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白き翼に誘われ  作者: 月龍波
2/53

一翼:天使の目覚め

 天使の少女を見つけてから早三日が過ぎた。

 驚くことに少女の傷は見る内に治っていき、細かい傷などは既に治癒が完了していた。

 その回復力は人間の物じゃないと改めて実感させるほどだった。

 だが、敢えて問題があるとしたら未だに彼女は目覚めないのだ。


「もう三日経つのに、まだ目を覚まさないな……」


 エルは今日も彼女の様子を見て溜息をついた。

 医者からは傷の治癒と極度の疲労によっての事だろうと聞いたがエルにはよく分からない事だった。

 本当に彼女が目覚めるのかどうかさえ怪しくなるほどだった。


「……考えても仕方ねぇか。すみません、外に出るのでこの子の事お願いします」

「はい、分かりました」


 再び溜息をつくと、エルは隣で少女の看病をしている医者の助手の人に外出することを告げ

 少女の寝ている部屋から出て外へと足を運んだ。

 助手の彼女が何故エルの家に居るのかと言うと、少女の看病や世話は男のエルでは荷が重いと判断したのか医者の男が彼女を派遣したのだ。

 無論エルにとってはありがたいことだったので断る事はなかった。


 ――と言って外に出ても、あの子が目覚める訳じゃないけどな。

 首の後ろを摩りながらエルはボーっと空を見ていると、一人近づいて来る者に気付いた。


「エル兄ちゃーん!!」

「あ……? おぉ、アルじゃねぇかどうした?」


 エルに近づいてきたのはこの村に住む少年だ。

 ワンパクな少年でいつもは父親の畑仕事などを手伝っているのがこの子の日課だ。


「あのお姉ちゃんまだ起きないの?」

「あー……先生が言うには怪我が酷くて中々起きないってよ」

「ふぅーん……?」


 ――絶対理解してないな。

 エルは心の中で苦笑しながら首を傾げているアルを見ていた。


「早くそのお姉ちゃんとお話しがしたいんだけどなぁ」

「起きたら伝えといてやるよ」

「そう? じゃあ、僕はお父さんの手伝いあるから行くねー!」

「怪我するなよ」


 起きたら伝えるという口約束を済ませた後、少年は自身の父親の畑仕事をしにそのばから走り去った。

 その背中が見えなくなるまで見送ると、エルは他の場所へと向かった。

 少し程歩くと村の広い所に出た。此処は村の広場で、子供たちが無邪気に走り回っている。

 そしてここから少し先の方に行くと村長の家がある。


「おう、エルじゃねぇか」

「やあ、バードラ」


 次にエルに声をかけたのは少々小柄な体躯で見た目の年齢は中年程であろうドワーフの男、村の鍛冶屋のバードラだった。

 剣や槍など武器などはもちろん鍬や鎌などの作業道具も受けた持つ腕利きの鍛冶屋だ。

 今エルが腰に帯剣している長剣も彼が作った物だ。


「お前さんが拾ってきた嬢ちゃんはどうだ?」

「いや、まったく……起きる気配がしない」

「そうか。お前が連れて来た時はひでぇ怪我だったらしいからなぁ、無理もねぇか」


 アルと同じような質問をされ、同じように首を横に振った。

 その反応にバードラは少しばかりがっかりしたような様子を見せた。


「しかし昨日といい、皆あの子に興味津々だな」

「そりゃあ、こんな村に若い女の子でしかも天使だと来た。興味もたねぇ方がおかしいぜ」

「まぁ……それもそうか」


 バードラの言うとおり、この周辺は森に囲まれた辺境の田舎村で天使など居るはずがない。

 更に言えば周辺地域は帝国の領土に近いと言う事もあり天使狩りが盛んで天使を発見され次第直ぐに帝国の人間に殺される。

 その天使が善人であろうと悪人であろうが、女子供であろうが、老人であろうが関係ない。


 この地域以外で天使を見るのであれば他の国に行くくらいかもしくは創造神エリューミアを祭るエリューミア教会が活動する場所などに行くことだろう。

