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椋露路朱寧の推理録  作者: 雪車
消えない足跡
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その2

 「朱寧っ! 雪だっ!」


 翠色の瞳をエメラルドのようにらん々と輝かせて、メリーヴェールが扉を開けて部屋に入った。雪のようなほっぺを赤く染めながら息を切らして、燃えるような髪に降りかかった雪のかたまりがその熱で溶けてしまいそうだ。


 「大変なんだっ、朱寧っ!」

 ベッドの上で芋虫のように布団にくるまった椋露路朱寧むくろじあかねに跳び乗って、メリーヴェールはその小さな身体をゆさゆさと上下に動かした。


 椋露路は苦しそうに喘ぎながら、枕元の目覚し時計を片手で掴んだ。


 「うぅ……メル、まだ十一時じゃないか……あと一時間だけ……」


 冬の寒さも本格的になって依頼もめっきり来なくなったメリーヴェール探偵事務所の女探偵は、すっかり堕落しきった生活を享受している。昨夜も日付が変わって朝方近くなるまで、なにやら不健全な小説を読み耽っていたようだった。


 メリーヴェールはしばらくゆさゆさしてから諦めて、ベッドを降りて部屋を出ていった。


 開けっ放しになった扉から、部屋の中に冷たいすきま風が入ってきて、椋露路は分厚い布団の中で身を縮めた。


 「朱寧、家の前に子猫がいたよ!」


 メリーヴェールがまた、慌ただしく興奮した様子で入室した。その腕には生後まだ間もないといった感じの子猫を抱いている。


 「ほら……これ……」


 布団の端を持ち上げて、子猫を椋露路に見せようとベッドに乗ったメリーヴェールの身体を、布団の間からすらりとした二本の腕が伸びて、闇の中に引きずり込んでしまった。


 しばらくそのまま何事もなく、部屋の中を静寂が包んだ。膨れ上がった布団の中でごそごそもふもふとまさぐるような気配がしたかと思えば、ぴたりと動きが止まった。


 「わあっ!?」


 突然、布団が高く舞い上がって、椋露路が身体を起こした。彼女は寝間着姿で髪を高い位置で左右に纏めている。布団の中で捕らえた獲物にふわふわの異物が混じっていて、驚いて跳ね起きたのだ。


 「なんだ、猫か……」


 椋露路は息をついて、シーツにぺたりと座り込んだ。危うく脱がされる寸前だったメリーヴェールの、黒色でシックなロリータ系の衣装の上に、サビ色の小さな毛玉のかたまりが乗っている。優しく抱いたメリーヴェルの指を、一生懸命噛んでいる最中だ。


 あくびをしてからベッドを降りて、椋露路はヒーターの電源を入れた。メリーヴェールは上体を起こしてから子猫をベッドに放して、むっとした表情で服を直す。


 「ふわぁっ……それにしてもその猫、目つきが君にそっくりだね……子猫っていうのはつぶらな瞳をしてるものだと思ってたけど」


 たしかに、子猫の緑色の瞳の半分を瞼が塞いでいて、メリーヴェールに似ていた。一緒にいると不思議と姉妹のように見えなくもなかった。


 「これ、飼ってもいい?」


 「うーん……トイレのしつけとか、予防注射とか? 幸い部屋は広いし、苦情を言う人もいないし。ちゃんと世話できるなら、いいよ」


 椋露路の言葉を聞いて、メリーヴェールは意味深な視線を彼女に投げかけた。まるで、もっと手間のかかる奴がここにいるとでも言いたげだ。椋露路はそれをどう受け取ったのか、片目をつむってにこりと微笑んでみせた。


 メリーヴェールはいつも、そんな椋露路の勘違いした素敵な微笑みを見て、なにも言えなくなってしまう。子猫はベッドの上で服の裾を噛みながら、両足をばたばたと動かしている。


 「それはそうと、メル、すごい雪だよ! これなら大きな雪だるまが作れるよ!」


 カーテンを開けて一面の雪景色を見ながら、椋露路は感激の声を上げた。空から地面まで真っ白で、隣家の屋根には三十センチ近くも雪が積もっていた。


 「雪だるまはもう作った」


 自信満々に告げたメリーヴェールの身体を、子猫がよじ登る。彼女は目の端でそれをじっと見守った。


 「なんだって!? どうして起こしてくれなかったんだ! 東京にこれほど雪が積もるなんて、滅多にないのに」


 すごい剣幕で椋露路から言いがかりを受けて、メリーヴェールは眉を寄せる。


 「一人で作れば」


 「僕一人で? そんなみっともない真似ができるかい。君って人は! まったく! ひどいやつだ」


 彼女は今、怠惰という劇毒に侵されてまともな精神状態じゃないのだ。窓に両手を当てて悪態をつく椋露路を見て、メリーヴェールは憐れに感じた。彼女には、とりあえず苦い珈琲が必要だ。


 メリーヴェールは子猫をベッドに降ろして、目覚ましの珈琲を淹れに台所へ向かった。ミルでごりごりと鬼のように豆を挽いてから、珈琲メーカーにぶち込んでスイッチを入れて、数分待つ。その間に小皿を取り出してファッジを盛る。ひとつ頬張るとメリーヴェールは幸せな気持ちになった。


 「ううっ、なんて愛くるしい生き物なんだ」


 椋露路の部屋から奇声が響いた。おそらく、彼女が子猫と戯れているのだろう。メリーヴェールは子猫の身を案じて、一転して不安になった。


 様子を見に台所から廊下へ出ると、テニスボールくらいの大きさの子猫が鬼気迫る勢いでメリーヴェールに走り寄った。足元で助けを求めるように鳴く子猫を、そっと抱き上げる。すると、椋露路が子猫を追って部屋から顔を出した。 

 

 「朱寧…………」


 低い声でつぶやいたメリーヴェールを見て、椋露路は部屋から身体を半分出して、楽しそうに笑顔を浮かべながら首を傾げた。


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