血の導き
酒場の惨劇からひと月。辺境の城下町ブラードの様子はすっかり変わっていた。
札付きの冒険者や盗賊、城兵の姿が消えて不気味な静寂が町を包んでいる。
その他の住民達や商人達も何かに怯える様だ。誰も彼もが口を閉ざして生活を営んでいた。
「ねぇ、まだ見つからないの? それとも見つける気がないの? 貴方も城塞の置物になりたいの? 」
「ひ、ひぃ」
──ヒュッ
「まだお喋りが終わってないのに勝手にお家に帰るなんて、ここの人達は失礼過ぎるわね。 」
首の無い城兵に向かって退屈そうに語り掛ける少女。
ベリーは溜息をもらしつつ、部屋の奥の立派な椅子に座るモノに歩み寄りながら口を開いた。
「貴方もそう思うでしょう? 領主様? 」
だが領主と呼ばれた者からの返事はない。それも当然、彼は全身に杭を打ち込まれすでにこと切れていたのだから。
「うふふ……相変わらず無口な人ね。でも無駄口を開かないのは嫌いではないわ……退屈だけど」
「退屈だけど」そう言うとベリーは微笑む表情を一変させ、椅子ごと領主の死体を両断した。
「本当にこの世界は退屈。なんなの、この脆弱な世界は! 人も! 魔物も! あぁあああああああああああああ、忌まわしいこの世界。なぜ私はこの世界に産み落とされたのでしょう……お父様やお母様は私を忌み子と言いましたが、私から見ればこの世界に生きる全てが忌み子ですわ」
狂気に歪む表情をそのままに、ベリーの苛立ちは頂点に達するかに見えた。だが、ベリーはふと思い出す。
与太話にしか聞こえない面白そうな事を言っていた男たちの事を。話を全て吐き出させた後、お礼を言ったのにもかかわらず勝手にお家へ帰ってしまった男たちの話を。
「そう……でしたわ。うふふっ、あははっ、居ましたわ……私の気持ちをわかってくれそうな殿方が。あぁ、もう待ちきれないですわ」
ベリーは黒いローブを身に纏い、使えない城兵たちや無関係な住民達を皆殺しにしながら嬉々として城下町を後にした。
◇
「ねぇハンズ。もしかして愛しい殿方ってあそこで倒れている方かしら? 」
城下町を出て3日目の朝。街道に横たわる青年の姿を発見したベリーは嬉々としてハンズに問いかける。
だがハンズから返事はない。首から下が無い人間には返事は出来ないからだ。
「ハンズ、貴方も無口ねぇ。でももういらないわ。愛おしい殿方が見えるのですもの」
そう呟くと、3日間旅を一緒にした首を投げ捨て倒れる青年に駆け寄っていく。まるで長期間恋人と離れ離れになった乙女の様に。
「あぁ、愛しい人。はじめましてですわね、私ベリーと言いますの。貴方に会いたくて恋焦がれて、思わず町を滅ぼしてしまう程待ちきれなくて……お話聞いてます? 」
うつ伏せになり、ピクリとも動かない青年に対し自身の告白を受け流されたと思ったベリーは彼の耳元でそう尋ねた。
「……水……水……」
どうやら青年は飲まず食わずで行き倒れていたらしい。初めて聞く愛しい彼の声を聞いてすぐに理解する。
「あぁ愛しい貴方。水、が欲しいのですね。でも今の私には貴方に水を提供することが出来ません」
「ですから──」
そう言うと手持ちの剣で右手首を切り裂き、血を滴らせ始めた。そしてその血を青年の口へと垂らし始める。
「あぁ……私の血が……愛しい貴方の体に……」
数日ぶりなのか数週間ぶりなのか定かではないが、水分が口に入った青年は目を見開き、ベリーの傷口へ口を押し当て貪る様に血を飲み始めた。
だが、途中で我に返る。気づけばベリーの傷口は塞がっており、血が止まっていたからだ。
「君は……誰? 俺は……ダレダ? 」
「あぁっ! 私はベリー。そして……貴方は街道の不死者。私の愛しき方ですわ」