 エリューミア教会は天使の存在を受け入れており、天使狩りを行っている帝国と交戦状態でもある。


「しっかし、興味持つのは良いけど……家の前に集るのは止めてくれねぇかなぁ」

「そりゃあお前よ、まさかエルが若い女の子でしかも天使を拾ってくるなんて前代未聞だからな。誰だって気になるだろうが」

「だからって皆で俺の家に集まること無いだろ。こっちが何事かと思ったわ」


 エルが少女を拾ってきた翌日、彼の家の前には村人の半数が何事かと興味本位で集まっていたのだ。

 その日は野次馬を追い払うのに苦労したのを思い出し、エルの表情は険しくなった。


「そうは言ってもなぁ、チラッと見たがあの子はかなりの美人だったしなぁ。お前もそう思うだろ?」

「確かに可愛いし美人だとは思うが、奥さんの前でそれ言うなよ。首絞められるぞ」


 バードラの言葉に呆れによって溜息をついたエルだが。

 既にバードラがその奥さんによって首を絞められていたのは知る余地もない。


「皆で噂をしていたぞ、あの子がこのままこの村に住むならエルの嫁候補はもしかしてあの子かもなって」

「ぶっ!! ……誰だ、そんな事言ったのは!」

「確か、ハルトの奴が最初にそう言っていたな」

「あんのやろう……」


 話に出てきたハルトとはエルと友人で主な職業は父親と同じ羊飼いだ。

 偶にエルと共に剣の組手などもしている頼れる友人なのではあるが。

 些か根拠もない噂を広める節があり、少しばかり難のある人間ともいえる。


「で、お前さん的にはどうなんだよ、え?」

「そんな事言われてもな……俺にはそう言うのはまだ早いって」

「とは言えお前はもう一七だろ?もう成人しているんだ。そういうのも考える年頃じゃねぇのか?」

「見つけてまだ三日しか経ってなくて、話してもないのに何でそう言う話になるんだよ……」


 にやけた表情で問い、更に肩を組んできたバードラに若干苛立ち混じえて言うと。

 鬱陶しそうに組んでいる腕を振りほどいた。

 男は一五歳になると成人として認められる為、十七歳のエルも一応成人の儀も済ませている。

 だが、エル事態はこの手の話は苦手なのかあまりそう言った事を考えたことは無い。

 むしろ耐性が無いようにも見える。

 そして、そんなエルの反応を見て楽しそうに笑っているバートラの背後に忍び寄る人影は一つ。

 その人影が両腕がバートラの首に伸びて行った。


「あんた、あんまりエルを困らせるんじゃないよ!!」

「ぐぇっ……!! かあちゃん、くるし……」

「あ、ポーラさん。こんにちわ」


 バートラの首を両腕で締め上げているのは彼の妻であるポーラだ。

 鍛冶屋の手伝いもしているだけはあり、腕っぷしはかなり強い。

 バートラは仕事が仕事なだけに筋力も強くガタイも良い方だが、既にグロッキー寸前であった。


「あぁ、エル、こんにちわ。あの子はまだ目覚めないんだろ?」

「えぇ、エレンさんも手伝ってくれているんですが中々起きなくて」


 エレンとは今エルの自宅で少女の看病をしている医者の男の女助手だ。

 因みに医者の名前はルーリットという名前である。

 それを聞いたポーラは少し悩んだ様子を見せた。


「んー、天使狩りに会った直後だからねぇ。体力を回復させるためなのかどうかは分からないねぇ」

「先生も分かれば苦労しないと言っていましたね。それよりもそろそろバートラを離してあげてください。顔の色がやばいです」

「あら、それもそうね」

 今でもバートラの首を絞め続けているポーラは指摘されるや否や思い出したようにようやくヘッドロックを解いた。

 解放されたバートラは崩れ落ちる様に地に手を付き荒く深呼吸を繰り返していた。


「し、死ぬかと思ったぜ……」

「こんな程度で死ぬ様な軟な鍛え方はしてないだろ! 早く仕事に戻るよ!!」

「あいててっ!! かあちゃん、耳を引っ張るなって!」

「うるさいよ、男がこれぐらいで悲鳴を上げるんじゃないよ!! それじゃエル、あの子起きたら顔を見せてくれよ」

