その6
「あのババア……間違いねぇ……」
一本木は拳銃をポーチにしまって、汗だくでシャツをだらしなくぱたぱたとはためかせながら、一人で美倉荘まで引き返していた。彼女は真に迫る様子で、独りごちている。
「間違いねぇ……あのババアがうちの追っている、妖怪人喰い婆だ」
妖怪人喰い婆とは、この島に生息すると真しやかに誰かが噂している、怪談の一つである。
昨日、一本木がすることがなくて惰性で見ていた匿名掲示板サイトに、それっぽい妖怪を考えようというテーマで書き込みがしてあったのだ。その中に、これはマジだから、という前置きのあと、妖怪人喰い婆の情報が寄せられていた。
それによれば、足が超速い。その姿を見たら最期、この島にいる限りどこまでも追ってきて、捕まえてばらばらにしたあと、ソテーにして食べてしまうそうだ。
「ちっ……ソテーだと、ふざけやがって」
一本木がよくわからない悪態をつきながら歩いていると、ある民家の敷地に島の住民たちが集まって、穏やかでない雰囲気で話をしていた。一本木が門の前に立っていることにも気づかずに、ある者は狂喜しながら、ある者は暗い面持ちで議論を交わしている。
盗み聞きするつもりはあるのだが、一本木は隠れもせず堂々と耳をそば立てた。
それなりに距離があったため断片的にしか聞き取れなかったが、村の蔵に誰かが侵入した――処罰をする――という物騒な話が聞こえたかと思えば、昨日の晩御飯は美味しかった――今日の献立は――というとりとめのない会話をしている。その中で、先ほどの男の刑事――という言葉が聞こえてきた。
――今の話、あっきーのことじゃね?
一本木はなんとなく嫌な予感がした。そういえば、妖怪人喰い婆を追っている最中に秋彦とはぐれたのはこの辺りだ。
まあいいか――一本木は深く考えずに、盗み聞きにも飽きて、ホテルに向かって歩き出した。
「あー……」
「だりぃ……」
「いい男いねぇかな……」
「この際……あっきーで我慢するかな……」
「ぷっ……超ウケる」
一本木は、突然、発作に襲われたように笑い始めた。近くに誰かがいたとしたら、気の毒な人だと思って哀れみの視線と百円玉を投げかけるか、もしくは彼女の陽気に当てられて、つられて一緒に笑い転げてしまうかのどちらかだっただろう。
「ふぅ、いや、あっきーも悪くないけどね」
彼女はひとしきり笑い終えると、お腹を押さえながら立ち上がって、落ち込んでいる後輩の姿を想像して思わずフォローを入れた。あの後輩は繊細なのだ。
「でもお前、ロリコンだし」
一本木はことさら上機嫌になって、両手を前後に振りながら、ともあれば歌い出しそうな調子で歩き始めた。
「んっんー、んっんー」
うちの後輩 ロリコンです
刑事のくせして ロリコンです
一生懸命 ロリコンです
彼の待ち受け 少女です
美女と相部屋 見向きもしない
それは なぜなら ロリコンだから
「やっべぇ……うち、作曲の才能あるかも」
彼女はますます調子に乗って、大声で熱唱をしながらホテルへと向かった。そしてこの日以降、しばらくの間この里で、作詞作曲者不明の謎の歌が流行した。
※
「しっかし、あのババア、なんとしても退治してやらねばネバネバ」
一本木はやけにハイになって、くすくす笑いながら、一人で森の中に足を踏み入れた。あの後輩によれば、この森の中にあの妖怪人喰い婆の根城があるのだ。
一本木には、秋彦が遭遇したと話していた人面犬の正体にも予想がついていた。間違いない――真相はこうだ。
妖怪人喰い婆の好物は内蔵系だ。なぜなら、一本木自身モツが好きだからだ。脳みそは食べないだろう。だって、気持ち悪い。
すると、妖怪人喰い婆に捕まった者の死体は、胴体は残らずこてこてのソテーにされて、頭部はそのまま残ることになる。ということは、どうなる?
そのとおりだよワトソン君。お屋敷を走り回ってるワンちゃんたちが、頭部をボールと勘違いして、くわえては投げ、くわえては転がし、気がつけば食べちゃった! ということになる。君はワンちゃんが頭部をくわえてるところを見て、人の顔をした犬だと勘違いしたのだよ。馬鹿め。ロリコンめ。
一本木は自分の推理の正しさを証明するため、森の中にあるというお屋敷を目指して、歌を歌いながら獣道を進んだ。
しかし、不気味な森だ。なるほど、この荒れ放題の森を庭にしているというなら、さきほどの人喰い婆の身のこなしも納得できる。敵に不足なしといったところか。
「おっ? なるほどなるほど、雷も落とせるというわけだな……」
やるな――と呟いて、一本木は折れた大木を左に曲がった。なぜ右ではなく左に進んだのかと聞けば、彼女はこう答えるだろう――右にも行けたのか? と。
やがて、彼女はたどり着いた。妖怪人喰い婆が住んでいるという朽ち果てたお屋敷に。錆びた金属製の柵が敷地を囲っていて、門には南京錠と蔦が絡みついている。
一本木は拳銃を取り出して南京錠に銃口を向け、引き金を引いた。鈍い金属音が響いて、腐食した錠はあっさりと砕けた。
続けてデニムの裾を持ち上げて、足首に固定してあったサバイバルナイフを取り出し、蔦を切断していく。
「くそっ、面倒くせぇ……」
手こずりながらも、扉と扉の隙間にナイフを差し込んで上下に動かした。彼女の身長では柵の高さの半分程度しか届かなかったが、扉を押し開けば通り抜けれる程度の隙間はできた。ナイフをしまって、敷地に入る。
すると、敷地の中、彼女の前方から聞き覚えのある声――小林秋彦の悲鳴が聞こえてきた。