「ベリー? 不死者? 愛しき? よくわからな──」
よくわからない。そう返事をしようとした時、青年の体に異変が起きた。
全身を貫く激痛と、混濁する意識。血を飲んだとしても起こりえない現象。
地面を転がる青年に対し、ベリーは慌てる事もなく喋り出した。
「あぁ、愛しい貴方。心配はいりません。私の体に流れる血液は少しばかり特殊なもので……魔素の濃度がこの世界の生きる者達とは比べられない程濃いらしいのです。平たく言えば即死クラスの『毒』みたいなものでしょうか」
「ですが愛しき貴方様は不死者。苦痛はあるとおもいますが、命までは取られません。死ねないのですから」
「様するに保険でございます。偽物でしたらただ死ぬだけですので」
淡々と喋るベリーを他所に、いよいよ青年の体は痙攣をしはじめ、動きを止める。そう、死亡したのだ。
「あぁあぁああああああああああ!? なぜ、なぜ貴方様が……死ぬのですか? あぁあああああああ、貴方様は愛しの貴方様ではなくて、偽物だったというのですか!? あぁあああああああああああああああああああああ」
呆気なく死んだ青年の亡骸を叫びながら揺さぶるベリー。せっかく会えたであろう愛しい人ではなかった絶望感に只々叫ぶしかなかった。
「私を期待させておいて……許さない、許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない許さない」
亡骸の首を両手で締め上げ、ギリギリと歯を鳴らしながら釣り上げる。すでに死んでいるのだからただの八つ当たりなのだが。
そんな怒れるベリーがふと異変に気付く。先程まで無かった異物が目に留まったのだ。
青年の右手に握られる一冊の書。
「……これは」
締め上げていた両手を離し、死体を街道へ寝かせたベリーは、まじまじとその書へ目を向けた。
「あり得ない。あり得ないほどの魔素を感じますわ……この世界の物ではない、異なる存在……」
好奇心を押さえられない彼女は、そっと書へ手をのばそうとする。だが、それを拒む様に書はペラペラと音を立てて開き始める。
そして一枚一枚と辺りに散乱し始め、ベリーと青年の体へへばりつき始めた。
「なっ! なんですの! これは……呪詛!? 厄災……このまま体を覆われると、さすがの私も消滅させられますわっ! 」
慌ててその場を離れつつ、へばりついていた書の紙を引きはがす。
そしてベリーは驚愕した。はがした箇所の肉体が完全に消滅していたからだ。それだけでは無い、掴んだ指先もほころび始めている。
結果、右腕と左手の指が消えた状態になったベリー。
「あぁ……まさか、まさか。この忌み子にまみれた退屈な世界で……私をも消滅させる力を……」
それから青年の亡骸へと視線を向ける。
青年は一瞬輝くと、何も無かったかのように動き始め、へばりついた書はパラパラと音を立てながら塵と化して消えていた。
そして青年はベリーへと口を開く。
「なんて気持ちの良い復活なんだ。漸く思い出した。俺は何者で、何を求めていたのかを」
「あぁ愛しい貴方。やはり貴方様は本物でしたのね。私はベリー。ベリー・デッドブラッドですわ」
「君かい? 俺を助けてくれたのは。俺の名は良所。良所外人、だ。トートって呼んでくれ」
青年は歓喜に満ちた表情を浮かべながら、ベリーへと微笑んだ。
「ところでベリー。君暇かい? 暇なら俺と一緒に楽しい事をしないか? 」
「楽しい事ってなんですの? あぁ、この世界の生命を根絶やしにする事ですの? でしたら私嬉々としてお誘いに乗りますわ」
「あぁその通り。でもそれは行き掛けの駄賃みたいなものだ。俺がやろうとしてるのは──」
「女神と偽神を殺す事さ」




