】をたった三人で討伐するなど聞いたことが無い」

「すみませんが、俺達は此処で足止めを食らう訳にはいかないんです。心配せずとも此処から誰かの手を借りるつもりはありません」


 エルの妙な自信がどこから来るのか、彼にはまったく理解できなかった。

 どうしたものかと、判断を決めかねているとエルの後ろからカルヴァが前に出た。


「心配せずとも腕には自信がある。我々だけでも通して貰えないだろうか」

「あ、貴方は……分かりました。お気をつけて」


 カルヴァが語りかけると、警備兵は彼を見て驚愕の表情を浮かべた。

 そして、数秒の沈黙を挟んでから彼は門を動かし人が一人通り抜けられる程度の隙間を作るとカルヴァは通り過ぎながら礼を言った。

 エルとラティエも彼の後を追う様に通り抜けると、門は静かに閉まっていった。


「カルヴァさん、あの警備兵の人と知り合いですか?」

「いや、少なくとも私は彼を知らんな」

「へぇ……」


 とりあえず納得を示す反応を現すが、どうみても警備兵はカルヴァの事を知っている様子であった。

 そこのあたりがかなり気になるが、それにかまけている時間は無かった。

 自身達の前方に焦げ茶の体毛を隙間なく生やした巨大な人影が見えた。

 人間で言う頭部が存在せず、首の根本付近にそこだけポッカリと丸い空洞が存在し、鋭く尖った牙がズラリと並んだ異形の巨人【ヘッドレス】が存在していた。


 ――初めて見たが、確かにでかいな……。


 目測で図っても、【ヘッドレス】は自身の三倍はあろうかという身長に、腕一本は人の二倍ほどの太さを持っている。

 あのような腕で殴られれば一堪りもないだろう。


「……準備は良いか?」


 スラリと大太刀を抜刀したカルヴァは横目でエルを見やりながら問いかけた。

 声と視線に気が付くと、エルも長剣を抜刀し目付きを鋭くさせる。


「えぇ、行きましょう。ラティエ、援護を頼む」

「うん……!」


 戦闘準備が整い、エルとカルヴァはゆっくりと【ヘッドレス】へと歩み寄り、ラティエはその二人から少し離れながらついて行った。

 自身に近づく物音が聞こえたのか、【ヘッドレス】はエルとカルヴァを見つけるや、咆哮を上げ威嚇する。

 とてつもない声量の咆哮は多少離れている位置でも、ビリビリと肌を刺激するような威圧感を放っていた。

 その瞬間には二人は魔原(マナ)を開放し肉体強化を施し、駆け出した。


「私が囮を務める。娘は少年を主に補助しろ。少年は隙を見て攻撃しろ」

「分かりました」

「娘じゃなくて、ラティエだよ!」


 短く指示を飛ばしながら、彼は【ヘッドレス】の正面へと突撃する。

 名前で呼ばなかった事に不満があるのか、頬を膨らませながら反論するラティエは手に魔原を集中させ、赤い光を生み出しシャープネスをエルに施した。

 エル自体はそれに気にする時間がないため、肉体強化を受けて自身から見て左側へ回り込むように走り出した。


【ヘッドレス】がまず初めに目を付けたのは正面から来るカルヴァであった。

 迫りくる小さな影に向かい、拳を振り下ろすと地面がひび割れ、土埃が舞った。

 しかし、舞ったのは土埃だけであり、人を叩き潰したら弾けるはずの赤い液体が存在しない。

 それもそのはずであり、カルヴァは既に拳を回避しており、地に打ちつけた拳のすぐ横へと立っていた。

 そして彼が大太刀を構え、振るうと無数の剣閃が走り体毛と共に赤黒い液体が周囲に舞う。

 だがダメージがさほど無いのか、斬られた腕を振るい始めるのを察したカルヴァは瞬時にその場から離脱する。

 それはまるで消える様な速度であり、腕は彼を捉える事はなく、お返しとばかりにまたもや無数の剣閃が腕に走った。


 ――凄いな……太刀筋もそうだけど、動きが今の俺の目で追える気がしない。


 その光景を間近で目撃していたエルは感嘆を浮かべながらも自身も攻撃へと移り、狙うのは足であった。

 デカい物はその自重を支える足が弱点だというのは分かっていたからだった。

 剣が一番威力が発揮する距離まで接近すると、今持てる限りの全力を込めてエルは剣を振るった。

 振るったのだが、その結果は体毛を飛ばすだけであり、肉を切るような感触は無かった。


 ――体毛が想像以上に濃くて剣が届かない!?


