その4
鬼一郎が今後の予定を述べて黒塗りの扉の中に引き返すと、夕食が開始した。シェフが簡単に残りの説明をして前菜が並べられる。
椋露路は自分の分を差し出される前に、すまなそうに言った。
「僕はさっき薬を飲んだばかりだから、申し訳ないけれどあとで自室で食べるよ」
「では後ほどお部屋までお持ちいたします」
小林秋彦はどうしたものかと考えている様子だったが、椋露路に促されてこの場で食べることにした。
「わたしも部屋で食べます」
女の子が椋露路のほうをちらりと見てから、恥ずかしそうに切り出した。それが癖のようで、手のひらを膝上に乗せて右手で腕をさすっている。椋露路が何気なく視線をやると、女の子は慌ててカーディガンの袖を伸ばした。
「若い女の子が二人ともいないなんてつまらない食事になっちゃうな」
小男がカメラをテーブルの隅に置いて言った。
「ちょっと! 私はどうなのよ」
「美貴さんはいい年して結婚したばかりじゃないですか、上手いことやって旦那も気の毒に」
「いちいちムカつくのよ」
美貴と呼ばれた女が大きな音を立てて小男の額を叩いた。それを見た佐倉弘孝が二人に愛想よく笑いを返す。
「煙草を吸ってよければご一緒しますよ、お二人は記者ですか?」
小男は嬉しそうに椋露路に名刺を渡した。小林秋彦はカツオのカルパッチョを口に運んでから、あまり興味なさそうに椋露路の手元を覗いた。そこには『月刊ドール専属カメラマン安部陽馬』とある。
女の子は席に着いて成り行きを見ながら、部屋に戻るかこの場に残るか思案しているようだ。
「椋露路さんと小林さんも舘谷氏から招待されたんですか? いや、さっき佐倉さんと話しているのが聞こえて、アンティークドールに詳しいわけではなさそうだったから」
椋露路たちが名乗ると安部が尋ねた。
「ええ、ドールに関しては素人なんですが、たまたまうちの子が鬼一郎殿の関心を引いて招待を受けたんです」
「へえ、そうなんですか……」
安部と美貴は視線を合わせた。
「? なにか?」
記者たちの様子に椋露路が首を傾げると、安部は近くに執事の中河原がいないことを確認してから低い声で囁いた。
「舘谷氏は熱狂的なコレクターで黒い噂も結構あるんですよ、違法すれすれな手段を使って目をつけたドールを譲らせたり……まあ、金払いだけはいいから正当な対価は払うんだけど、手放したくないなら気をつけたほうがいいですよ」
「吉永しずえが死んだのだって、舘谷鬼一郎のせいだって言われてるじゃない? お抱え人形師になるように誘われたのを断って、干されたのが原因だって。あの人業界に顔が広いから。この展覧館にある彼女のドールもお金のない相続人から無理やり買い取ったって」
「まあな、でも吉永氏の死因は病気だし、舘谷氏が殺したとは言えないだろう」
二人の話が気に触ったのか、突然女の子が立ち上がって自室に向かった。十時の方向にある『紅水晶の間』だ。安部は驚いて彼女の背中を見送った。
椋露路は女の子が立ち上がった際、カーディガンから左手首が覗くのを見た。まるで人形のように手のひらと腕を繋ぐ部分が溝になっていて、そこに球体がはめ込まれていた。
その出来事があってからしらけた雰囲気のまま夕食が続いていたが、肉料理が出されると佐倉が咳払いを一つして話題を提供した。
「吉永しずえのドールといえば人間と見違えるほどの精密さだけど、実際に動いたところを見たという話も聞くね」
椋露路はまたその話かというように天井に向かってふうと煙を吐いた。それに対して、隣では小林秋彦が興味を引かれたように佐倉を見る。
「人形が動くんですか?」
「ああ、その人には馬鹿にされたが、まったくありえない話じゃないだろう? 魂というものが存在するなら、その容れ物になり得るのが生物の身体だけという証拠はない。人形師はまさに魂を込めて人形を作るし、持ち主の長年の愛着が人形に命を宿らせたって不思議じゃない」
「それについては、うちの雑誌でも特集を組んだことがあるよ。人形が自分の意思で動いたという目撃談は古今東西あらゆる場所で存在する。とくに呪いの人形という、怨念が宿って人を殺したという話には事欠かないね」
その話題は食後の珈琲が出るまで場を賑やかせた。その間、椋露路は話の腰を折ることもないといったふうに静かにパイプを吹かしていた。
「吉永しずえの作品が人気なのも、そういった恐ろしくも神秘的な噂があるからよね。結局コレクターは命が宿る人形を欲しがっているのよ」
広間の時計が七時を示して鐘を鳴らすと、中河原が広間に姿を見せた。ちょうど椋露路と部屋に戻った女の子を除く四人が食事を終えたところだった。
「それでは八時に広間にお集まりください。椋露路様のお食事はすぐにお持ちいたします」
舘谷鬼一郎の悲鳴が館に響いたのは、解散をして一同が席を立った直後だった。