「あぁ、はい。あの子次第ですけど伝えときます」


 バートラの耳を引っ張りながら自分たちの仕事場へ戻っていくポーラを見送り

 少し唖然としたエルは首の後ろを摩りながら次の場所に向かうことにした。



 広場から四半刻(三十分)程歩いた先に出たのは、海岸だった。

 海岸に来た理由は特に無く、なんとなく足を運んだだけだった。

 ふと、船着き場に船が固定されているのが見えてくる。

 どうやら今回の漁は終わったようだ。


「ヴォルン、今日の漁は終わったのか?」

「おぅ、エルか、見ての通り今日の分は終わりだな」


 エルは船の固定作業をしているヴォルンと呼んだ青年に声をかけた。

 彼は同じく村に住む住人の一人、漁師のヴォルンだ。


「で、今日は大量だったか?」

「まぁ、大量って程じゃないがそれなりに多く取れたほうかな」


 固定作業を終えると、ヴォルンは一度船に乗って中にある漁網をエルが見えるように持ち上げた。

 彼の言うとおり普通より少し多い程度であろう。

 網の中にはニシンやサバやらと色々な魚が入っており、彼が言う様にそれなりの量であった。


「ん……? ヴォルン、網の中に桜鯛が入ってないか?」

「え……? お、本当だ」


 意外な高級魚が網に引っ掛かっていた事にヴォルンは無邪気に喜ぶ。

 エルが良く確認してみると、四匹くらいは網の中に居る様であった。


「こりゃ、良い値で売れるな」


 そう言いつつヴォルンが網の中に手を入れて一匹桜鯛を掴むとエルに向かって投げた。

 その桜鯛をキャッチしヴォルンを見ると、ヴォルンは笑顔で親指を立てているのが分かる。

 彼がそうするという事はその魚を持って行って良いという事だ。


「悪いな、遠慮なく貰っていくぞ」

「おぅ、もってけもってけ。エルが嫁候補を連れてきた祝いだ!」

「お前までその事を持ってくるか……」


 エルとしてはいい加減話題に出すのは止めてほしい事だったが

 先ほどのバートラとの会話である程度慣れたようだ。

 エルとヴォルンが軽い雑談している中、一人の男性が近づいてきた。

 そしてエルを見つけると険しい表情で走りながら近づいてきた。


「あ、エル! 此処にいたのか!!」

「ん……? どうしたそんなに慌てて」

「どうした、じゃねぇよ! 今この村に帝国の人間が多数向かっているんだよ!!」

「はぁっ!?」


 男が持ってきた話題はエルにとってまさに寝耳に水な話だった。


「その話は本当か?」

「当たり前だ、見張りの奴が急いでエルに伝えろって俺に言ったんだ!」


 そこまで聞くとエルは苦虫を噛んだ様な表情になった。

 それが確かなら自宅で未だ目を覚まさない天使の少女を隠さなくてはならないからだ。

 何にせよ、ここに居る訳にはいかないと感じたエルは鯛をヴォルンへ返し腰に装着している剣を付け直した。


「すまないヴォルン、俺は家に戻る」

「あぁ、早く行って来い。帝国の奴に見つかったらあの子はおしまいだからな」


 ヴォルンの言葉に頷き、エルはその場から急いで立ち去った。

 ――くそっ、帝国の奴らめ……。

 舌打ちと共に心の中で帝国の人間に毒づく様に呟きながら更に自宅へと急いだ。


 ※


「あら、エル君どうしたの?そんな急いで帰ってきて」

「エレンさん! 帝国の人間が来たんだ、その子早く隠さないと!!」

「えぇっ!?」


 いきなりのエルの言葉にエレンは驚きを隠せなかった。

 それもそうだろう、家主が帰って来ていきなり目が覚めない女の子を隠せと言うのだから。


「とにかく、この家じゃ駄目だな……外に出て隠せる場所に隠さないと……」

「えぇ、そうね」


 ――その時、入り口から激しく戸を叩く音が聞こえた。

 エルとエレンは同時に入り口の方へ振り返り様子をうかがった。


「ベテルギウス帝国軍の者だ。この村に天使が居ないか確認させて貰う。扉を開けよ」


 ――早すぎるだろ……!?


