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天使が響く

醜く美しい世界に生まれたあなたへ

命は脆く儚い。

よく、赤ん坊が初めて産声をあげた瞬間を「天使のラッパ」という比喩を使う。

赤ん坊の誕生はそれだけ喜ばしいことで、望ましい表現だと思う。

しかし、現状況で子供を授かっても喜ぶことなく、それを恨みと変える者もいる。

授かることもできず、悲しみにくれる者もいる。


生まれてくるまでその子にはきっと、人権は存在しない。小さければちいさいほど。


殺せる。


それは法で咎められることはない。社会的弱者には仕方ないこととして許されてしまうことがある。

制裁があるとするなら、社会的に白い目で見られるくらいだ。誰も悲しまない。

ただ、負い目という後ろ髪を引かれるばかり。



「憂鬱だ…。」


校舎を見つめて呟いたのは、いつ振りだろうか。

そっと、お腹に手を触れてみた。キリキリと痛むそこは、ただストレスから胃が痛むのか、それとも…。


「うわ…。あの子って、」


後ろから聞こえてくる声。

神経質になっているのか、どの声も敏感に耳に入ってくる。

全部聞きたくなくって早歩きでその場を立ち去ろうとした。


しかし、澄み渡る青空の下、トランペットの音色が響き渡る。

真っ直ぐ鳴り響くそれに、私は音が何処から聞こえてくるのか探した。


校舎から聞こえる。

音楽室?いや、もっと高いところこら。


屋上。


視線をそこに向ければ、太陽の光に反射して黄金色が眩い。あまりにも純粋で綺麗な音に自身と対象的な位置にいると感じてしまい、急にドロドロした、吐き出したい気持ちになった。


キラキラと明るい世界が歪む。

立っていられなくなり、思わずそこにしゃがんだ。口に手を当て何度も嘔吐しそうになる。近くにいた子たち慌てて近寄り介抱しようとする。




結局、その子らに支えながら保健室へ運び込まれてしまった。


「病み上がりなんだから、無理しちゃダメよ。」

保健医が私に言ったあと、優しく頭を撫でた。

「頑張って学校に来てくれたわね。」

優しい笑顔と言葉を最後に言ってくれる。

涙が滲み出してくるのをぐっとこらえた。



「先生…ツライ、です。」

「あなたは、ちゃんと選択したわ。それは誰も責めない。だから、しばらく心の休養が必要なの。教室に行くのが辛ければ、暫くここに来なさい。」

「…はい。」


今日は帰った方がいいと、促され、せっかく学校に来たが荷物を持って帰宅することにした。保健室を出て、私は玄関へ向かった。

下駄箱を前にしてふと、足を止めた。


まだ聞こえる。


授業はすでに始まっているはずなのに、何の迷いもなく音は奏でられている。



だめだ…。


屋上から黄金色に輝くあれをもう一度見てみたいと思った。そう思えば足は勝手に玄関から遠のき、階段へ向かう。その音に導かれるように階段を登る。足取りは自然と軽い。一番憂鬱だと思っていた自分の教室がある階をすんなり過ぎ、息を切らしながらも最後まで歩みを止めることはしなかった。


「…はぁ、はぁ…。」


屋上まで一気に上がるのは初めてで、想像以上に体力を使う。


「あれ…音が、」


そして、音が聞こえてないのに今更気付く。いつもの、学校に見合う静寂した空気。

急に虚無感にかられながら、されど、藁にもすがる思いで扉を開ける。



扉を開けると、外気が一気に押し寄せる。風が容赦なく髪を弄び、眩い世界に目を細めた。その瞬間、鳥が飛び立つ音と同調して甲高い音が静寂を打ち破る。太陽の光を独り占めしているようなブロンドの髪。そして、それが奏でる黄金色のトランペット。



