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椋露路朱寧の推理録  作者: 雪車
消えない足跡
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その5



 修道院は高く厚い灰色のコンクリートの壁に囲まれていた。車の中で信号が変わるのを待ちながら、秋彦はその壁を眺めて罪人を収容する刑務所を連想した。しかし、刑務所の壁と違って逃走を防止するための有刺鉄線は付けられていない。この中にいるのは、自ら望んで壁の中で生活している人たちなのだ。


 「罪人を閉じ込めて自由を奪う拘禁という方法が刑罰として用いられるようになった当初は、修道院をそのための施設として利用していたそうだよ。当時は宗教裁判が盛んだったから、場所としてはおあつらえ向きだったんだろうね」


 秋彦の心を読んだのかそれとも彼女も同じ印象を持ったのか、椋露路が後部座席からのんびりとした口調で述べた。


 「でも、もともと修道院から出ないで生活をしている人が修道院に閉じ込められたって、なにも変わらない気がするけど」


 と、メリーヴェールが子猫を膝に乗せてとぼけたことを言った。


 「修道院の中のさらに一室に幽閉したんだよ。それにしても、メルかわいい!」


 椋露路が前触れなく叫んで、横に倒れ込んでメリーヴェールに抱きついた。メリーヴェールははなから諦めているため、人形のように脱力して宙を見つめたまま頭をかくかくさせる。


 「嫌になっても途中で修道院を出ることはできないのかな? あの中で暮らしている人たちは」


 信号が青になって秋彦は慌てて車を発進させた。


 ありとあらゆるものがお金に換価される今の時代、日銭を稼ぐための労働に意味を見出だせず、壁の中や部屋に篭って金よりも価値があると信じるものに時間を使いたいという気持ちは秋彦にも理解できた。しかし、それが一生となるとどうだろうか。

 

 「修道女シスターになりたいと申し出をしても、簡単には認めてもらえなかったはずだよ。修道院で共同体生活を送りながら修練を積んで、キリストに従って生きたいという望みを示す初誓願、一定期間ごとに更新のある有期誓願を経て、最終的に一生涯を捧げるという終生誓願を立てることになる」

 

 「すると、修道院には修道女だけじゃなくてそれを目指している途中の人がいるんだね。詳しいですね! 朱寧さん」


 正門前の交差点で反対車線を走る車が途切れるのを待ちながら、秋彦が首をひねって後ろを振り返ると、椋露路がケータイを片手でいじっていた。


 「今、ネットで調べたんだよ。ん? なんだいその顔は」


 秋彦の落胆したような表情を見て、椋露路が食ってかかった。


 「“頭脳という部屋にしまう品物については、仕事に役立つもののほかは決して手を出さず、役に立たない知識のために有用なものが押し出されないように心がけることが大切だ“とは推理学の創始者であるかのシャーロック・ホームズ博士の台詞だ。

 「それに関連して、調べればすぐにわかる情報を暗記するのは無駄なことだ。重要なのはそれらの情報を活用することのできるシステムをあらかじめ脳内に構築しておくことだ。条文をいちいち暗記している弁護士などいないだろう!」


 彼女は今日、いつもと比べて特に情緒が安定していない模様だ。秋彦に気にするなというようにメリーヴェールが肩をすくめた。

 

 正門には守衛はおらず、一般人も自由に敷地に立ち入り可能になっていた。駐車場のそばに天使をかたどった像が立てられていて、その後方に向かって舗装された通路が続いている。平日の昼間にこの大雪とあって、三人のほかに一般の巡礼者はいない。


 「あの建物は資料館と売店になっていて、修道院の歴史や修道女の生活を伝える資料が見れるよ。修道女が作った手作りのお菓子と工芸品も売ってる」


 車から降りると、秋彦が大天使聖ミカエル像と書かれた石像の右手にある、比較的新しい建物を指差して解説した。


 「通路に沿って進むと……見えるかな? 聖母マリア像と巡礼者用の礼拝堂があるんだけど、一般人が立ち入れるのはそこまでだ。入門者の門が備え付けられた壁の奥には関係者しか入れない。今は俺の上司が一人で聴き込みをしてると思うけど」


 説明を終える前に、女性二人は聖ミカエルを素通りして雪道に足跡を残しながら建物に向かって歩き始めていた。寒い寒い、風邪を引いてしまうよ――椋露路が両手で肩をさすりながら背中越しに告げた。


 秋彦は彼女らの仕打ちに無性に悲しくなったが、振り落ちる雪の中でくしゃみをしてから鼻をすすり、二人を追って建物の中に入った。


 

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