 村の住人全員と違う声、間違いなく帝国の人間の声だった。

 意外にも早くやって来た帝国の人間に対しエルは舌打ちと共に扉を睨みつけた。


「ど、どうしましょう!?エル君……」


 ――どうしようって、こっちが言いたいですよ。

 明らかに焦っているエレンに対してエルは心の中で申し訳ないと思いながらも、そう思わずにはいられなかった。

 直ぐにこの家の中をぐるりと見回すが、この少女を隠す事が出来そうな物や場所は一つもない。

 地下室でも作っておけば良かっただろうかと、本気で思った瞬間でもあった。


「返事をせよ!居るのは分かっている、扉を開けよ!!さもなければ扉を破るぞ!!」


 段々と政府の人間の声が荒くなってくる。

 ――どうする、どうすればいい……!

 外に出ることは不可能、かといってこのままでは少女が見つかる。

 エルに残された選択肢はおとなしく扉を開け少女を引き渡すか

 このまま扉を破られて天使を匿ったとして殺されるかの二択に迫られた。

 エルとしてはまだ死にたくは無い、かといって前者の答えは死んでも取りたくない。


 かといってこのままでは後者の答えにたどり着く。

 エルは頭を抱え必死に他の方法がないのかと悩む。

 だが、迷えば迷うほど戸を叩く音が強くなってくる。




 ふと、エルの中でたった一つだけ先ほど出した答えと違う選択が出てきた。

 だが、はたしてその選択は大丈夫なのか分からなかった。

 成功すればこの少女は助かる。

 だが、失敗したらこの少女は……。


「エル君……?」

「…………」


 ――時間がない……。

 そう心の中で呟いたエルは意を決し、腰に挿した長剣を鞘から抜き放った。

 それを見たエレンは目を見開いて、剣を持つエルの左手を抑え込んだ。


「エル君、何をしようとしているの!?」


 外にいる帝国の人間に聞こえないように小声でエルに問う。


「……エレンさん、この子の口に何か詰め込んで舌を噛まないようにしてください……」

「え……?」


 意味が分からなかった、だがエルの苦渋に満ちた表情を見て何かしら思いついたらしい。

 だが、何かしら思いついたのであれば何故剣を抜き少女に舌を噛ませないようにしろと言うのかがエレンには分からなかった。


「何を、するの……?」

「……この子の翼を……切り落とします」


 絞り出すような声で答えたエルの言葉にエレンはまた驚くことになる。

 神経や重要器官に繋がっているであろう翼を切り落とすなど危険極まりない行為を許せるはずがなかった。

 だが、そんなエレンの様子を見てもエルは言葉の続きを言った。


「天使の最大の特徴である翼が無ければ、白髪の人間なんて世界中どこでも居ます。いくらでも言い訳は付く」

「それは分かるけど、翼を切り落としても無事かどうか分からないのよ?」

「だからと言ってこのままこうしていても見つかって終わりだ……」


 エルの言葉が終わるか否や、さらに戸を叩く音が更に強くなった。

 もう時間がないと悟ったエレンは根負けし、スカートのポケットに入れてあったハンカチを取り出し

 それを丸めて少女の口の中に押し込んだ。

 彼女も覚悟を決めたようだ。


「どうなるか分からないわよ……?」

「えぇ……この子の上体を起こしてください」


 エレンは頷くと指示通りエレンは少女の状態を起こし、剣に当たらないように移動した。

 エルはそれを確認すると少女の両翼を掴み、剣を上に上げた。


 ――すまない……。


 瞼を閉じ心の中で謝罪した後、ゆっくりと目を開くと……。

 剣を握る力を強め、少女の翼の根本に向かって剣を勢いよく振り下ろした。


「――――ッッ!!!」


 少女の翼を切り落とした時、肉を裂くような音と共にエルには少女が悲痛な悲鳴を上げたように聞こえた。

 そしてその刹那、少女の背中、翼が存在した所から夥しい量の血が噴き出した。

 そこからのエレンの行動は早く、直ぐに清潔な布で出血している所を押さえつけ止血を試みた。

 エルは血に染まり震える手とあれほどの血を吹き付けられながらも一切返り血を付着しない少女の淡く光る翼を呆然と見ていた。


「エル君! この子は私が何とかするから貴方は帝国の人の相手をして!!」

「っ! は、はい!!」


 エレンに怒鳴りつけられ我に返ったエルは少女の翼を手にしたまま入り口へと向かった。

 扉を開ける前に、ちょっとしたものを脇に置いてから戸をゆっくりと少しだけ開けると、帝国の人間が怒りに満ちた顔でエルを睨み付けた。


「……帝国の方が何のご用ですか?」

「三日前に我々が追っていた天使がこの村に居るはずだ。中を調べさせてもらうぞ!」


 隊長とも思われる男は苛立ちを隠さずにエルに怒鳴るように告げた。

 エルは焦りを表に出さないように静かに深く息を吸った。


「この村に天使何て来ていませんよ。今怪我人を治療していますから、出て行ってもらえませんか?」

「そうはいかない。三日前に天使を撃ち落とし、落下した場所を調べた時には既に天使が居なかったのだ。貴様らが匿ってないかどうかを確認するまで我々は帰る訳にはいかない」

