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椋露路朱寧の推理録  作者: 雪車
犬屋敷の秘密
17/35

その3

 犬屋敷は、小高い丘の頂上から中腹にかけて、丘の斜面と段差を利用して建てられていた。


 敷地はかなり広く、丘のふもとに背の高い真鍮製の柵が設けられており、秋彦の位置から確認できるのは、柵と柵の間に絡みついたシダ植物の隙間からうっすらと見える、建物の地下層に当たる部分だけだった。

 

 敷地内に生えた木の幹から伸びた蔦が、石壁の表面を縦横無尽に走っていて、犬屋敷はこの鬱蒼とした森の一部と化しているようだった。


 柵門には褐色の錆びに覆われた南京錠が掛けられていて、シダ植物が固く絡みついていた。これでは、この門は開けられない。

 

 柵は登れない高さではないが、頂点が槍状に尖っていて、部外者の侵入を拒んでいる。


 秋彦の注意を引いたのは、犬の鳴き声や気配がないことだった。診療所で久保田から聞いた話では、敷地内に猛犬が放し飼いになっているとのことだったが、そんな様子はない。そもそも、荒れ果てた状況からしてこの屋敷に人が住んでるとは思えなかった。


 久保田の話が間違っていたのだろうか。秋彦は、続けて彼が言ったことを思い出した。


 ―― いつもはやかましく獰猛に吠え立てている猛犬どもが今日に限って静まり返ってたんだ。

 ――敷地に入ってみたら、やっぱり犬の姿は見えない。それで油断したところを毒蛇に足を噛まれたんだ。


 「久保田の話からすると、どこかから敷地に入れるはずなんだけど」

 

 秋彦は少し考えて、藪の中にスニーカーを突っ込んで、柵を右側に回り込むように歩いていった。


 草に覆われた地面は起伏があって足を取られたが、注意して歩けば問題はなかった。けれど、足元が見えないのはなんとも不安で、秋彦はつい早足になった。


 「蛇よ、出てくれるなよ……」

 

 実際に毒蛇に咬まれた者がいるのだ。歩きながら秋彦は足を踏み入れたことを少し後悔した。


 そのまま五十メートルほど進むと、敷地の角に到着したらしく、柵が左に直角に曲がって斜面の上へと続いていた。ここまでは敷地内に侵入できそうな場所はなかった。

 

 「久保田にどこから入ったのか聞いとく、べきだったな……」

 

 はあはあと息をつきながら、秋彦は斜面を登っていく。


 その時、ただでさえ薄暗い森の中で、太陽がちょうど丘の反対側に差し掛かっていた。丘と犬屋敷の落とした影が秋彦に覆い被さっている。


 「ううっ、くそ、まったく薄気味悪い森だ……懐中電灯を持ってくるんだった」

 

 疲労と不満で秋彦は足を止めた。こんなことなら、あんな上司でも無理に連れてくるべきだった。しかも、このまま進んでみたところで敷地に入れそうな場所などありそうにはなかった。


 「なにからなにまでどうかしてる! いや……待てよ、久保田は柵を乗り越えたって言ってたんだっけ?」

 

 秋彦が昨夜の会話を思い出そうと記憶をたどっている頃、この森の暗闇の中で動くものが、彼のほかにもうひとつあった。

 

 かさかさと敷地内の草をかき分けて、柵の下に掘られた隙間をくぐり、茂みの中から頭を出した。


 その生き物は秋彦を――何も知らずにこの島へ来て、抜き差しならない状況にいることをまったく自覚していない、若手刑事の姿を捉えた。


 そして秋彦は暗闇の中で、足元から自分を見上げている生き物を目撃した。


 身体は黒い毛皮に包まれていて、暗闇に溶け込んでいた。その中で、おぼろげに白い輪郭と二つの目、細くすらりとした鼻に口が浮かんでいた。


 ――なんてことだ!

 

 秋彦の視線は吸い込まれるようにその顔に釘付けになった。


 ――一体、なんてことだ!?


 秋彦は自分の気が狂ってしまったのだと思った。そうでなければ、この生き物の顔が、自分のよく知っている顔だなんてことがあるものか!


 久保田の言ったことは本当だった。この島には――犬屋敷には、人面犬が闊歩している!


 ※


 メリーヴェールが二階の窓から微笑みを浮かべながら秋彦を見下ろして、優しく手を振っている。


 そうか、俺は夢を見ていたんだ。息をぜえぜえと切らしながら膝に手を当てて、秋彦は思った。実際、あんな荒唐無稽なものを見るなんて、まるで現実味がない。


 人面犬を見てから秋彦は、脇目も振らずに全力で、犬屋敷から美倉荘まで一気に駆け抜けてきた。


 そしたらあの赤毛の可愛らしい女の子が、秋彦に微笑んでいるのだ!

 

 夢だ。よく見る夢の続きだ。場所はいつもの煉瓦造りの建物ではないけれど。


 ほら、よく見てみれば、あの子は微笑んではいない。無表情で、見たことあるやつがぜえぜえ喘いでいる様子を面白そうに眺めているだけだ! ――あれ、すると、もしかしてこれは現実なのだろうか。でも彼女がこの島にいるぱずがない。


 すると、夢と現のはざまに立って、微笑みながら――あるいは無表情で――秋彦を見下ろしている少女が、手に持っている袋の中からチョコレートを一粒、窓越しに投げて寄越した。

 

 「あいてっ」

 

 チョコレートは見事に秋彦の額に命中してから地面にぽとりと落ちて、秋彦から逃げるようにころころとどこかへ転がっていった。

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