真なる神の力
俺は今、眼前にある巨大な肉をひたすら切り裂き続けていた。
何千何万何億と死鎌を振るい標的を裂き殺す。
強化された肉体を限界まで酷使し斬撃の速度を上げ続ける俺は、やがて標的を切り裂く以外の事象が見えなくなっていった。
秒間十手だった手数が百千と増えると時間の流れが解らなくなる。
その間切り裂かれた肉塊が宙に舞い地に落ちつづけた。
当初その様はまるで豪雨だった。やがて小雨の様に感じ、牡丹雪がフワフワと落下していると錯覚するまでになった。
早まる速度が時間感覚を変化させ、やがて認識しなくなる。
初めはどこをどう切り裂き次手をどうするのかと思考していた。
それはやがてより早くより深くより強く切り裂く事だけを考え初め、最終的には切る事だけを考える様になる。
──切る、切る、切る
ひたすら切り続ける。
だが巨魁は一向に消滅する気配は無い。
あまりにも巨大であまりにも鈍いその大蛸は無数の斬撃をものともせず、ひたすら港へ向け前進していった。
そして転換期が訪れる。
切り裂き振り続けてきた死鎌は四散した肉塊を貪り、原型を留めないほど巨大になり禍々しい魔力を発し続けた。
それだけではない。俺の体にも影響が出始める。死鎌を振り続けた影響は色濃く、全身がどす黒くなり、黒い霧がその身を包む。もはや人として認識できるかわからない程に変わり果てた。
それでもむき出しになった海底を這うように進む大蛸。俺は切り裂き続けるだけで止める事が出来ない。
やがて俺は思考が出来なくなっていた。
◇
──おい女神よ。貴様無謀な計画をしたな
──マッタクダ。コウナルコトハ……ヨウイニヨソクデキル
──まったくだよね! あーあ、あの入れ物壊れちゃうよ
『ここまで巨大な存在として現出するとは思っていませんでした……』
──たわけが。やはりディアールが居なければ貴様は未来予測もままならないな
──あっはっは。あいかわらず抜けてるよねフィリーアは
──ソレヨリモ……ダ。ジショウノカイケツニ……シコウヲマワセ……ジカンガナイ
『やはりここは無理にでも私が降臨して──』
──たわけが。今貴様が出張れば永遠の時に近い計画が水泡に帰すだろう。少しは考えろ
──さすがにソレはだめだよフィリーア。ディアールの思いも台無しになるよ
──ワレラヲツカエ……インガノナガレニハ……サホドエイキョウハデヌ
『協力をお願いしたとして、一名の降臨しか可能ではありません……』
──はいはいはいはい! 僕がやるよ!
──バルード……タンタイノ……オヌシヤワレハ……アレト……アイショウガワルイ……ザンネンダガナ
──え、えーっ!? そんなぁ……
──つまり我の出番と言うわけだな。おいフィリーア、報酬はなんだ?
『報酬ですか……単独での下界観察権でどうでしょうか……接合点まで』
──限定的依り代への降臨権も寄こせ
『それはダメです! 力場が傾きすぎます! 』
──ちっ、足元を見過ぎたか……まぁよい。観察権は必ず寄こせ、今直ぐ誓約せよ
『……女神の聖名において誓約す──』
『クックック、たしかに。おい貴様ら、指くわえてそこから見てろ。我の真なる力を! 』
──ずるいよアーク! 一人だけ楽しそうにしてさ!
──タシカニ……ショウショウ……ウラヤマシイ
◇
大蛸が港へ這いずる度大地は揺れ、絶望をまき散らす。
愛しい人がその身を賭して大蛸と対峙してから半日。状況が好転する気配の無さにライラは憔悴しきっていた。
巨大な大蛸の下方に黒い霧が出たくらいで、他にはまったくの変化がなかったのだ。
──ナイト様の力をもってしても……やはりダメだったのか……
諦めに似た感情が彼女を包みだす。だが、信じると決意した気持ちがそれを踏みとどまらせていた。
──最後まで信じると決意したではないか! しっかりしろライラ、それでも英雄ドレークの孫娘か!
下を向き、目を瞑って体を震わせていた自身を律し、瞳を開いてもう一度愛しい人がいる戦場を見つめる。
そしてライラは驚愕した。
何者も寄せ付けずひたすら這いずっていた大蛸の動きを、巨大な【鎖】が巻き付き止めていた光景を目にして。
◇
『あぁ、素晴らしい。真なる力、あるべき姿。何という歓喜の洪水よ! 』
自分の肉体が勝手に動き、口を開く。俺はその違和感に意識を取り戻した。
──なんだお前は! 俺は! 俺は一体何をして……そうだっ、蛸を止めようとして
『黙れ人形。貴様が矮小で非力故こうして我が降臨する事態になったのではないか』
──人形? 矮小? 非力? 何を好き勝手に……
『興を削ぐなたわけが。お主は自分が屠った神すらわすれたと申すか』
──俺が屠った?
『これを見ても思い出せぬか? 』
自身の右手から巨大な鎖が無尽蔵に湧き出てくるのを見て思い出した。
──お前、まさか邪神【アーク】なのか!?
『邪神とは不敬な。だがまぁ良い、非力なお前に神とはどういう者かを教えてやる』
そう言うとアークは大蛸に向かい語り掛ける。
『おい歪な紛れ神。貴様だれの許しを得て我らがエレーファを闊歩する? 』
アークの発した声は人が誰かと会話する程度の大きさだった。
地響きが続く今、その騒音でかき消されて当然である。
だが次の瞬間、大蛸はビタっとその動きを止めた。
『今更命乞いか? 無駄だ』
動きを止めた大蛸へ、死刑宣告の様な言葉を投げかけたアークは短く静かに詠唱する。
──捕縛
詠唱を終えた時、大蛸の体は無数の巨大な鎖で繋がれていた。
続けてアークは呟く。
──縛殺
大蛸に絡みつく巨大な鎖がギリギリと音を発し、その体を締め付けていく。
そしてその巨体を爆発四散させた。
アークが現れてから大蛸を倒すまで五分もかかっていない事に俺の思考は停止する。
『おいフィリーア。手間かけさせやがって、用事は済んだぞ。さっさと戻せ──』
そう口にしたアークは俺の体から気配を消した──
俺の体から力が抜け、シェルとの同化も解ける。
大の字になり横たわる俺はシェルへと呟いた。
「なぁ……シェル……今のは……なんだったんだ……」
『あう……ないと……ごめんなさい……』
なんだよシェル。その恰好で謝罪なんてらしくねーな。
「あやまる……な……それより……あとは頼んだ──」
やはり限界を超えて戦闘し続けていただけはある。シェルに後処理を任せて俺はあっという間に意識を飛ばした。