「……分かりました、ただお一人だけ入って確認してください。さっき言った通り怪我人が居るので外からの細菌を多く持ってこられたら怪我人が危ないので」

「良いだろう」


 男が明らかに先ほどより苛ついた様子で答えると、エルは溜息をつき扉を大きく開けた。

 そしてエルの要望通り隊長の男が一人だけ入ると、エルの家の中を調べ始めた。


「おい、何だあの娘は!?」

「さっき言った怪我人です。背中に怪我をして今治療中です」


 さっそく少女が男に見つかり、男に聞こえないように舌打ちしながらも

 エルは平静を保つように淡々と告げた。


「しかし髪が白髪だ、天使は白髪なはずだぞ?」

「白髪の人間なんて世の中に五万と居ますよ。それに翼が無いじゃないですか」

「それでは貴様が持っている翼は何だ!?」

「……これは、あそこの鳥の翼を切り落とした物です。羽は矢の矢羽に使えますからね」


 翼の事を指摘されたエルは台所に指を刺した。

 まな板の上には大きい白鳥が翼を落とされた状態で乗っており、エルの持っている翼と大きさが一致するほどだった。

 この白鳥はエルが扉を開ける前にあらかじめ置いておいたものだ。


「……なら、何故貴様は治療の手伝いをせず鳥をさばいていた?」

「お恥ずかしながら、自分の技量じゃ先生の足手まといになりますから、治療が終わった後はお腹が空くだろうと思って調理しようとしてたんですよ」


 全てエルが即席で考えたでまかせであるが、この男はエルが少女の翼を切り落とした所など見て無い。

 それに男からしたらエルの言っている事は全て筋が通っている。

 そこから導いた結論はこの家には天使は居ないという事だった。

 男が怪訝な表情で考え込んだのを見たエルは心の中でうまく誤魔化せたと確信した。

 そしてこの家をこれ以上調べさせない様にするためにさっさと出て行ってもらうことにした。


「もう十分でしょう? この家には天使は居ません。これ以上は怪我人が危ないのでお帰りください」

「むぅ……分かった、邪魔をしたな」


 男はエルの言葉を聞くとバツが悪そうな表情をして部下を引き連れて家から去って行った。

 それを見送ったエルは扉をゆっくりと閉めると同時に気が抜けたのか、その場でどさっと座り込んだ。


「よくもまぁ、あんなに嘘がペラペラと思いつくものね」

「無い知恵絞って何とか乗り越えましたよ……」


 エレンからの苦笑が混ざった言葉に疲れ気味に反応しながらエルは左手で額の汗を拭った。

 拭った手を見ると汗が大量に付着しており、手に染みついた血を溶かしていくのを見てどれだけ焦っていたか分かるほどだった。


「それより、この子大丈夫ですか……?」

「……エル君こっちに来てみて」


 エレンに呼ばれ、腰を上げて少女とエレンの所まで近づきエルが見たのは

 既に傷口が塞がり、翼が有った場所に切り傷の様な傷跡が残っている以外は少女の背中は綺麗に治っていた。

 そのような光景にエルは我が目を疑った。


「そんな馬鹿な……あんなに血がいっぱい出たのに……」

「これには私も驚いたわ……天使の治癒能力は改めて驚かされるわね」


 エレン事態もこの事には驚いているらしくこれ以上は何も言えなかった。

 そしてエレンは自身の医療道具が入っている鞄から何かを出した。


「だけど、血を大量に失ったのは事実だから輸血しないと……」

「天使の血液型が人間と同じであって欲しいですね……」

「その事だけど、エル君があの人達を追い出している時に調べたら、エル君の血液型と一致したわ」


 それを聞くとエルは目を見開いたが、三つ数えるほど時が経つとエルは左腕の裾をめくり上げエレンに差し出した。


「もの分かりが良くて助かるわ。じゃあ少しチクッとするわよ」

「お手柔らかに……」


 にっこりと笑顔で言うなり、エルの左腕上部をきつめに縛り静脈を浮き上がらせると

 そこに針を平行に突き刺した。

 鈍い痛みがエルに襲ったが、この痛みで少女を救えるのなら余裕で耐えられる痛さだった。

 そして針に付いているゴム管の先を目で辿ると自身の血が輸血パックへと流れていくのが見えてくる。


「……このくらいで良いかしらね」


 輸血パックに十分と思われる量の血液を確認すると、エルの左腕から針を抜きガーゼを巻いた。

 次にゴム管付きの針をパックから外した後に、新しいゴム管付きの針をパックに繋げ高い所にそれを吊るすと、仰向けに寝かせた少女の左腕の静脈に突き刺し輸血を開始した。


「これでこの子は大丈夫なはずよ」

「エレンさん、迷惑をかけてすみません……」

「んー、先生が何て言うか分からないけど。結果的にはエル君は一つの命を救ったのだから先生もそこまで怒らないわよ。ただし! もうこんな危険な事はしない事、良い?」

「は、はい……」


 エレンの気迫に押され、少したじろいだエルは首を縦に振った後に少女の傍に座り込んだ。

 罪悪感が心を満たしている中、少女の手を握ると、少女が弱く握り返してくるのが感じた。


「弱弱しいけど、反応するという事は直ぐに目を覚ますかもしれないわね」


 微笑しながら言うエレンの言葉に黙って頷き、少女の顔を見ると

 安らかな笑みを浮かべていた。


 ――良い夢でも見ているのであろうか……?


 ふと、そう思うとエルも釣られて少しだけ微笑んだ。


 ※


 それから三時間余り経った。

 日もちょうど傾き始め村中の仕事が終わり、皆帰るべき家へと向かう頃だ。

 エルはあれからずっと少女の傍に窓から村の様子を見ながら彼女の目が覚めるのを待っていた。

 吊るされていた輸血パックの中身は空になり一時間前にエレンが片付け少女の左腕には包帯が巻かれているだけだった。


「今日も起きないかな……?」


 半分諦めの表情で溜息をついたエルは頭の天辺を摩りながらポツリと呟いた。

 帝国の人間が村から出て行った後に医者のルーリットが様子を見にやって来たが

 エルが少女の翼を切り落とした事を告げると、ルーリットは怒りの形相でエルの脳天に拳を叩き込んだのだ。


 ――今回は奇跡的に助かったから良かったものの、それで死んだらどうするつもりだ!!

