狂気の連鎖
「なんだと! それは誠か」
ベルーラは狼狽しながら息を切らせて報告をしてくる警備兵に確認する。
「はっ。面妖な恰好の人物がカイン様を人質に侯爵閣下を連れてまいれとの事です」
「なんと愚かな……。わかった、今から向かう。ジルド、領内の正規兵をただちに集めよ」
「ははっ」
なにが起こったというのだ。昨日今日で事態が動きすぎではないか。
とにかくその面妖な人物を確認しなければ。万が一王都で見た白い騎士ならばここを脱出せねばならない。
息子や領民の心配など欠片も持ち合わせぬベルーラは、自己保身のみを考え配下の兵達と門へと向かった。
◇
「遅いな。おい門番、そろそろコイツを縊り殺していいか? 」
「ま、待ってくれ。もうすぐ領主が来る。頼む! 頼むからその手を止めて待ってくれ! 」
「同じ事を何度も言う」
中々現れないベルーラに苛立ちを感じ俺はカインを短剣で刺しながら回復し続ける。
すでにカインは悲鳴を上げてはいない。苦痛と恐怖で意識が無いのだ。
「ちっ。悲鳴すら上げなくなったのか」
生きてはいるのだが反応が無くなったカインにすら苛立つ。あれ、俺ってこんなに苛立つ性格だったっけ?この世界に来て性格まで変化してるのか。
日本にいた頃には考えられなかった自分の振舞いに違和感を感じるのだが、些細な事だと思い返しベルーラが来るのを待った。
「りょ、領主様! アイツです。あの狂人がカイン様を人質に……」
警備隊長は漸く来た領主ベルーラに事態を報告する。
ベルーラは警備隊長が指さす方向へ視線を向けた。そこには黒い衣服を来たみたことも無い男がいる。
それも真っ黒い犬とそれに乗っかる幼子を連れて。
誰だアレは? そう思いながらベルーラは心の底で安堵する。あの白い騎士ではなかった、あの者でなければ何を恐れる事がある。そう思ったのだ。
「そこの者。私はウィリアム家当主ベルーラ・ウィリアム侯爵だ。其方が息子カインを人質に私を呼ぶと報告を受けてこの場にきたのだが……貴様は自分がしている事を理解しているのか? 」
すると黒い男はニヤッと笑いながら口を開いた。
「よぅ。久しぶりだなベルーラ。もう俺の事を忘れたか?まぁそれでもかまわないがな。ここに来たのはお前の息子がちょいとお痛をしたもんでその落とし前を付けに来たんだよ」
何を言ってるんだ?そもそもこの黒い男など私は知らない。つまり恨みを抱いた狂人が捨て身の反撃にでたと言う事か。我ながら毎度の事にうんざりする、そう思いながらベルーラは黒い狂人へ言い放った。
「貴様の様な恨みを抱えて反撃してくる輩はごまんと居る。いちいち狂人の素性なぞ気にしてられぬわ」
言葉を受けた黒い狂人は高笑いを始める。
その様子に呆れたベルーラは門前に集結させた領兵五千に命令した。
「皆の者、息子の生死は問わぬ故あの狂人を討ち取ってまいれ」
門が開き領兵達は一人の狂人へ殺到する。領主直々の命令でしかも息子カインの生死を問わないと言われれば責任も軽く、褒美を期待するあまり嬉々として向かって行ったのだ。
「馬鹿が。シェル、アイツらは完全に敵になった。屠るぞ」
『あい! 』
「フェルは適当に狩っててくれ。無理はするなよ? 」
「ヴォン! 」
シェルと同化した俺はコヤに特大の大槌を出させると殺到してくる兵たちのど真ん中へ叩き込んだ。
──うわぁああああ
悲鳴と共に地鳴りが轟く。大地に無数の亀裂が入り、城壁を巻き込んで周囲の者達を飲み込んでいった。
かろうじて亀裂から逃れた者達も安堵する間もなくフェルの牙や爪によって引きちぎられていく。
「な、なんだあれは」
崩れる城壁の上から腰を抜かして叫ぶベルーラ。
「侯爵閣下! ここは危険です、急いで退避しましょう」