 明らかに自身の腕力不足が原因で体毛を斬り飛ばすだけに終わり、エルは危険を察知しその場から直ぐに離れた。

 その予感は正しく、自身が居たところに巨大な腕が通り過ぎ、そのままいれば弾き飛ばされていたのは確実だった。


「チッ……」


 舌打ちの音を響かせながらエルは再度、足へ攻撃を加えるべく動き出した。

 自身が手こずっている間にもカルヴァは剣撃を【ヘッドレス】に放っており、遅れる訳にはいかなかった。


 ――あまりよろしくないな。


 その様子を一瞥したカルヴァは口では言わないものの、心の中でポツリと呟いた。

【ヘッドレス】の体毛は分厚く、量も面積も多い事から剣の威力が削げやすい。

 見る限りでは肉まで切れてなくとも体毛を何本も斬り飛ばしているのは握っている長剣が超一級の代物であるからであろう。

 腕力の問題か、剣の振るい方の問題なのかは分からないが、それをうまく扱えていないのは明白であった。

 部位の狙い方も良い判断であるところから宝の持ち腐れまで言わずとも、もったいなく感じる。


 一番駄目だと思えるのは、先程から伝わってくるエルの焦りだった。

 あのような精神状態では自身の持つ力の半分も出せないであろう。

 今、エルが再度接近しようと巨体の周りを素早く移動し、それを援護するかのようにラティエが光弾を放っているが効果が薄く見える。

 カルヴァが潮時かと思い、一人で討伐する事を視野に入れ始めた瞬間、エルが動きだした。


「クソッ!」


 悪態を付きながら、エルは飛び上がりながら剣を【ヘッドレス】の足へと突き刺した。

 刃が肉を突きたてる感触は確かに感じ、剣の真ん中まで突き刺さっていた。

 しかし、巨体である【ヘッドレス】には蚊が刺した程度にしか感じていないのか、そのまま巨体を動かした。


「うわっ!?」

「エル!」


 突き刺した足を持ち上げられた事に、剣を握ったままであるエルは必然的に振り回される形となった。

 エルへの誤射を恐れたのか、ラティエは光弾を放つ事が出来ずにいる。

 その中、カルヴァはエルの救出を考え、動き出すが目の前に巨腕が目の前に迫っていた。


「チッ……」


 舌打ちの音を響かせながら足へと魔原(マナ)を集中させ、爆発的な瞬発力を生み出して消える様に巨腕を回避する。

 回避する事には成功したが、再び降り立ったのはラティエからそう遠くもない位置であり【ヘッドレス】から多少離れた距離であった。

 巨体は獲物を見失ったからなのか、先程よりも更に暴れだし、その動きに合わせエルも更に振り回されている。


「くっ……このっ!」


 振り回されながらエルは剣を握る力を込め、刃を押し出すかのように力を加えた。

 次に聞こえたのは湿り気を伴う引きちぎるかのような音と巨体から発せられる咆哮とは違う悲鳴に似たようなものだった。

 元々恐ろしい程までの切れ味を誇るエルの剣だからなのか、中から引き裂きながら剣を抜くことが成功したようだった。

 放り出されたエルは、引き裂いた足から赤黒い液体が地に落ちていくのを見ながら空中で身を捩り、二人の傍まで着地した。


「エル……よかった」

「今のは良い判断だったな。【ヘッドレス】にも確かなダメージを与えただろう」


 ラティエの安堵の声とカルヴァの賞賛はエルに確かに届いているはずだった。

 だが、エルは着地した時の片膝を付いた姿勢のまま動こうとせず、答えようとしなかった。

 二人が怪訝に思い彼の顔を覗くと、そこには脂汗を浮かべながら苦悶の表情を浮かべていた。


「グッ……うぅ……!」

「エル!?」


 呻き声を上げながら腹付近を右手で抑える姿にラティエは驚愕の表情と共に彼の名を叫んだ。

 彼の抑え付けている個所は白い布地を侵食するかのようにジワジワと広がるように赤く染まっていき、止まる様子が見えなかった。

【ヘッドレス】に振り回された事と高所からの着地の影響で塞がっていたはずの傷が開いたのが直ぐに分かった。


「……お前はよくやった。そこでじっとしていろ。娘、少年に治癒を施してやれ」

「もう、娘じゃなくてラティエだって!」


 これ以上エルが戦闘を行う事が厳しいと判断したカルヴァは直ぐにラティエに指示を飛ばす。

 彼女から抗議の声が聞こえるが、彼は無視して疾風の様に駆け出した。

 それにため息をついたラティエは直ぐ様に魔原(マナ)を集中させエルに治癒魔術を施した。


「ハァッ……! クソッ、蹲っている暇などないのに……!」


 彼女の神聖魔術(サンクチュアル)によって少しは楽になったのか、大きく息を吐き出しながらエルは口惜しそう言葉を吐き出した。

 痛ましい姿に彼女は思わず彼の顔を見るが、直ぐに神聖魔術(サンクチュアル)のコントロールに意識を向ける。

【ヘッドレス】の咆哮と、大太刀が振るわれる音を聞きながら、暫くしてラティエの手から発光が消えた。

 治癒魔術が終わったのか、エルは具合を確かめるように右手を握っては開き、十分に体が動くことを確信した。

 直ぐに戦闘に加わろうとしたところで、直ぐ傍にいる彼女が地に手をついて荒い呼吸を上げているのが見えた。


「ラ、ラティエ?!」

「はぁ……はぁ……ごめんね……少し疲れたから、少しだけ休ませて……」


 苦しそうに顔を歪め、息を切らせながら言葉を紡ぐ彼女の姿にエルはようやく察した。

 自身が倒れてからずっと神聖魔術(サンクチュアル)で治癒を行い、動けるまでに回復させ、先も魔原(マナ)で作り出した光弾で援護し、今は自分に治癒魔術を施した彼女の中の魔原(マナ)が底を付き始めたのだ。


