その7
『この館には怨念が渦巻いている』
我が月刊ドール編集部は去る五月初旬、熱烈なアンティークドール蒐集家として知られる舘谷鬼一郎氏から、同氏所有のアンティークドール展覧館にて行われる予定の開館前夜祭への招待を受けた。本展覧館はドールを展示するものとしては国内最大規模を誇るものであり、六月中旬での開館が予定されている。舘谷氏の長年の悲願が実を結んだ形だ。同氏が吉永しずえ氏の作るドールに特別の関心を寄せていることは業界内では周知の事実であるが、両氏の確執もまた多くの知るところであった。その確執とは、詳細は本記事では省かせて頂くが、一昨年の十二月に病で他界した吉永氏の死因と無関係ではないと噂されている。そのような確執を持つ舘谷氏が吉永氏の死をきっかけに同氏のドールを相当数入手し、本展覧館の建設に至ったのは間違いのない事実であるから、故吉永氏及びその遺族の心中は如何程のものであろうか。
当編集部は前夜祭への招待を受けて二名の記者を派遣した。私藤森と専属カメラマンの安部である。独占取材の栄誉を得て意気揚々と展覧館へ向かったのであるが、まさかこのような奇怪な事件に遭遇することになるとは露ほどにも考えていなかった。読者の皆様方にも、『呪いの人形』を特集した本誌のバックナンバーをご覧頂ければ、本記事を読むことによって今回私どもが体験した信じ難い現象の数々を正確な知識を持って追体験し、常識という名の暗闇に覆い隠された真相に一筋の光を当てることが可能であると確信している。というのも、事は単純なのである。この館で起きた恐るべき二つの事件は、冷静な目と柔軟的確な思考を持つ者ならばドールの手によるものと結論付けるほかないからだ。
結論から理解して頂くならば、特筆すべきは二点である。どちらの事件も密室で起こったこと。そして、室内には被害者とドールしか存在しなかったことである。無論、家具家財の類はあったが、包丁が独りでに宙を飛んで舘谷氏の腹に突き刺さったとか、ベッドが立ち上がって招待客の頭部を陥没させたなどという妄論を反証として掲げる者はあるまい。
概要は今述べたとおりであるが、事件当時の詳しい状況は下記による。
舘谷氏の絶叫が館を震わせたのは午後七時を回った頃であった。その時、舘谷氏と招待客の一人(この人物の存在を本件においてどう扱うべきかは当編集部の判断に余るところであり、今後の読者諸君、専門家の研究を期待する)を除いて全員が広間にいた。(中略)つまり、舘谷氏の「ドールが動いた」という証言を疑う理由はなく、密室の唯一の穴と呼べる装飾用の暖炉から脱出できるのはドールしかないのである。写真は事件直後にカメラマンの安部が暖炉の下に付いたドールの足跡を抜け目なく発見し撮影した真品である。
二人目の犠牲者は招待客の一人であった。倒れた舘谷氏に真っ先に駆け寄り、応急処置を施したのは彼であった。ドールの犯行を疑う者もいた中、彼は誰よりも柔軟で優れた直感力と軽率な判断力、そしてガラスの心臓を持ち合わせていた。しかし、彼が不幸にも命を落とすことになった最大の要因は不運だったというほかない。彼は錯乱し自室に閉じ篭ったのであるが、吉永しずえの怨念を宿したドールは彼の部屋に身を潜ませていたのである。それに気付いた彼は勇敢にも立ち向かい、相討ちとなったのである。(中略)以上が、奇怪極まる本事件の真相である。我らが同胞の尊い命と引き換えに、吉永しずえ氏の怨念は祓われたのであろうか。舘谷鬼一郎氏は現在重体である。
藤森美貴は手記に目を通し、ため息をついた。今となってはこの記事は使うことができない。
――せめて掲載してから真犯人が見つかればよかったのに。
彼女は心の裡で毒づいた。
――あの女探偵、余計なことしやがって。
鏡の前で紙をビリビリに破り捨てて、取材用の笑顔を浮かべると、彼女は仕事をするために紫水晶の間へ向かった。