幼き日の思ひ出
暗い、寒い、寂しい...ここは一体何処なのだろう。辺り一面が深く深い闇が支配している。
「あ...れ?峰島先輩!!鈴羅先輩!!何処にいるの?」
私は一生懸命に声を張り上げるが自分自身の声は響かず、反響音すら聞こえない。すなわち、ここは差し当たって“無”と言う言葉が当てはまるのだろう。では、ここは何処なのだろうか?私自身がこの問いかけを自分にした所で答えなどない。
だが、すぐにその答えは分かってしまうのだ。闇の正体は自分自身の瞼の裏の世界だった。ゆっくりと重い、鉛の様にも思える瞼を開く。
暖かな光が私を包み込み、どこか懐かしくてそれでいて温かくて...だけど、二度と思い出したくない過去が一気にフラッシュバックして当時の出来事が掘り返されていく。
「あぁ...私は今、過去にあった私の思い出の中を傍観者という立場で見さされているんだ...」
私の拒否権などなく、それは始まる...。
「ねぇ!!一ねぇってば!!」
「ああぁ?何よ?煩いわね!緒!!私は忙しいの!アンタの相手なんかしてられないのよ。分かる?」
「うううぅぅぅ!!いちねぇの意地悪!!ボール遊びしてくれるって約束したじゃんかーーー!!」
「だーーーーかーーーーーら!!私はアンタにこうして付き合ってるじゃない?これでも文句があんの!?」
幼い頃の私は姉の事が大好きだった、いつも私は姉の後ろ姿を見てはテクテクとついて回ったものだ。最も姉の方は私の事を毛嫌っていたのかも知れない。
「あーーーーーもう!!分かったわよ!!遊べばいいのねあ・そ・べ・ば!!仕方ないわねぇ!!」
「わーーい♪ありがとぅおねぇちゃん」
あの頃の私はとても無邪気で無垢だった。でも私はこの当時、10歳にして過酷な地獄を見ることとなるのだ。因みに私の姉は16歳だった。
「てか、ゆいさぁ...いつまでボール遊びにハマってんの?普通はもっと違う遊びするでしょフツー」
「んーーー...だっておねぇちゃんいつも剣道ばっかだもんまぁ、私も剣道ばっかで他にすること無いじゃん」
「んまぁ...そうだけどさ」
「だから、たまにあるお休みの日くらいはおねぇちゃんと遊んでいたい」
「まぁ、ウチらの家庭はお堅くて息が詰まるわよね。あれもダメこれもダメで...することと言えば剣道の練習ばっかだしね。剣道命!!剣の道に生きるべしって...ったくいつの時代だっての!!」
私達姉妹は揃いも揃って剣道女子だった。家の家系は代々から伝わる剣道のお家柄で端的に言ってしまえば古臭くて時代の流行などからかけ離れまくったお家柄。その癖、我が多々良家は泣く子も黙る剣道会の道においては右に出る者すらいない、まさに最強の剣道場として名をはせていた。
「まぁ、私も次の試合はまた優勝しちゃうだろうから余裕こいて今こうやってだらけてるんだけどね」
「おねぇちゃんすごいもん!いっつも優勝」
当時における姉の強さは圧倒的な物だった。大会に出れば必ず一位をもぎ取ってくる剣道のバケモノだった。そして、その姉に私は当然ながら憧れを持っていた。
「うっし!!んじゃまぁ帰るとっすかね」
「あーあ...もう門限かー...ちぇーー...まあ、剣道地獄だよ...はぁーあ、たいぎーなぁ...」
「ほら、くだらんこといよらんとキリキリ歩き!自転車置場まで競争な!アタシに負けないよ~に頑張れよも・や・しちゃん」
活発でボーイッシュな姉はいつも勝ち気で男の子みたいなしゃべり方をよくしていた。それでいて、何処か鼻のつく意地悪な所もあった。
でも、それが姉と交わした最後の会話だった。自転車に乗って姉と帰り道を走っている最中でちょうど、T字の交差点で右に曲がろうとした姉の自転車を右折してきた4tトラックが勢いのあるまま飛び出し、姉を轢き殺したのだ。一時停止すらせずに...。
あろうことかその運転手は今になっても忘れられない程にくだらない言い訳を並べていた事を思い出す。
『気付かなかった』『何かコツンと当たった気はしたが擦っただけだと思った』『轢いたとはおもわなかった』等とほざいていたのだ。殺してやろうかとも考えたほどだ。自転車ごと轢かれた姉の細身でいて白魚の様に綺麗だった足...特に左足はL字型に折れ曲がり、明後日の方向に向いてしまっていた。
端正に整った顔立ちは目を剥き出しのまま見開いた状態で2度と瞬きをしなくなり、口からは舌を垂れ落としたまま鮮血が噴き出していた。
首はねじ切れて回転しており、背中側に顔がぐるりと反転していた。首を辛うじて繋げていたのは肉の皮だけだった。勿論辺りには大量の鮮血が溢れかえり、私の顔や服などにも付着していた。