「……君を守ると言っておきながら、この様か。全く、自分が嫌になる……」


 自身の迂闊さに自嘲気味に呟くエルだったが、自身の裾を引っ張られる感触を覚えた。

 この場でそんな事をできるのはラティエしかおらず、彼女の方へと見やると、彼女は未だに自身を心配するような表情を向けていた。


「エル、さっきからどうしたの? エルらしくないよ?」

「俺……らしくない?」


 ラティエの言っている意味が分からず、おうむ返しの様に聞き返すと彼女は頷いた。


「黒騎士って人に負けて、あの魔物と戦い始めてからだよ。どうしてそんなに焦っているの?」

「…………」


 ラティエの問いに直ぐに答えられず、言葉を詰まらせた。

 原因自体は既に分かっているのだろうが、上手く言葉に出せそうになかった。


「自分が弱いと思ったり思われたりされるままなのが嫌なの?」

「ッ……ラティエには、バレていたのかな?」


 図星を付かれた事になのか、エルは表情を引きつらせながら問うが、それに対して帰ってきた彼女の反応は、首を横に振る事だった。


「私はエルじゃないから、エルがどんなに悔しく思っているのか完璧には分からないよ。でも今のエルは何か違って嫌だな」

「……そんなに?」

「うん。さっきの商人さん達を助けると言ってたエルの方がらしいよ。だからカルヴァさんもこうして今も助けてくれるんじゃないかな?」


 ラティエの言葉をずっと聞いていて、エルは改めて思い返す。

 黒騎士に負けて悔しい思いをしたのは事実で、このままで居たくない事とカルヴァに敵わずとも足手纏いになりたくない一心でさっきから戦っていた。

 だが、実際はそうあろうとした結果がこの様であった。


 ――皆を助けると言ってた方が俺らしいか……。


 彼女に言われたことを心で繰り返し、一つ息を吐き出すと、急に先程までの自分が馬鹿馬鹿しく感じ、苦笑が漏れた。


「確かに、そうかもな。ありがとうラティエ」

「ん……」


 一度ラティエへと視線を戻し、彼女の頭を優しく撫でてエルは口を開いた。

 撫でられる感触が心地いいのか、ラティエ目を目を細めて小さく息を漏らす。

 撫で終えたエルはゆっくりと立ち上がり、剣を握り直した。


「ラティエ、そこで休んでいて。あのうるさいのを黙らせてくるから」

「うん、無茶しないで」




 エルが立ち直る直前に、状況は大きく変わっていた。

 今しがた大太刀を振り抜き、【ヘッドレス】の左の巨腕を大きく斬り裂いた。

 切断までは至らずとも、それまでにかなりのダメージを与え続けたのか、巨体からは細かく赤黒い液体が流れ、息遣いも荒い。

 対するカルヴァは、気迫は変わらないが若干の疲労が見え始めていた。


 ――やはり一人は少々手こずるな。


 エルがまだ戦えるのであればまだ余裕をもっていられたであろうが、あの様子ではそれは期待できない。

 これ以上無駄に体力を消費する事は良く思えず、そろそろ本気で仕留めに掛かる頃かと思い始めた時、自身に近づいてくる気配を感じ取った。


「……じっとしていろと言ったはずだぞ」

「生憎、恩人が目の前で戦っているのにじっとしているのは性に合わないんですよ」


 軽口を叩きながら言うエルに、先程までと纏う気配が変わった事をカルヴァは感じ取った。

 なにが理由なのか分からないが、色々と吹っ切れたのだろうと推測した。


