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椋露路朱寧の推理録  作者: 雪車
消えない足跡
33/35

その10

 「あれ、メルさんがいないぞ?」

 修道女とともに机を取り囲んで貪るようにクッキーを食べていた秋彦は、メリーヴェールの姿が見えないことに気付いた。先ほどまで彼女が着ていたエプロンが丁寧に畳まれて机の上に置かれている。

 

 「メガネ、メルきゅんを捜索に行くぞ!」

 「誰がメガネだ!」 

 すかさず、女子高生二人が捜索隊を結成して出動していった。

 

 秋彦は放り出していた拳銃を懐に仕舞って、代わりに手帳を取り出した。メリーヴェールを探すのは彼女たちに任せて大丈夫だろう。机の角のところで杖を突いて立っている老齢の女性を見て、秋彦は笑顔を作って近づいた。


 その傍らには修道服を乱れなくきっちりと身に着けた中年の女性がいて、老人の肩に手を添えている。修道女たちをまとめている第一発見者の女性だ。

 

 「藤田さん、こんにちは。今朝はどうも。改めて話を聞かせていただきたいのですが……そちらの方はここの副院長ですね?」


 「わたしはなにも知らないよ」

 老人は秋彦に顔を向けて答えた。秋彦は手帳を片手に、言葉とは裏腹に穏やかな表情を浮かべる老人を見てぽりぽりとボールペンで頭を掻いた。


 「被害者の辻堂祈子さんと仲が悪かった人など心当たりないですか? 祈子さんのことはよくご存知ですよね」


 「ようく知っているよ。祈子はわたしの娘みたいなもんだからね。あの子は感謝されこそすれ、人様から恨まれるようなことはしちゃいないよ」


 藤田が隣から口を挟んで、副院長の言葉を補った。

 「祈子さんは、個人で孤児院を経営して身寄りのない子どもを引き取って育てているくらい立派な人なんです。修道女のみんなも祈子さんのことを慕っていて、殺すなんて……考えられません」

 

 「しかし現実に、祈子さんは殺されてしまったのです。誰かが彼女に殺すほどの恨みを持っていたことはほぼ間違いありません」


 しっ――と人差し指を口元に当てて、藤田は秋彦に鋭い視線を向けた。そっと周囲に目を配る。

 「祈子さんが殺されたんだってことは、まだみんなに伝えていないんです。亡くなったこと自体を知らない子もいます。大きな声を出さないで」


 「例えば、司祭はどうですか? 院長との面識はあったのでしょう?」

 声を低くして秋彦は尋ねた。雪が本格的に降り出す前に犯行が可能だったのはこの修道院では司祭だけだ。被害者との関係ははっきりさせておく必要がある。

  

 藤田はなにごとか言おうとしたが、秋彦の気迫に圧されて口を閉じた。副院長が代わりに口を開く。

 「司祭と祈子は先々代が院長だった頃に、同じ孤児院で育った姉弟みたいなものだよ。祈子が殺されるなんて、なにかの間違いに違いないんだよ」

 

 「同じ孤児院で? なんという孤児院ですか?」


 「福音の園……元々先々代が始めたものを、先々代が事故で亡くなったあとに祈子が継いだんだ。祈子は先々代を母として尊敬していたからね。不幸な事故で、あの時の祈子の様子といったら、目を覆いたくなるほどだったよ」


 被害者と同じ孤児院で育った――それを聞いて秋彦は、司祭のことを増々怪しく感じた。子どもの頃に抱いた恨みが犯行の動機になることも決して珍しくはない。しかし、副院長たちからそれについて詳しい情報は得られそうになかった。


 「司祭は今どちらにいますか?」


 「助祭と一緒に講堂にいるはずだよ。昨夜は講堂に泊まってもらったんだ。基本的に聖堂には、男性は立入り禁止だからね」


 秋彦は講堂の位置する方角に面した壁に歩み寄って、窓から外の様子をうかがった。すると、講堂の玄関前で、椋露路がパイプを咥えて壁にもたれていた。秋彦の視線に気付くと顔を赤くして、秋彦が声をかける前に建物の中に引っ込んでしまった。