私の当時住んでいた家は、愛媛県松山市の海が見える近くに建てられた荘厳な『いかにもお硬い家ですよー』っと言わんばかりの物だった。家の近くには渡し船やフェリー乗り場に加えて、小さな釣具店が二件並んでいた。昔は名前が変わるまでは近くにダイショーと言う大きなお店があった。最近はダ・ムーというお店に変わったそうだ。地元の友だちだった子からそんな話を聞いた気がする。
そんな家に帰ったとき私は精神的なダメージを多大に受け、あの日の瞬間は私にとってかなりのトラウマになったのだ。一晩中泣きじゃくり、姉のお葬式にすら出られない程に追いやられていた。
「ゆい、確かにいちを亡くしたことはゆいにとっても辛く悲しみや苦しさといった様々な感情が押し寄せて複雑に絡まっていることだろう」
「...」
「しかし、剣の道を歩む者は何事にも冷静で無くてはならない。波風を立てて負の感情に飲まれては自分自身を失うことにもなりかねん」
私の苦しみを綺麗事で無理やり浄化させようとする父が当時の私にとっては薄情者で、人間じゃない化物ではないかと思ったほどだ。
「うっ...うっ...」
「泣くことは構わない、人間は涙を流さずしては生きられない。悲しみや負の感情に囚われることもあるだろう」
意味のないありがた迷惑な話だと思っていた。
「うっ...うっ」
「だが、感情を取り乱してはならない。如何なる場面、状況、状態であっても中身は冷静でなくてはならない。例え涙を流していてもだ」
「そ、そんなの...私には無理だよ...」
そんなこと出来っこないと思った。
「ゆい、己の心を常に強く持ち続けろ。お前の仕事は悲しみに浸ることではない。立ち向かい乗り越え、更に高みへ目指すことがお前に課せられた仕事の1つだ」
あの日から姉が亡くなった日を境に父と母は何故か距離を置くようになっていった。父は剣道の師範を勤める月刀流の継承者であると同時に次の代へと受け継がせなければならない。そして、剣道を歩む者達の憧れでもあった。
母は私達の地元だった愛媛県では知らぬ者はいないと言える程に名の知れた医者であった。その活躍ぶりは愛媛県で最後の切り札の名医と謳われる優秀な人材だった。私が知っている母の情報はこの程度くらいだ。よくよく考えると母の顔をよく知らないのだ。
「ゆい、これからは父さんと二人で剣道の道をいこう。母さんは仕事の都合でもう2度と会うことが出来ないだろう」
「お父さんの期待に応えられるよう、精進します」
当時の私は幼くてお父さんの言葉は半分、分かっているような分かっていなかったようなそんなフワフワした状態だった。離婚届の意味を知るまでは...。流石に高校生になっている今では離婚届が何なのかというのは理解している。父と私の生活は相変わらずだった。ケータイなど使えることはなく、無論ゲーム機も一切あるはずもなく私に課せられたのは剣道一筋だった。
だが、そんな日々は1週間と持たなかった...。
ある日の朝...私は喉の渇きを潤す為に飲み物を取りに行こうとしたのだ。あぁ...忘れもしない、あの鼻にこびりつくような異臭。
「あー...喉の渇いた」
取りに行く途中で私は異様な臭いに気付く。
「あ...れ...?何か臭い。このニオイ...玄関から?」
そこで私は玄関先に向かった、その時に目に焼き付いた光景は酷い有り様だった。見ただけでどのような状態かが分かるほどに明確だった。
「え...お父さ...ん...?」
お父さんは無惨な姿を晒して完全に死んでいた。肉をズタズタに裂かれ、乾いたどす黒い血は辺り一面に撒き散らされて内蔵を体外に露出していた。腹からぶちまけられた腸は酷い悪臭を放っていた。しかも、父の右手には竹刀が握られていたにも関わらず...だ。父は剣道の師範である。その父を傷によっては骨までも断つ程の一撃があったと報告を聞いた。
あの父親が...最強とも謳われていた父が死んでいたのだ。
「そ、そんな!!でもありえないですよ!!父は...父は剣道の師範であり実力はトップクラスです!!」
警察に向けて無意味な主張をしたこともあった。だが、父が死んだという事実は何も変わらないのだ。検死の結果は見た目のままだった。刃物で骨や肉を裂かれ、出血多量による死亡...依然として犯人は捕まっていない。
それから私は地元の愛媛では身寄りがなく、東京にいた母のおばあちゃんのお家で過ごすこととなった。こうして高校にまで行かせてもらい、とても感謝している。だが、ショックの後遺症からなのか私はいつしかコミュニケーションを取るのが下手くそになっていた。東京での学校生活は困難を極めたのだ。なにせケータイを持っていないし、ゲーム機すらない。
