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椋露路朱寧の推理録  作者: 雪車
消えない足跡
27/35

その4

 昨夜に比べるとだいぶ勢いは弱まったが、雪は途絶えることなくしんしんと降り続いている。国道二〇号線にパトカーを走らせながら、小林秋彦は心を浮き立たせていた。あの二人に会うのは久しぶりだ。


 ウインカーを出して、ハンドルを切った。駅前の交差点を左折してイチョウ並木に入る。除雪作業の行き届いていない雪に埋もれた車道に沿ってイチョウの木がまっすぐに植えられている。その両側にマンションやカフェ、定食屋などが軒を連ねていた。秋彦は速度を落として車を前進させる。


 正直、今回の事件は彼女たちの手をわずらわせるほどのものとも思えなかったが、数十年に一度と言われる大雪で人手が足りないのも事実だし、なにより秋彦は彼女たちの顔を見たかった。ここ二か月ほど捜査にてんてこ舞いで、彼女たちも忙しい様子だったため、探偵事務所に顔を出すことができなかったのだ。


 ――小林……なんの用。

 秋彦は、先ほど受話器の向こうから聞こえてきた女の子の可愛らしい声を思い浮かべて、一人でにやにやした。 

 

 突き当りを左折すると、すぐに赤煉瓦に覆われた建物が見えた。玄関前の歩道の上で雪だるまを作っている二人の姿を認めて、秋彦はクラクションを鳴らす。


 ハザードランプを点滅させてからパトカーを停めて、エンジンをかけっぱなしにして運転席から出た。その際、秋彦は凍った道路に足を滑らせて、危うく転倒するところだった。


 「朱寧さんメルさん、久しぶり!」

 彼のほうを向いて歩道に立っている二人に手を振って、転ばないように慎重に歩み寄った。すると、その秋彦めがけて勢いよく雪玉が飛んできた。間髪入れず次から次へと容赦なく雪の塊が襲いかかる。

 

 「うわっ……ちょっと……」


 渾身の一発が秋彦の顔面で砕けて、どさりと雪の上に尻もちを着いた。頭上で椋露路とメリーヴェールが歓喜の声をあげた。


 「やあ、大丈夫かい」

 椋露路から笑顔で聞かれて、秋彦は苦笑いを浮かべて立ち上がった。思わぬ歓迎を受けて、文字どおり面食らってしまった。

 「二人とも元気そうでなにより」


 二か月ぶりに会った彼女たちは、大雪に浮かれて秋彦に手の付けられない状態のようだった。特に椋露路は、ツインテールでドレスの上に革のジャケットという珍しい格好だった。メリーヴェールと合わせて、全体的にゴシックアンドロリータの雰囲気だ。二人ともよく似合っている。


 頭の上に雪を積もらせて雪だるまに木の枝を突き刺しているメリーヴェールの姿を見つめて、秋彦が挙動不審になっていると、椋露路が顔を近づけて囁いた。


 「君、こういうの好きだろう? ちょうどいいから、日頃のお礼ということでプレゼントするよ、役に立ててちょうだい」


 そう言って、後ろ手にこそこそと一冊の分厚い背表紙の本を手渡した。カバーが外されていて、一見してなんの本だかわからない。


 「これは?」

 本を持ち上げようとする秋彦の腕を制して、椋露路は慇懃に首を振った。


 「家に帰ってから読んだほうがいい。ただし、ほどほどにね」

 彼女は秋彦の手からその本を引ったくって、パトカーの扉を開けて助手席に放り込んだ。よくわからないが、秋彦はとりあえず彼女にお礼を言った。


 「メル、続きはあとにしてお仕事に行くよ!」


 呼びかけると、メリーヴェールは左右で三つ編みにして髪飾りを付けた頭を上げて、椋露路と一緒に後部座席に乗り込んだ。秋彦は大きなくしゃみをひとつしてから運転席に座って、車を発進させた。

 

 「今回の事件の舞台はどんなところだい?」

 

 「カトリック教の観想修道会の、女子修道院だよ。比較的小さなところで、二十人弱の修道女がそこで生活しているみたいだ」

 

 秋彦が頭上のミラーを覗くと、メリーヴェールの衣装の胸元からさび色のふわふわとした毛並みの子猫がぴょこりと顔を出した。


 「観想修道会って?」

 子猫を手に抱いて、メリーヴェールが聞いた。


 「カトリック教会には修道会の制度があって、それぞれの会員同士が集まって修道院の中で共同生活を送っているんだ。観想修道会の会員は修道院から外に出ることなく生活をしている人たちだよ。メル、その子の名前はどうするんだい?」


 メリーヴェールはうーんとうなって、子猫と見つめ合った。おとなしい性格のようで、子猫は鳴き声も上げずにじっと彼女の瞳を見つめている。半開きになった両瞼の上に生えた毛が横長に白色になっていて、なんだか白い眉毛みたいだった。