 拳を叩き込まれた後に言われたルーリットの言葉だ。

 その場は状況が状況だった事とエレンが宥めた事もあってルーリットの怒りは収まったが

 確かに軽率な行いをしたとエルは自身を責めていた。


「はぁ……」


 またエルから深い溜息が出た。

 ふと、少女の顔を見ると一瞬だけ瞼が動いたように見えた。

 よく確かめようと、少しだけ顔を近づけ少女の顔をまじまじと見ると確かに瞼が動いている。

 そして、ゆっくりと瞼が持ち上がっていき少女の濃く青い瞳が見えた。


「…………!」

「…………」


 少女の吸い込まれる様な綺麗な瞳に一瞬見惚れたエルは一瞬息を飲んだ。

 少女はというとまだ意識がはっきりとしていないのか、ボーっとした表情でエルの目を見つめていた。


「エレンさん! あの子が目を覚ましました!!」

「えっ、本当!? 直ぐ行くから待ってて!!」


 はっ、と我に返り、台所で調理しているエレンに向けて大声で告げるエルはエレンからの返事を聞くと

 嬉々とした表情で少女へと向き直った。

 やがて、少女はゆっくりと上体を起こして真っ直ぐエルの顔を見つめる。

 その様子から起き上がれるくらいには回復したようだ。


「良かった、目が覚めて……。君、大丈夫?」

「…………?」


 エルの問いが理解できなかったのか、少女は僅かに首を傾げた。

 ――もしかして言葉が分かってない……?