 「なんだ……? まあ、あっちは朱寧さんに任せればいいか」

 秋彦は開きかけた窓を閉じて、部屋の中央に戻って副院長への聞き込みを再開した。

 

 椋露路は秋彦の視線を避けるようにして講堂へ入って、その場で地団駄を踏んだ。

 「うう、さっきはついメルの前と同じ乗りで恥ずかしいことを言ってしまった。あの暴力刑事め、増々調子に乗るに違いない。こうなったら、一発同じくらい恥ずかしい目に遭わせてやらなきゃ気が済まないぞ、どうしてくれようか……」

 

 顎に手を当てて考え込みながら、椋露路は廊下を進んで広い空間に出た。黒板と教壇を中心として扇状に机と椅子が並べられた教室で、黒板の上に大きな金属製の十字架が掛けられ、横に聖母マリアの石像が置かれている。

 

 「煙草を消したまえ、この修道院は禁煙だ。どなただね? 一般人は立入禁止なのだが」


 十字架の下、黒色の修道服を着て髪を七三に撫で付けた男性が、教壇の椅子に座っている。皺の深く刻まれた顔に眼鏡を掛けていて、厚い瞼の重みで目尻は垂れ下がっている。男は威厳を感じさせる物腰で椋露路に注意をした。


 「これは申し訳ない、あなたは昨日からここに滞在している司祭殿ですね? 僕は警視庁から今回の捜査を依頼されて来た、椋露路という者です。普段は探偵をしています」

 

 パイプを口から離して、椋露路が教壇に向かって会釈をした。教室は全体が教壇に向かって下りの傾斜になっていて、椋露路が入口から司祭を見下ろす格好だ。彼女のちょうど正面には十字架がある。


 「探偵……? 他人の秘密を暴くのを生業にしている不埒者か。人が死んだ以上警察が捜査をするのは仕方ないが」 

 司祭は沈痛な面持ちでため息をついた。椋露路は離れたところからまばたきをせずに、じっくりと司祭を観察する。


 「どうやら司祭殿は探偵が嫌いのようですね」


 司祭はちらりと彼女を見て、その質問に答えた。彼の落ち着いた様子から、別に椋露路を刺激するつもりはないといった印象を受ける。  

 「人を裁くことをできるのは神様だけなのだから、他人の秘密など暴き立てたところで無闇に混乱を招くだけだとは思わないかね。警察だって本当なら入れたくないのだ」


 「司祭殿の言うとおり、もしかしたら僕は罰当たりな人間かもしれないね。けれど、実際には神様は罰を下さないから、警察が必要なんじゃないのかい?」

 椋露路はいつもどおりの涼しい顔で、司祭から目を離さずに、パイプを一度口に運んだ。


 「悪人は必ず神様から罰を受ける。だからこそ、我々は正しい道を歩むことができる」


 「なるほど。まあ、僕は別に司祭殿の考えを否定するつもりはないんだ。しかし、仕事は仕事として、僕は司祭殿に聞かなければいけないことがある。答えてもらえるかな?」


 二人は互いに視線を合わせて、微動だにしなかった。少しの間講堂に沈黙が流れる。やがて、司祭はゆっくりと頷いた。


 「なんでも聞くがいい、神に誓って嘘偽りなく答えよう」

  

 「さすが司祭殿。それじゃあ、率直に言わせてもらって、僕たちは司祭殿が今回の事件の犯人だと疑っているのだけれど……後ろめたいことはなにもないと神に誓えるかい?」


 司祭は教壇に視線を落として、小さく笑い声を漏らした。

 「人殺しは重い罪だ。神に誓って、わたしは人殺しなどしていないよ」


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