その8
『この屋敷は空だ』
『盗品は村の蔵にある』
秋彦と一本木は犬屋敷の玄関扉に貼り付けられた謎の便箋を見つめながら立ち往生していた。
「このやしきはそらだ……なにかの暗号か? 盗品ってのはなんのことだ……?」
人差し指で拳銃をくるくると回しながら、一本木が呟いた。彼女が探しているのは妖怪人喰い婆の根城だ。この屋敷が空というなら、地面はどこにあるのだ。まさか人喰い婆は空を飛べるとでもいうのか。
「一本木さん、マッチかライター持ってますか?」
思考の邪魔をするな、と言いたげに顔をしかめて、一本木は秋彦に向かってライターを放おった。悔しいが、一本木は頭脳ではこの後輩に一歩劣る。彼が暗号を解くための手がかりを見つけてくれるかもしれない。
しかし、おやおや。とんだ買い被りだったようだ。この後輩ときたら、辛抱たまらず業を煮やして、便箋を手に取ってライターをかざして火をつけたではないか。間違いない。こいつは早漏だ。
秋彦はこの便箋に思い当たることがあった。もしこれが彼の想像どおりの代物なら――そうだ、間違いない。
秋彦が火をかざすと、便箋の中央に模様が炙り出された。鮮やかな薔薇の模様――秋彦はこの便箋に見覚えがあった。彼が薔薇の模様をじっと見守ると、薔薇の花弁に火が灯り、炎は紙全体に広がって、やがて灰ひとつ残さずに便箋は消滅した。
「この便箋は、俺の知人がここに貼ったものです。そうか、彼女も今この島にいるんだ……」
秋彦は心強い味方を得た気持ちだった。なぜ彼女がここにいるのかはわからないが、彼女ならこの島で起きた不可思議な体験を説明してくれるに違いない。
きっと、美倉荘に宿泊していた母娘というのが彼女たちなのだ。昨日見た赤毛の女の子――メリーヴェールも見間違いではなかった。
「その知人ってのは、信頼できんのか?」
「ええ、まず間違いないですよ。この屋敷に手がかりはない。俺たちの追っている怪盗ヘルハウンドとかいう窃盗犯は、村の蔵に盗んだ品を隠している――ここまでは明らかになった事実と考えていいでしょう」
「あ、ああ……怪盗……な。そうか、そいつは捕まえねぇとな」
一本木は自分の任務を思い出して、気を引き締めた。
「村の蔵か……そういえば、この森に入る前、一本木さんと離れたあとにおかしな体験をしたんです」
秋彦は一本木に、トラックの荷台に荷物を積み込む住民と、秋彦が話しかけた時の異様な反応を話した。すると、彼女にも思い当たることがあるようで、その場所が怪しいということになった。
「その知人と連絡取らねぇのか?」
一本木からの質問に、秋彦は思案した。その必要があれば彼女のほうから連絡をしているはずだ。先ほどの便箋は、村の蔵を調べに行けという彼女からのメッセージだろう。秋彦はそう解釈した。
「俺たちだけで行きましょう。こっちには武器があるし、警察だと言えば無駄な抵抗はしないでしょう」
二人は森を出て、里の西側に向かって歩いた。しかし、わからないことだらけだ――怪盗ヘルハウンドとは何者なのか。村の蔵に盗品を隠すとは一体……村人の不可解な反応からすると、怪盗の片棒を担いでるとも考えられる。
また、犬屋敷とはなんだったのか。夢ではないと断言はできないが、秋彦は昨日人面犬を見たのだ。その時はたしかに、先ほど一本木が倒した猛犬どもは静まり返っていた、それはなぜなのか。あの老婆は?
