その6
「あー! 刑事さん!」
空調の効いた室内で一息ついて、秋彦が服にかかった雪を手のひらで払っていると、入口の横に置かれた長椅子に腰掛けている二人組の修道女が、彼の姿を見て話しかけた。どちらも高校生といった年頃で水色の修道服を着ている。
「あれ、君たち、まだこんなとこでお喋りしてるんだ。うろうろしてて怒られないのか?」
「大丈夫だよー、今日は学校お休みだから」
秋彦に近いほうに座っている女の子が人懐っこく笑顔を浮かべて答えた。もう一人の子はおとなしい性格のようで、こころなしか緊張した面持ちを秋彦に向けている。
「へえ、君たちのほかに修道院から学校に通ってる子はいるの?」
「いないよー。あれ、その綺麗な人、もしかして刑事さんの恋人ですかー!?」
棚に並べられたお菓子を見ていた椋露路が、メリーヴェールを置いて三人に近寄ると、突然、女の子が周囲に響き渡る大声で聞いた。好奇心で目をきらめかせている。当然かもしれないが年相応に恋愛に興味を抱いているようだ。
秋彦は首を振ったあと、ふと気になって質問をした。
「そういえば、あの亜不鎖っていう子は学校に通ってないんだね。君たちと歳は変わらないのに」
「あー、アズは事情が特殊だから。私たちも家庭に事情があって学生志願ってかたちでここにいるけど、正直、ずっと修道院にいるつもりはないの。でもアズは小さい頃に院長様に引き取られて修道女になったから……だけど……」
話していいものか迷ったように女の子は口を閉じたが、絶対に誰にも言わないという秋彦の言葉を聞いて、ためらいがちに続けた。
「アズ、好きな人がいるみたいなんだよね。直接聞いたわけではないけど雰囲気でわかるの。修道女は貞潔の誓願を立てて一生独身をつらぬくから、院長様が知ったらどういうことになるか……それに、多分アズが好きな相手って助祭様だと思う。昨日もこっそり会ってたんじゃないかな」
他言はしない、という秋彦の言葉を再度確認して、女の子たちはお菓子を物色するメリーヴェールを発見するやいなや、嬉々として跳びかかっていった。二人がかりで挟まれて首をかくかくさせられるメリーヴェールを見て、秋彦は彼女の首がそろそろもげやしないかと心配になった。
しばらく解放してもらえそうになかったため、メリーヴェールと子猫を残して秋彦と椋露路は事件現場である礼拝堂に向かうことにした。建物は外の通路に沿って横長の形状に建てられていて、その廊下の先が資料館になっていた。二人にとって外に出ずに移動できるのはありがたかった。
「あの女の子からは貴重な情報を得られたね。助祭っていうのは司祭の助手を指す言葉だけれど、昨日この修道院に来ていた男性は司祭だけじゃなかったのかい?」
「そういえばそうだった。でも、彼にも犯行は不可能だよ。修道女たちが労働をしている時間――つまり、犯行が行われたであろう時間には、助祭はここの副院長と一緒に講堂で講義の準備をしていたんだ。
「ちなみに、司祭はその間一人で講義内容を事前に確認していたという話だったけど、それを証明する者はいない」
資料館の中をぶらぶらと歩きながら、椋露路は秋彦から聞いた情報を吟味しているようだった。捜査中でそんな場合じゃないのはわかっているのだが、秋彦はつい彼女のその横顔には惹きつけられてしまう。
「安直だけれど、許されない恋を成就させるために亜不鎖か助祭が――もしくは二人が協力して院長を殺そうと考えることはありうるね。先ほどの話によると亜不鎖は院長の養子になっているだろうから、この修道院を含めた遺産を相続することもできるし」
ふと椋露路が顔を上げて秋彦を見ると、なぜか彼は狼狽して、椋露路は眉をひそめた。
「ところでこれは確認なんだけれど、亜不鎖というのは一人だけ別行動を取っていた修道女のことでいいね?」
「うん、そうだよ。なぜ別行動をしていたのかは、俺の上司が聞き込みをしてくれているはずだ。亜不鎖が被害者の養子になっているか、署の人間に調べさせるよ」
秋彦が電話をしている間、椋露路は何気なく資料館の壁に飾られた歴代院長の写真を眺めた。それによれば、現副院長が先代の院長を務めていたようで、今年で八十ニ歳になる老齢の人だった。その前の先々代院長が亡くなったのが今から四十五年前で、享年三十九歳と若くして死んだため、後を継ぐはずだった娘がまだ子どもで、先代院長が代わりを務めたのだろう。
「朱寧さん、おまたせ。調べ終わったら連絡がくるよ」
「小林刑事」
ぼんやりと思索に耽っている様子の椋露路に名前を呼ばれ、秋彦はケータイを片手に頭を傾けた。
「悪いけれど、もう一度電話をかけ直してもらえるかな? ちょっと気になることを思い出したから、ついでに調べてもらいたいことがあるんだ」