「……行けるな?」

「えぇ、行けます」


 カルヴァの問いにエルは返答すると共に、魔原を放出させる。

 経過した時間から既にラティエが施したシャープネスの効力は切れているが、それを気にしていない様子であった。


「ならば仕留めるぞ。奴は手負いだが、それ故に何があるか分からん。気を抜くな」

「分かりました」


 エルが了承すると共に、二人はその場から左右に分かれて駆け出した。

 先程と同じようにカルヴァが囮を務める様であったが、【ヘッドレス】は最初から彼にしか目が無いのか、まだダメージが大きくない右の巨腕を彼に向けて振るった。

 しかし戦い初めて時間も経ち、何度も攻撃の対象となっていたからか、彼は既に【ヘッドレス】の動きを見切っていた。


「遅いな」


 そう呟いたカルヴァは僅かに移動するだけで巨腕を避け、お返しと言わんばかりに大太刀を振るう。

 無数の剣閃が巨腕に走る中、エルは剣を構えながらさっきまで自分が挑んでいた足へと向かう。


 ――見よう見まねだけど、やれるか?


 そんな事を思いながらもエルは剣を握り直した。

 だが両腕だけ魔原(マナ)の肉体強化を施す事を止め、脚部に集中的に強化している状態だった。

【ヘッドレス】との距離が縮まり、一番威力が発揮する距離に踏み込んだ瞬間にエルは剣を振るう。

 振るうと同時に体内の魔原(マナ)をコントロールし、それまで脚部を強化していたものと使っていない魔原(マナ)()()()()()()()()()()()

 その結果は体毛と共に肉を斬り裂く湿った音、そこから噴き出る赤黒い鮮血と【ヘッドレス】の叫びだった。

 エルが斬り裂いた足は深く抉るような傷跡を生み出し、自重を支える事が出来なくなったのか巨体は遂に膝を付いた。


「やれた……?」


 自身が生み出した切り傷を見ながら、エルはそれに若干の驚きを交えながら呟いた。

 その光景を見ていたカルヴァは、ただ感心が浮かび上がっていた。


 ――私の戦い方をあれだけで理解し実行するか、元々筋が良いのか。


 体内の魔原(マナ)を必要な個所にのみ注ぎ込む、先ほどエルが取った行動だった。

 全身を強化するよりも一点に集中して強化する方が威力が高い事は当たり前であるが、戦闘中という極限の状態で瞬時に魔原(マナ)の流れを変えるのは難しい。

 それをマグレであろうと何であろう実現できたのは凄まじい適応力だった。

 先程までと全く違うエルに何がそこまで変えたのか不思議に思い、試しに白髪の少女へと目を向けると、彼女は安堵したような笑みを浮かべていた。

 その理由に納得を得た彼は、更に追撃するかのように自身も大太刀を振るった。

 動きが制限された巨体などただの的でしかあらず、彼の剣撃は巨体の隅々まで剣閃が走った。


 慌ててエルもそれに続くように剣を振るい、カルヴァの剣閃と共に【ヘッドレス】の肉体を削り取っていった。

 しかしやられるだけではいかなかったのか、【ヘッドレス】は深く抉れた右腕を無理やり動かし我武者羅に振るった。

 その先には剣を振るっているエルの姿があり、彼が気付いた時には既に眼前に迫っていた。

 そしてカルヴァが気付いた時には既に自身の速度をもってしても助ける事は叶わない状況であった。


 ――冗談じゃない、此処で終わるわけにはいかない!