挙句にはテレビの話題といったその他諸々のことについていけなくなりどんどん自分の感情を表に出さなくなり、いじめのターゲットとなったりもした。そんな私についたあだ名はカゲ子というなんとも言えないものだった...理由は至極簡単でいつもカゲの様に何も言わずについて回るからだそうだ。
その日以来、私はこれまでの記憶を封印する為に偽者を生み出して偽物を生贄にしたのだ。私が意地悪だったけど大好きで、憧れていた姉をもう一人の自分として宿したのだ。
姉の様に好戦的な自分を、姉の様に強気な自分を、姉の様に気高き強さを...全てを想像して本物の自分を引き換えにして、別人格のもう一人の自分に辛い過去を押し付けた。
そのお陰もあって私は高校生になった時には東京に行っても父の月刀流を引き継いだ元弟子である人の所で剣道を習い続けて剣道部の裏の切り札として1年生である私は無所属で、『入部はしませんがそれでよければ大会には参加します』というのを条件にして見事優勝を勝ち取った。
どこから月刀流を扱う人だと知ったのかは分からないけど学校という環境での情報力の強さは驚異的だとかんじた。
「...私は負けない!!お前を倒す。私には姉がいるんだ!!負ける筈がない!!」
最初は別人格に慣れなくて扱いに困ったのだ。それを抑える為に本物の私は対策を考えた。竹刀や武器を手にした時にはもう一人の私に権利を与えることにした。
そうすることにより本物の私と偽りの私は両立を保ち、交互に現れる様になった。嫌な記憶はすべてもう一人の私が受け止めてすぐに消してくれた。それ故に、私は常にいかなる時でも冷静に居られるようになった。例えいっときの悲しみが訪れても一人で抱え込まずに済むのだから。
なのに...それなのに。アイツのせいで全てが蘇ってくるのだ。愛媛にいた頃の記憶を、悲しみや苦しみを直接私にぶつけて来たのだ。忌まわしい...あぁ、なんと忌々しく憎くて気持ちの悪いことだろう。私はあいつを赦さない!!ニーナ・アリシュレインを絶対にユルサナイ!!地元ではあったが...私はできればここにいたことの記憶を掘り起こさないために慎重に言うタイミングを見計らっていたのにも関わらずだ。
あぁ...記憶の一部が蘇ってしまった。そして、昔の頃の思い出のシーンは終わりを告げていた。もう少しで夢から醒めて現実の私へと覚醒してしまう。
「目覚めたら私は今、何処に寝そべっているんだろう...」
「先輩達に伝えないといけない...私が私自身の為にケジメを付けないと」
本物の貴方は今、この世界には存在してはいけないのだ。ニーナにあの時、耳元で囁かれたこと...それは
「いつまでそうやって偽物に頼るのですか?あの子は待っています。貴方の生まれたアノ家で」
奴は私に膝蹴りをかます直前の一瞬でそう囁いてきたのだ。何故かあいつは私を知っている。本当に気持ちが悪い!!
「昔、一人ぼっちになって悲しみに囚われた私はもういない...だって私にも守るべき人、互いに背中を預けられるに等しい人が近くにいるんだから!!」
まず、目覚めたらちゃんと鈴羅先輩に一人でカッとなって飛び出して連携が取れなかった事を謝ろう。そして、皆に力を貸して下さいとお願いもしよう。
私が私である為に、そしてもう一人の私から卒業する為に...。
薄っすらと現実の私が目をさます。
最初に目に写ったのは優しげな眼差しで出迎えてくれた鈴羅先輩だった。
「おかえりなさい...ゆいちゃん」
「はい...ただいまです。ゆ、ゆずりは先輩」
だから、私は今大きな一歩を踏み出そうと思ったのだ。まずは勇気をだして鈴羅先輩を下の名前で呼んでみた。人の名前を下で呼ぶなんて、一体何年振りだろうか。
「ありがとう...ゆいちゃん、下の名前で呼んでくれて...」
ゆずりはさんの黒い髪が靡き心底嬉しそうに、ニッコリと笑ってくれた。私なんのかの為に、キラリと宝石の煌めきにも似た美しい嬉し涙を流しながら。
~幼き日の思ひ出~ END To be continued
書いている最中に上書き保存を忘れてそれまで書いていた文字を半分以上失う等といった初歩的なミスを終えて、心に悲しみを背負いながら無事に書き終えた作品となりました。
ついに多々良緒についての過去に触れる物語となっています。ですが、彼女には隠された部分がまだ存在します。
今回は少し書けるタイミングが取れたので早く執筆することができました。次回更新はまたまた未定ではありますが、楽しみに待って頂けたらなと思っています。(楽しみにしている方々がいると信じて)
感想や登録なども良ければお願い致します。
では、長くなりましたがこれくらいにして締めたいと思います。それでは、また次のお話にてお会いしましょう。