 少女の僅かな反応に嫌な予感がエルの脳裏に走ったが、気を取り直して次の問いを考える。


「えっと、俺の言葉は分かる?」

「…………」


 少女がゆっくりと首を縦に動かして言葉は通じている事を理解したエルはほっとした表情で胸をなでおろした。

 そして、バタバタと早い足取りでやって来たエレンは少女の手首を優しく掴み脈を調べ始めた。

 うん、うんっ、と何度も肯定するように頷くエレンの様子からして脈の状態は良好のようだ。


「脈も正常ね。もう大丈夫よ」

「…………」


 笑顔でそう告げるエレンの言葉に少女はきょとん、とした表情でエレンを見つめている。

 まだ意識がはっきりしていないのであろうか分からないが、確認の為にエレンは少女に質問することにした。


「それじゃ、あなたの名前を教えてくれる?」

「…………?」

「名前、あなたの名前分かる?」

「ラティエ……私の名前はラティエ……」

「ラティエちゃんね。あなたはどうしてこの村の近くに居たの、お家は? ここ周辺は天使狩りが盛んな地域で危ないの」


「……ない」

「え?」

「分からない……お家って何? 私は何でここにいるの?」


 少女の言葉にエレンは聞き返すが、帰ってきたのは彼女の不安に満ちた表情と震えた声だった。

 これらから察するに、ラティエは自身の名前以外は何も覚えていない。

 記憶喪失だと言う事実が判明した。


「ちょっとすみません。初めましてラティエ、俺の名前はエル。エル=イクリティカ」

「エル……?」

「うん、エル」


 彼女のおうむ返しのような呟きにエルは優しく微笑み頷く。

 暫しの沈黙の後、少女は満面の笑みを浮かべ飛びつくようにエルに抱き着いた。


「え、えぇっ!?」

「エル、エル!!」


 急に抱き着かれ、戸惑うエルを余所にラティエは繰り返すように彼の名を口にする。

 そんな光景をエレンは微笑ましそうに二人を見ていた。


「あらあら、懐かれたみたいねエル君」

「いや……なにが何だか……と、とりあえず離れて……」

「?」


 明らかに狼狽えながらも離れるように言いながらラティエの肩を押すと、彼女は笑みを浮かべたまま小首を傾げるが素直に言う事を聞いたのでエルはほっと胸を撫でおろす。

 そんな中、急に腹が鳴る音がした。

 音のする方を向くと、ラティエが自身の腹に手を当てていた。


「ずっと寝続けて起きたばかりだものね。ご飯を持ってくるから待っていてね」

「はい、お願いします」


 くすっ、と苦笑を浮かべたエレンは台所へと向かい食事を取りに行った。

 ラティエは少し頬を赤らめてエルをじっと見つめていた。


「三日も寝ていたんだ、お腹が空いて当たり前だよ。少し待っていてね」

「うん……」


 エルは微笑みながらラティエの頭を撫でて慰めると、ラティエは嬉しそうに目を細めながら、じっとエルの瞳を見つめて食事が来るのを待っていた。

 そして、数分ほど待つとエレンが三人分の茶碗を持ってやって来た。

 お礼を言いながらエルは二つの茶碗を受け取ると、自分の茶碗を傍にあるシェルフに置き

 スプーンで茶碗の中の粥をかき混ぜ始めた。

 どうやらエレンはラティエの体調を考えて消化しやすい粥を作ったようだ。

