その2
「お人形と間違われたのが、そんなに嫌かい?」
展示されたドールを怒ったように見ているメリーヴェールをベッドに座って眺めながら、椋露路は尋ねた。
「だって朱寧、どれもこれも大福みたいな顔してる」
「どれどれ、ほんとうだ、こりゃあメルの言うとおりだ。なんだってみんなこんなオバケみたいな顔をしてるんだ!」
椋露路はメリーヴェールの隣に立って憤りを露わにした。
「メルの可愛さに比べればこんな人形、せいぜい見立て殺人に利用するくらいしか使い途がないよ!」
「うんうん」
「こりゃあ鬼一郎に君を見せるのが恐ろしくなってきたよ、あの中年男、是が非でも君を欲しがったりしないかしら」
「それは朱寧、十分あり得る話だよ」
二人が展示された人形を前に身を震わせていると、扉をノックする音が聞こえ、執事の中河原が入室した。
「椋露路様……おや、ドールが床に転がってますよ」
咄嗟に死んだふりをしてうつ伏せに倒れたメリーヴェールを見て、中河原が駆け寄った。
「き、君……ノックから扉を開けるまでが早過ぎないかい」
中河原はメリーヴェールの身体をむんずと掴まえて持ち上げ、首を傾げた。
「何度かノックをしたのですが、お話をされていたようで。おや、誰と喋ってらしたのですか?」
「それは君、僕くらいのものになれば人形と会話を成立させるのはむしろ容易いよ」
「おみそれいたしました。それにしても、美しいドールで御座いますね」
メリーヴェールをベッドの上に座らせると、中河原は嘆息して感心したように頷いた。
「そ、そうかい? ここの人形たちに比べれば、寧ろへちゃむくれの部類だと思うけどね。鬼一郎殿も気に入らないだろう」
「そんなことは御座いません、先日から旦那様は椋露路様から譲ってもらえないかとそればかり気にしております」
「ほ、ほう」
メリーヴェールの口元がぴくりと動いたが、中河原は気付かなかった様子で椋露路のほうを向いた。
「それはそうと、展示品の鑑賞会を行いますので、広間にお集まりください」
メリーヴェールを部屋に残し、中河原に続いて広間へ出ると既に招待客が集合していた。
椋露路のほかは、招待客は全部で五人のようだった。生地の擦れたベストを着た小男と、親しげに会話をしているステンレス製の眼鏡を掛けた女性。どちらも笑顔を浮かべているが、油断なく獲物を探るような眼つきが首に下げたカメラ以上に彼らの職業を表わしている。その後ろでは、身なりの整った小太りの男がしきりに高校生らしき女の子に話しかけていた。女の子は迷惑そうな表情で、カーディガンの上から自分の左腕を撫でている。椋露路が左に視線を移すと、中肉中背で目立った特徴のない冴えない感じの男が欠伸をしていたが、視線が合うと椋露路に馴れ馴れしく話しかけた。
「朱寧さん、そっちの部屋はどうだった? 人形がずらっと並べてあって薄気味悪いよ」
「こっちも同じさ。展示品で動かせないように固定してあったから、不気味でも我慢するしかあるまいね」
広間には柱が四本あり、そのうちの一つに時計が掛けられていた。椋露路が見るともうじき午後四時半になろうというところだ。中河原が一同に向かって声を掛けた。
「皆様、お待たせいたしました。それでは只今より世界各地から集めた当館自慢のドールたちをご覧に入れます。既にご案内した皆様方のお部屋は、明日の正式オープン後は展示室として公開する場所でございまして、比較的ランクの低いドールが展示してあります」
そう言って中河原は、左腕を掲げて椋露路にあてがわれた紫水晶の間の右隣の扉を示した。
「こちらの『藍玉の間』と――」
続いて右腕で反対側を示す。
「あちらの『青玉の間』には希少なドールが置かれています。これからその二部屋をご案内いたします」
体の前に右腕を掲げて礼をすると、中河原は一同を藍玉の間へ連れて行った。ポケットから鍵を取り出して扉を開ける。
「藍玉に青玉、俺の部屋は『金剛石の間』だから……ダイヤモンド。なるほど、各部屋に宝石の名前をつけてるんだな」
秋彦が何気なく呟いた。
「この広間全体を時計に見立てて、誕生石を各部屋の名前に使ってるんだね。鬼一郎の居る黒塗りの扉が十二時の方角として、十二月の誕生石『トルコ石の間』だ」
藍玉の間へ入ると、椋露路の紫水晶の間と比べて二倍ほどの広さがあった。こちらは人形同士距離を取ってガラスケースの中に飾られている。続いて案内された青玉の間も同様だ。一同が自由に鑑賞している間、中河原は広間に繋がる扉の横に立って見張っていた。
「ふうん、僕の部屋にあった人形はどれもオバケみたいな顔をしていたけど、ここのは大分マシだ。アンティークドールと一口に言っても色々あるんだな」
「工房によって全く表情が変わるのがアンティークドールの面白いところだ。君はドールについては初心者かな?」
女の子に相手をされなくて諦めたのか、小太りの男が寄って来て椋露路の独り言に答えた。男は佐倉弘孝と名乗った。佐倉は椋露路の返事も待たず、勝手にぺらぺらと語りだした。
「有名なアンティークドールの工房といえばフランスのジュモー、ブリュ、ゴーチェ、ドイツのマルセル、ケストナーなどがある、日本では森村、そして吉永しずえが有名なんだぜ。この展覧館の主、舘谷鬼一郎は有名無名にかかわらず広義のアンティークドールを収集しているけど、特に贔屓にしているのは吉永しずえの作品。彼女の制作したドールが自ら意思を持って動いたといわくつきの証言をする人は少なくない」
熱っぽく語る佐倉を遮って椋露路が言葉を挟んだ。
「ふふっ、人形が自分の意思で動くものか」
いささか気分を害した様子で、佐倉は反論した。
「吉永しずえはドールの材料に少女の肉体の一部を使っていたという噂がある。そもそも、彼女がドールの制作を始めた理由は幼くして事故で死んだ娘の一人を諦めきれなかったからだ」
「君、戯言はやめて、もっとましな仕事をしたまえ」
佐倉は一瞬驚いたような表情を浮かべると、顔を真っ赤に染めて去って行った。
その間、小男と眼鏡の女は順路に従って人形の前を移動し、時折歓声を上げて二人で話をしていた。カーディガンを着た女の子はあまり興味なさそうにそのあとに続いている。小林秋彦は赤い髪をしたドールの前で物思いにふけっている様子だった。
二部屋の鑑賞が終わると広間で夕食を取った。青玉の間から広間に出てみるとすっかり晩餐の支度が整っていて、一同はテーブルについた。シェフが献立の説明をしている途中、舘谷鬼一郎が広間に現れて簡単に挨拶をした。
「お待ちかねの吉永しずえの作品は夕食後にご案内しますぞ。彼女の作品は当館の目玉、世界でここほど揃っている場所はありますまい! では引き続きお楽しみを」