意味
私が至らないばかりに、この度は誠にすみませんでした。
「どうでもいい」という言葉はこんなに冷たかっただろうか。
私は思った。
そうして、
もしかしたら、
私が考えた「どうでもいい」と言う意味と、
みんなが知っている本来の意味での、普遍的な意味での、
「どうでもいい」という言葉は、
実は、全く違う意味を持っているのではないかと思った。
なので、「どうでもいい」と某検索サイトで入力し、調べてみた。
そしたら、何ともえげつない意味だったのである。
本来はその意味を書くべきなのだろうが、
私はあれらの言葉を書きたくないので書かない。
意味が分からない人は気になったら自分で調べてみてほしい。
そして、私があの時言ったあの言葉は、
私の無知で言い放った言葉は、
本来の意味や普遍的な意味では、こんなにも冷たい意味を持っていたのかと。
私の心は凍りついた。
私は、私の言葉で、誰かの心をこんなにも冷たくしてしまったのだろうと、
すごく悲しく感じた。
私が無知で「どうでもいい」と言い放ったことに、
真剣に向き合ってきた人々に、
たとえ赦されることはないとしても、私は謝らなければならない。
ごめんなさい。本当に申し訳ない。
でも、私は、それでも、「どうでもいい」と、言わなければならないのだ。
何故なら、あなたが思う本来の意味の、普遍的な意味の、「どうでもいい」と、
私がその言葉を遣う人から見出した、私なりの、本来の意味のその先にある「どうでもいい」とでは、
多分『意味』が全く違うから。
私はよく悪口を言われる人間だ。
まあ、こんな人間なのだから仕方ないとは思うのだが。
毎日私の近くで、五、六人のグループだろうか。
朝、学校に来ると、いつも悪口を言われていた。
ああ、今日も私は誰かの口から出てくる私の悪口を聞くしかないのだ。
あの時の私は、
もう心も、意志も壊れかけて。
心が捨てられたら、生きることをやめることができたら、
それほど幸せなことはないだろうと、
毎日そんな心持ちで学校に行っていた。
そして、2年になってクラス替えをしたとき、
ああ、どうせクラス替えをしたところで、
私は私の悪口を聞かされて、心を殺しながらずっと生きるのだと、
そう思っていた。
だけど、あるとき、
私は出会ってしまったのだ。
クラス替えをして、新しい人に出会って、
私の悪口にただ一人、みんなと一緒に嘲笑することなく、
私の悪口に同意を求められたその人だけが、
「どうでもいい」と言ってくれた。
私は本当はあの場で「どうでもいい」と言ってくれた人に、ありがとうと、本当にただただ、ありがとうと伝えたかった。
私は誰かにとっての、踏み台などではない。
きちんと一人の人間なのだと言ってくれたあなたに。
でも、あのときの私は、言えなかった。
言ったら、多分あの人もきっと、『完璧』な人々の遊びの道具にされてしまうだろうから。
だから、お礼を言うことは出来なかった。
あのとき、あの人が言った「どうでもいい」は、私にとって、とても暖かった。
あのとき、あの人の言った「どうでもいい」は、私の絶望が満ちる世界に確かに希望を生み出した。
あの人に自覚はないかもしれないが、「どうでもいい」という言葉が、確かにあの場で傷つく私の盾になってくれた。
あの人が私の悪口を言う人に向けて言った「どうでもいい」は、私を確かに守ってくれた。
誰かに悪口を言われ、踏み台にされて痛む背中を、確かにそっと優しく包んでくれた。
もしかしたら、あの人にとっては、
本当に、本来の意味での、普遍的な意味での「どうでもいい」だったのかもしれない。
でも、私の悪口に「どうでもいい」と言ってくれたその人のことを、
私は今でも、多分一生、カッコいいと思っている。
そして、それはあの人の「どうでもいい」という言葉に、
救われたからなのだということもきちんと覚えている。
あの時のあの人のように、踏み台にされる人の盾になり、
踏み台を必要としている人の、その足元に踏み台をそっと置ける。
「どうでもいい」とは、私にとってそんな意味を持った言葉なのだ。
だから、例え誰が何と言おうとも、
私はこの言葉を本来の意味、もしくは普遍的な意味では訂正してもいいと思うが、
私なりの『意味』を持つ「どうでもいい」を、訂正するわけにはいかないのだ。
だけど、矛盾していると思うが、私の話を、言葉を、私は、例えどんなに一見正しそうに見えたとしても、あなたには絶対に鵜呑みにしてほしくないとも思っている。
それはなぜか。
それは私が『完璧』ではないからだ。
私はいつだって間違える。いつだって未完成。いつだって中途半端だ。
だから、
水を欲している、井戸の掘り方を知らない人々に、
井戸の掘り方を教えることなく、井戸を作ってあげてしまうような、
言葉の意味を自分で考える機会を与えることなく、
言葉にもっともらしい意味だけもたせてそのまま与えてしまうようなことは、
そんなことはしたくはない。
それはとても恐ろしいことだ。
自分で『意味』を考えずに、
元から存在する『意味』だけを、他人から与えられ続けた人は、
もし、自分で考えてその『意味』を求められた場合、その人がどうなってしまうのか。
それをよく知っているから。
それが『完璧』な人々の正体だったのだと、理解することができてしまったから。
だから、例えどんなに些細な言葉だろうと、あなたの言葉にあなたなりの考えを、『意味』を持ってほしいのだ。
私なりに考えた、『意味』を持つ「どうでもいい」と、
あなたなりに考えた、『意味』を持つ「どうでもいい」が、
別に全く違かったとしても、私はそれを認めるだろう。
『意味』が違うのだから。
『意味』を持つとは自分と違うことを認めることなのだから。
ただし、私は「どうでもいい」という言葉が、
誰かを救えるということを、身をもって知っている。
だから、多分私の遣う言葉が、
本来の意味で、普遍的な意味では、
どれだけ間違っていると、履き違っていると言われようと、
私が遣うその言葉にその先があることを見抜く人が、
私が遣うその言葉に救われる人がいるかもしれないと、
私自身が信じ続ける限り、
誰かの心の盾になれるまで、きっと、遣い続けるだろう。
「私はどうでもいい」のだと。