 因みに昼に帝国の人間をごまかす為に置いた鳥らしき肉も入っている。

 それをすくい、息を吹きかけて熱を冷まさせてからラティエの口の傍まで持って行った。


「はい、口開けて」

「…………」


 エルに言われた通りにラティエが小さな口を開けると、そっと彼女の口の中にスプーンを入れ口を閉じたのを確認してからスプーンを引き抜く。


「美味しい?」

「…………」


 エルの問いに笑顔を見せて首を縦に振る。

 それを見て小さく微笑んで、また粥の中身をすくってラティエの口の中に持っていく。

 そんな二人の様子を見て、エレンはまるでエルが妹を看病している兄みたいに見えた。

 ふと、ラティエはシェルフに置いてあるエルの分の茶碗を見た。


「エルは食べないの?」

「俺は後で食べるから大丈夫だよ。はい、口を開いて」


 ラティエからの素朴な問いに苦笑で返すと、エルは彼女の口の中にまたスプーンを挿しいれた。

 ラティエはまだ怪訝な表情のままだが、おとなしくエルに粥を食べさせてもらうことにした。


 ※


 それから、四半刻ほど経って夕食が終わった。

 やはりと言うべきか、三日も寝ていたからかラティエの食欲は良く結果的に茶碗三杯程は食べていた。

 エレンはもう大丈夫だと認識したのか、夜になる頃には自宅へと帰って行った。


「エル」

「ん?どうした?ラティエ」


 突然名前を呼ばれたエルは何事かと思いラティエの方を向くとラティエは少し上目使いでエルの事を見ていた。


「明日村を歩いてみたい」

「えっ、明日に?」


 どうやらラティエは何か興味を示したようで村の中を歩きたいらしい。

 しかし、エルは顎に手を当てて考える素振りを見せた。


「ダメ?」

「いや、駄目じゃないけど……体は大丈夫?」


 エルとしては三日間も眠って今日起きたばかりのラティエがちゃんと歩けるかどうかが心配だった。

 ただ、エルの心配事はそこだけではなかった。

 そんな様子を見て、ラティエは少しふてくされた様に頬を膨らませた。


「そんなに心配しなくても大丈夫だよ……」

「って言っても右足の傷もあるし……」


 エルが心配していたもう一つの原因は矢を受けた右足の事だった。

 天使であるラティエのすさまじい治癒能力を持ってすれば傷自体はもう塞がっているはずだが。

 その時、ラティエがエルの左手を両手で優しく包み込んだ。


「お願い……」

「……分かった、明日になったら色々見に行こう」

「ありがとう、エル!」


 最終的にエルは頷きラティエの願いを聞き入れた。

 無邪気にはしゃぐラティエを撫でながら彼女をベッドに寝かせた。


「明日の為に今日は寝たほうがいいよ」

「うん」

「お休み、ラティエ」

「お休みなさい、エル」


 言い終わると、エルは部屋の明かりを消し、寝る準備に入った。

 ラティエにベッドを使わせている為、エルはずっと床で寝ている。

 しかし、三日も床で寝ていた為に流石に慣れたのかそのまま目を閉じ眠りに入った。

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