警備隊長はベルーラを担ぎ上げると領中心部にある城へ撤退していった。
その間にも良所の攻撃は止まらない。全てを粉砕するが如く大槌を振るう。
五千人もいた兵達は亀裂に飲まれたか、潰されたか、果てはフェルに喰い破られたかしてほぼ全滅していた。
領地外壁は崩れ落ち領内の家々が姿を現した。遠方にはベルーラの居城が見える。
「ちっ、逃げやがったか」
ベルーラの気配が見える城に向かっているのを感じた俺はゆっくりと歩を進めた。
◇
「なんなのだあの狂人は! 王都の白い騎士といい、あの黒い狂人といいなんと忌々しい! 」
よもや同一人物とは思っていないベルーラ。
残存しているすべての兵を場外に配置し、その指揮をジルド伯爵達へまかせて自分だけは城へ逃げ帰っていた。
そんなベルーラの後方からボソっと声がする。
「ふぉふぉふぉ。随分と取り乱しておりますなぁ」
「だ、誰だ! 」
あわてて振り向くベルーラの前に居たのは一人の執事らしき恰好をした老人だった。
「これは失礼しました。私新たにカイン様に雇われております執事でございます」
「私は知らぬ! 許可も無く領主の部屋に居るとは貴様無礼ではないか! 」
当然の様に激怒するベルーラ。だがその老執事はまったく意に返さない素振りで話続ける。
「あぁそうでしたそうでした。まだ名前を名乗っていませんでしたね、これは失礼しました。改めまして私カイン様の執事をしております【トート】と申します。以後お見知りおきを」
「たわけが! そうではない。貴様の名前などどうでもよいのだ! 私が言っているのは許可なくこの場にいる罪を鳴らしているのだ! 」
話にならない。もう狂人の類はごめんだ、そう思ったベルーラは帯びていた剣を抜き問答無用とばかりに老執事へ切りかかった。
「おやおや、随分と無粋な真似事をなさる。そんなものは無意味ですよ侯爵閣下」
ベルーラに切られたトートは切られても尚薄気味悪い笑みを顔に張り付けて喋り続ける。
「貴様! 貴様は一体何者だ! 」
侯爵は激昂しながら切り伏せても死なない老執事に問い詰めた。
「何者……何者と申しますか。それは難しい質問ですねぇ。今は貴方の願いを叶える只の老執事とでも言いましょうか」
願いを叶えると言う老執事。
「願いを叶えるだと? 何をたわけた事を。そもそも私の願いなど貴様には知る由もないではないか! 」
「王都に居る白い騎士……それにここへ向かってきている黒き狂人。その両名を殺したい……ではありませんか? 」
なぜそれを知っている。息子カインが教えたのか? いや、違う。この老人は人のソレではない。現に体から流れる血を何とも思っては無いし、死にもしない。人外の輩がなぜ今の状況であらわれた?
困惑と恐怖を混ぜたような気持ちで思考をめぐらすベルーラ。やがてその気持ちはどす黒い殺意と狂喜に変わっていった。
「クックック。もう貴様がどこの誰でも良い。貴様が言った我が望さえ叶えられればどうでもよいのだ」
「聡明でございます侯爵閣下。ではこの箱を両手で抱えて頂き貴方の望みを、渇望を、狂気を……失礼しました。只々望を浮かべ口にしていただきたい。そうすれば叶いますぞ……ふぉっふぉっふぉ」
渡される古びた宝箱。人外からの贈り物への畏怖は自分の狂気にかき消され、言われるがままに己の欲望を想い描き口にした。
「私の野望を邪魔する全ての者に死を! 恐怖と絶望を与え給へ! 」
その様を見るや、【トート】と名乗った老執事は魔法陣を床に描きその姿を消していく。その際に呪いの言葉を残して。
──古より大業を重ねし愚かな人間共よ
──泣き叫び絶望の歌を歌え
──偉大なる神の降臨は近い