私は泣いてしまった。



あまりにも美しくてではない。まるで許しを与えてくれる音のようだった。


ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。と、何度も心の中で叫んだ。


嗚咽は止まらなくて、せっかく奏でる音を聞くことができない。




「なんで、泣いてるんだ?」


聞こえてきた声に顔を上げた。ブロンドの髪が視界に映る。男の子だ。


私になんか気付かないでそのまま演奏を続けてほしかった。

汚れた色に綺麗な色が混ざり合ったら、その色はくすんでしまう。


「なん、でも…ない。」


無理やしだした声は届いているだろうか。

あまりにも掠れていて自分でも聞き取りづらい。


「なんでもなくて、君はこんなに泣くのか。なんでもあるときは、もっと酷いんだろうな。」


彼の声は笑っていた。子供っぽく、実に綺麗な笑顔と一緒に。


「…私なんて、なんでもないし…大したことないよ。」




こんなこと、大したことない。

喜びを知っているから、悲しみを知っている。

それを知ることのできなかった小さな命に比べれば大した痛みなんかじゃない。



私の体には、確かにもう一つの命が宿っていたはずなんだ。






小さくて、か弱い命が。






「懺悔って、どこですればいいものかな?」


初めて彼に顔を向け、無理して笑顔を作ると、彼の笑顔は一瞬で暗くなった。


「君、伊月さん、か。」

「私のこと、知っているの?」

「学校の有名人じゃん。いい意味ではないけど。」

「そうだね。数ヶ月で有名な問題児になっちゃったもんね、私。あなたは?」

「…。」


名前を促すように尋ねると、彼は口をつぐんだ。

ひと呼吸してから、ゆっくりと戸惑う口を開く。


「千歳。夏村…千歳。」

「夏村くん。…そう。綺麗な演奏を聴かせてくれてありがとう。」

それだけを言って立ち去ろうとした。


だか、それを阻止したのは夏村くんの声。



「あのさ、ちょっと話そうよ。」


寂しそうな目を向けていた。




「…いいよ。」


どうしても何かを伝えたいのか、その顔は真剣で断る選択肢は持ってはいけないようだ。


「お腹に、赤ちゃんが居たんだよね?」


適当に腰を下ろして、彼の突然の質問に拍子抜けしてしまう。


「うん。でも、もう居ない。…空っぽ。」


私の声は思った以上に明るかった。視線は自身のお腹に移り、無意味に擦る。


「消えちゃった。…何にもない。」

残るのはその子に対する負い目だけ。



「大丈夫。それだけ君が愛していたのであれば、きっと素敵な天使になったよ。」

「夏村くんはよく平気でそんなこと言えるね。」

少し茶化しているのだと思った。だけど、違った。彼の真剣な顔がそれを否定する。





「俺の、姉さんも天使になっちゃったから。」




ああ、そうか。

私が呼び止められた意味を理解した。



「今日、命日なんだ。あと、俺の誕生日。」

「それって…。」

「双子だったんだ。1人は首にへその緒が絡まっちゃって栄養が行き渡らなかったんだって。」



彼の歪んだ笑顔の意味を知っている人はこの学校にいったい何人居るのだろうか。

たぶんいないだろう。彼はこんなこと簡単に口走る人じゃない。



「だから、必然的に家では俺の誕生日イコール姉さんの命日。だから家族に誕生を祝われたことはない。息苦しいくらい。でも…、これからもずっと、それは変わらない。」


過去にとらわれ続けている彼の両親。寂しい人だ。彼は家族に見てもらえないんだ。


「俺はさ、正直、顔も知らない君のことが嫌いだったんだ。軽く命を授かり、無下に捨てるのだから。だけど、違った。ごめん。」


深々と下げる頭。



止めて…。

胸がキュッと傷む。


彼の考えは何も間違っていない。

だから、もっと私を責めて欲しかった。憎んで欲しかった。


止めてよ。



私に許しなんか、与えないで。




「君は、愛しんでいたんだ。たから、もう、苦しまなくていいよ。止めな。これ以上は赤ちゃんが哀れになってしまう。」

「…止めてよ。私は、軽い気持ちで子供を作ってしまったのよ?それで相手には平気で捨てられて、親には失望されて…。それで…、」





失うことを選んだ。


遠距離が続いた恋人で、久々に会うことで、彼の求めにやすやすと受けてしまうような私。この年代の男が求めているのは体を交わることで得られる快楽。

だから、平気で誤ちを犯してしまう。できてしまえば、突き放すのは簡単。『俺の子じゃない。』『浮気をしたのか、最低だな。』それだけで、終わってしまうんだ。


脆く呆気ない。

永遠の愛を唄う愚かな恋愛ごっこ。




「トランペットを吹くのは、俺は元気だよって。姉さんに伝えるため。今が楽しいって安心させるため。」

「え?」

「俺さ、本当に姉が欲しかったんだ。生きてたら、メッチャ仲良い姉弟でいられたと思う。だけど、姉さんは生まれてこなかった。それが現実。俺は友達もそれなりにいる。髪も好きに染めた。生い立ちはちょっと酷だけど、俺は毎日楽しんでる。姉さんが生まれ変わる前に、楽しみをたくさん作っておかないと、生きたいと思わないだろ?」


どうして、彼の笑顔はこんなにも美しのだろう。

私の笑顔は作り笑顔ばかりで、本物はどこに行っただろうか。もう、笑えないのかな。


「未来に希望が無くなったら、未来を求める人間はいなくなるよ。」


彼は私の手を掴んで立ち上がらせる。




「大切な思い出にして残そうよ?」







世界は輝いている。

失うものも多いけれど、きっと太陽が照らしてくれる。

私は生まれてくることのなかった君を愛している。

強くなる。

だから、大声で泣き叫ぶ。




私の愛しい天使、届いていますか?









「ありがとう、いつか会おうね。」




現代における問題です。

何が正しいのか、間違っているのか、それがすべての答えとは限らない。

自身がどう受け止めるかが重要なのです。

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