それに、久保田はなぜ犬屋敷に近づいたのか。秋彦に置き手紙を残した彼女はなぜこの島に来ているのか。
※
間に合わせの回答も出せないまま、秋彦と一本木は問題の民家へ到着した。敷地に人影はないが、玄関に明かりが灯っている。
「よし、行くか」
一本木は門を通って玄関へ向かった。堂々と正面から乗り込むつもりだ。小細工は無用――一本木らしいやり方だ。秋彦は彼女に続く。
呼び鈴を鳴らすと、少ししてから扉が開いた。七十歳近いと思われる着物姿の婦人が笑顔で出迎えた。一本木が警察手帳を開いて家の中を調べさせるように告げる。
「左様で御座いますか、私にはなんともお答えできませんが、ひとまずお上がりください」
秋彦と一本木は客間に通された。座布団を用意され、そこに座ると、お茶が出された。
「どうもお構いなく。ところで、ここはどなたの家なんですか?」
秋彦が尋ねると、襖の前に正座した和服の婦人は答えた。
「村長の家で御座います。村長は只今打ち合わせ中でして、しばらくお待ちくださいませ」
そう言って、彼女は部屋から出ていった。
「村長の家とはな……共謀のうえだとしたら、盗品を隠すには絶好の場所だな」
一時間ほど経っただろうか。忘れ去られてしまったのか、それ以降まったく音沙汰がない。一本木に至っては机に身体を突っ伏して眠ってしまった。
「ちょっと、一本木さん。寝ないでくださいよ……」
秋彦が揺すっても起きる気配がない。駄目だこれは。
「お待たせしました」
ようやく、村長が襖を開けて客間に姿を見せた。浅黒い肌をしていて、禿上がった頭が油で光っている。かなりの歳だろうが、例によって健康な体つきをしている。
秋彦は驚いた。村長だけではなく、ぞろぞろと――全部で八人もの人間が客間に入室した。揃いも揃って不自然なほど若々しい肉体をして、笑みを浮かべている。
まただ――秋彦は体中が怖気立った。彼らの内側には、秋彦の想像が及ばない、知ってはならないおぞましいなにかがいるのだ。
「おやおや、これは可愛らしい二人じゃないか」
そのうちの一人が言った。
「期待できるぞ……昨日のはなんて言ったかな、あの探偵は?」
「昨日のは、久保田ちゃんだよ」
ほかの一人が答えた。
「あれは酷かった……まだ残ってるが、あれはもういらないよ。しかし、薬の効き目が遅いね?」
なんの話だ……秋彦は自分をじっと見つめながら話す村人たちを見回した。全員が両手を後ろに回して、何かを辛抱強く待っている様子だ。
「おや、一口も飲んでないんじゃないか? 仕方ないね」
村長の隣にいる側近といった感じの男が、両手を前に出した。その手には、使い込まれた小さめの斧が握られていた。
すると、村長以外の全員がそれに続く。斧、鉈、包丁――それに、見たことのない形状の刃物が秋彦に向けられた。
この時の秋彦の対応は、落第だった。しかし、それを責められるだろうか? 理解できない状況に直面した時、人はその場に立ち止まってしまうものだ。秋彦は自分の置かれた状況を理解しようと必死だったのだから、すぐにでも拳銃を抜かなかったことを責めることは出来ないだろう。
しかし、それですべてが決まってしまうのだ。
刃物を掲げてにじり寄る村人たちと間抜け面を浮かべた秋彦、眠りこけた一本木がいる客間の、襖がゆっくりと開いた。
一同が視線をやると、そこには女の子がいた。怒ったような、眠そうな顔をして、きょろきょろと客間を見渡す。そして、座布団にあぐらをかいて座っている秋彦に目を止めた。
「メ、メルさん?」
秋彦が素っ頓狂な声をあげると、メリーヴェールはなおさら不機嫌そうに眉を細めた。
可愛らしい闖入者に目を奪われて、眠っている一本木を除く全員がその場で首を傾げた。
すると、メリーヴェールはその二つのくりくりとした、瞼が下りかけた瞳を、秋彦から外して反対側の襖に向けた。
そちらには、ペイズリー柄のスカーフを首に巻いて、サングラスをかけた女が立っていた。その手には銃が握られている。
パン、パン、パン――
と七発の銃声が弾けて、うめき声とともに村人の手から刃物が落ちた。ぽたぽたと畳に血が滴り落ちる。
「ペ、ペイズリーおばさん……?」
秋彦は、またもや素っ頓狂な声をあげて、老婆の格好をした救世主を見つめた。
「ペイズリーおばさん? なんだいそれは」
椋露路朱寧はサングラスを外して、首を傾げた。