 「まゆげ」

 

 メリーヴェールはぽつりと呟いた。椋露路と秋彦はなんとはなしにミラー越しに視線を合わせる。


 「まあ、君の好きなようにゆっくりと考えて名付けるといいよ」


 二人はいつもこんな感じなのだ。秋彦は久しぶりに触れる自信家の探偵と意中の助手が作り出す雰囲気に頬を緩ませた。

 「突然協力をお願いしちゃってごめん。迷惑じゃなかったかな」

 

 「大丈夫。仕事も片付いてまったりしてたところだったから、ちょうどよかったよ。どんな事件なんだい」


 椋露路から聞かれて、秋彦にしては珍しく、得意げに笑顔を浮かべて早口に答えた。

 「実は、警察に通報があったのは今朝早くなんだけど、今の時点で容疑者は一人に絞れているんだ」

 

 「へえ! 修道院には二十人近くの修道女がいるんだろう、その中からどうやって一人に絞ったんだい」


 「それがね、俺たちが睨んでいる相手は修道女じゃなくて男なんだ。修道女が生活する空間には一般人は入れないし、特に男性は立ち入り厳禁なんだけど、事件があった昨日は修道生活を指導するために司祭が滞在していたんだ」


 「ふうん、その司祭が怪しいと思う根拠は?」


 「消去法で容疑者を絞っていったら、現場の状況から考えてその司祭にしか犯行は不可能なんだ。というのも修道女は規則正しい生活を送っていて、犯行予想時刻にはほぼ全員がまとまって行動していた。一人だけ別行動をしていた修道女がいたけど、その子にも犯行は不可能だ」

 

 「それはまた、どうして?」


 「事件があった場所は、今はもう使われていない礼拝堂に備え付けられていた一室で、修道女が生活する聖堂とは二十メートルほどの距離があるんだけれど、遺体が発見された時に礼拝堂周囲の雪の上には足跡がなかったんだ」


 椋露路はミラー越しに頷いて、先を促した。


 「犯行予想時刻は昨日の夕方頃で、その時間、修道女は日課の労働――お菓子作りや工芸作業のあと、講堂に移動して司祭の講義を聞いていた。問題の修道女はほかのみんなと一緒に労働作業をしたあと別行動を取ったんだけど、ちょうどその頃に本格的に雪が降り出して、少なくとも犯行を終えて事件現場の礼拝堂から聖堂に戻るには足跡が残るはずなんだ」


 「本格的に雪が降り出してから、地面に雪が降り積もるまでの間に素早く犯行を終えて聖堂に戻れば、足跡は付かないんじゃないのかい?」


 秋彦はハンドルを握りながら、椋露路の問いかけに首を振った。

 「犯人が事件現場に一時間近く滞在していたと断言できる証拠があるんだ。だから、その修道女が殺したんだとしたらどうしたって足跡が残る」


 「その証拠ってなんだい?」


 「暖炉にくべられていたまきだ。被害者は毎年この時期になると、一日中一人でその部屋に篭って熱心に祈りを捧げる習慣があるらしいんだけど、その際暖炉を使わずに、毛布にくるまって祈るらしいんだ。ただ、来客時には暖炉に火をくべるらしい。その暖炉に残っていた薪の量から逆算して、犯人は一時間は滞在していたと推測できる」


 「しかし、薪の量なら細工できるんじゃないかな」


 秋彦は考えていなかった、というように顎を上げた。


 「それだけじゃないんだ。被害者は睡眠薬を飲まされて、眠らされたあとに紐でぐるぐるに縛られていた。その睡眠薬の種類から、服用してから効果が出るまで一時間近くかかるんだ。事前に薬だけを飲ませたりする隙もなかったから、犯人が被害者を訪問してから薬の効果が出るまでの時間は滞在していたことになる」


 「その修道女が犯人だとしたら、雪の上に足跡が残らなければおかしいわけだね。ところで、被害者はどんな人なんだい」


 「修道院の院長をしていた六十歳の女性で、身動きが取れないように紐で縛られてベッドに寝かされていた。ベッドの上にある窓が全開になっていて、夜中に様子を見に礼拝堂を訪ねた別の修道女が発見した時には、被害者の身体はかちかちに凍りついていた」


 「ということは、死因は……?」


 「解剖をしてみないと断定はできないけど、外傷はなくてほかに毒物を飲まされた形跡もなかったから、おそらく凍死だと思うよ」

 

 「それはまた、奇妙な事件だね。犯人は君が睨んでいるその司祭だとしても、わざわざ凍死なんて殺し方をした理由はなんなんだろう」


 椋露路は窓に付いた水滴を手のひらでぬぐって、降り続く雪をじっと眺めた。 


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