 巨腕がエルに触れる寸前に彼の体から閃光が発し、膨大な魔原(マナ)が放出された。

 噴き出た魔原(マナ)に押し入られるように巨腕は弾き飛ばされ、この空間が一瞬沈黙した。


「はあああっ!!」


昇華(エンゲージ)】を発動させたエルは剣に魔原(マナ)を纏わせ巨腕に向けて振るうと、剣は紙を切るように容易く人間の倍以上の太さを持つ腕を斬り飛ばす。


 ――あの力は、なんだ……?


 絶体絶命の状態にあった少年が発光したと思えば、後ろの少女と同じ、純白の髪に変化したと思えば、【ヘッドレス】の腕を斬り飛ばしていた。

 驚愕と共に混乱するには十分すぎて、自身も思わず動きを止めていた。


「カルヴァさん!!」


 エルの呼びかけに我に返ったカルヴァは大太刀をゆっくりと振り払うと最大限の魔原(マナ)を放出し始めた。

 最大まで肉体強化を施した瞬間に彼が動き出すと、その姿は蜃気楼かのように消える。

 一陣の風が吹き抜けた、そう感じた瞬間にカルヴァは【ヘッドレス】の背後へと姿を現した。

 時が止まったかのように動かない巨体に目をくれず、彼は大太刀を鞘へとゆっくりと収めていく。


「……刹羅(せつら)


 そう呟くと同時に大太刀を完全に納刀し、唾鳴りの音を響かせると時が動き出したかのように巨体から無数の剣閃が同時生じた。

 次の瞬間には周りを薙ぎ払うかの様なカマイタチが生じ、【ヘッドレス】の肉体を四散させた。


「――ふぅ……」


 目の前で確かに【ヘッドレス】の肉体が弾け飛んだ事を見たエルは戦いが終わったことに安堵の息を漏らした。

 その瞬間に【昇華(エンゲージ)】が終了し、自身の髪の色が元の色へと戻った。


「いたたたっ!?」


昇華(エンゲージ)】が終了した後に起こる全身の激痛を忘れていたエルは、痛みに驚きながらその場で蹲る。

 それを見ていたラティエは直ぐにエルの元に駆け寄り、彼に声を掛ける。


「エル、大丈夫?」

「う、うん……今回は短いからか、少し休めば大丈夫そうだ」


 ラティエの問いにエルは無理やり笑みを浮かべながら、その場で座り込んだ。

 今動くことは厳しいものの、痛みは依然と比べればマシであり少し休憩をすれば何とかなりそうであった。

 そんな二人の目の前にカルヴァが歩み寄った。


「お前、今の力はいったい……」

「あぁ、俺にも良く分からないんでけど……何か【昇華(エンゲージ)】って言われている特異体質みたいなんです」

「……そうか」


 カルヴァの問いにエルは少し気だるそうにしながらも答え、それに関して彼は特に深く聞き出す事はせずに瞼を閉じた。

 訳が分からず小首を傾げている二人を余所に、彼はゆっくりと瞼を上げると先ほど仕留めた【ヘッドレス】の遺体にゆっくりと近づいた。

 しゃがみながら何かを吟味するように暫く眺めた後に、彼は何かを手に取り立ち上がった。

 それは【ヘッドレス】の爪であった。


「門の向こう側の奴らに【ヘッドレス】を討伐した事を伝えてくる。直ぐに戻るからお前たちはそこで休んでいろ」


 それだけ言うとカルヴァは二人の返事を聞かずに門の方へと向かっていった。

 有無を言わせずに行動する彼に唖然とするも、急に引っ張られるように頭部が後ろへと倒れた。

 何が起きたのかとエルは目を白黒させていると、上からラティエの瞳と視線がぶつかった。


「お疲れ様、エル。膝枕してあげるから少し休もう?」

「…………分かった」


 膝枕という単語に少しだけ恥ずかしく思ったのか、何か言おうと思ったものの微笑を浮かべる彼女からはこれ以上無茶はさせないという意志が伝わり、大人しく従うのだった。

 カルヴァは直ぐに戻ると言い、周りも【ヘッドレス】と戦闘を行ったゆえか動物も魔物も近づく様子もないため、エルは僅かな時間を休憩に回すために体の力を抜いた。

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