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四季録  作者: 文 詩月
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春の女王と月の騎士

 


 これは、とある王国の物語。


 その国には四人の王がおり、彼らは三つの時をそれぞれ順番に治めていた。


 春の女王が王座に座る時、世界は産声を上げ、夏の王の統治の下、全ての命は力に溢れ、秋の王の到来とともに、この世界は豊かに実る。そして、冬の王が座する時、世界の全てはまた無に戻るのだ。


 それが、この国の(ことわり)である。



 さて、四人の王のうち、春の女王こそが最も崇められ、高められていた。

 なぜならば、彼女こそがこの世界の始まりであり、彼女によって全ての命は生を受けるからだ。それゆえ、彼女は人々から、“誕生の女神”“偉大なる母”と、敬われていた。


 そんな彼女には、悲しむことも嘆くことも許されてはいなかった。彼女が嘆くならば、それは命の芽生えを嘆くこと、すなわち この世界を否定することとみなされてしまうからだ。


 春の女王に求められていたのは、命の誕生を喜ぶこと、そして、この世界を祝福することだけだった。


 だから、彼女はいつも笑っていた。美しい顔には、絶えず微笑みを浮かべていた。


 故に、月が満ちるまで、誰一人として知る者はいなかった。夜の静寂に満たされた庭園で、彼女はひとり涙を流していたことに―――――




 ◇ ・ ◇ ・ ◇ ・ ◇




 世界がすっかり闇に覆われた頃、一人の騎士が荒れ果てた庭園の中を歩いていた。この国は治安がよく、悪を働く者はごく稀だが、それでも春の女王を崇敬するあまり背徳に走る輩がいないか見回っていたのである。


 いつもはここではなく、宮殿の中庭を巡回していたが、こちらの庭園に入るのは初めてだった。

 春に生まれた命たちは闇を嫌い、光から離れたこの庭を“不気味な園”と呼んでいたからである。

 だがこの騎士は、光のないところにこそ悪事を働く者が集まるのではないかと懸念して、ここまで足を進めていた。


 手入れのされていない草木が、騎士の足に絡みつく。それを払いながら歩いていると、光がないはずの庭園に、やけに眩しい光を感じた。


 不思議に思い、光の気配のする方に歩いていく。


 大きな茂みをかき分けた時、騎士は思わず息を飲んだ。

 そこには、光を放つ春の女王が月を見上げ、声もなく泣いている姿があったのだ。


 木々の擦れる音に、春の女王は肩を震わせこちらを見る。彼女の目と彼の目が、その瞬間、かちあった。


 涙に濡れた瞳を大きく開き、驚く彼女。騎士は、少しの間うろたえたが、やがて彼女に深く頭を下げ、何も言わずに踵を返そうとした。



「待って!」



 鳥も妬むような美しい声が、そんな騎士を呼び止める。足を止め、振り返った彼に、春の女王は戸惑うように言った。



「あなたは何故、わたくしを咎めないのですか?

 わたくしが誰なのか、知っておられるはずなのに…」



 騎士は少しの沈黙の後、彼女に答えた。



「何故、私が貴女を咎める必要があるのでしょうか?」



「あなたは知っているはずです!

 わたくしには、嘆くことも悲しむことも、許されていないと…。

 そして今、確かにあなたはわたくしの涙を見たはずです。

 それなのに何故、何も言わずに去ろうとするのですか?」



 騎士はその言葉に顔を上げ、目を細めた。



「私は、貴女が何故泣いておられるのか、その理由を知りません。それが、喜びか悲しみなのかも…。

 そうであるのに何故、貴女を咎めることなどできるでしょうか。 


 …そして仮に、その雫が悲しみの涙であっても、私は喜びに勝る悲しみがあることを知っています。

 故に、貴女を咎めたりしません。


 しかし、私がいては、貴女が存分に泣くことがおできにならないと思ったのです」



 彼の言葉に、彼女はまた ぽろぽろと涙を零した。

 それを白い手で拭うと、懇願するように彼に言った。



「ああ、優しい人よ、どうか少しの時間、わたくしとお話してはくださいませんか?」



 騎士は「私でよろしければ…」と静かに言った。



 ◇ ・ ◇ ・ ◇ ・ ◇



 月が見える丘にたどり着くと、騎士は自分の首元のスカーフを解き、地面に敷いた。騎士に促され、春の女王は少しためらった後「ありがとう」と、その場に腰掛ける。



「…優しい人、あなたのお名前を教えていただけませんか?」



「……私は名などない、ただの騎士です」



 彼の髪は、月に照らされ、銀色に輝いている。それはちょうど、空の月と同じ色だった。

 春の女王は、寂しそうに微笑むと「ならばわたくしは、あなたのことを“月の騎士”と呼びましょう」と、静かに言った。



「月の騎士よ、あなたのような方に、わたくしは初めて出会いました。

 あなたではなく他の誰かであったなら、わたくしは咎められていたことでしょう。


 皆はわたくしのことを“誕生の女神”と、呼んでいます。わたくしには、笑うことしか許されていません。

 …けれど、わたくしは、皆が思っているような者ではありません。

 新たな命が生まれるたび、皆に崇められ、高められるたびに、わたくしの心は辛くなります。


 だって、わたくしは、全ての命が終わることを知っている。 終わることを知っているのに、命を生み出すわたくしなど、消えてしまえばいいのです…!」



 春の女王はそう言い切ると、とめどなく涙を流した。美しいその頬には、もはや濡れていないところなどないほどに…。


 騎士はハンカチを取り出して、遠慮がちに彼女の涙をそっと拭う。



「貴女の悲しみは、やはり、喜びに勝ります。…喜びに勝る、美しい尊いものです。

 そのような涙を流せる貴女が、消えていいはずなどありません」



 優しい騎士の言葉に、彼女はますます涙を流した。


 騎士は困ったように微笑むと「もし、貴女が笑うことしか許されていないのなら、私が貴女の泣き場所になりましょう」と、彼女に言った。



 二人が秘密の約束を交わしたことを、丘の上、闇に浮かぶ月だけが知っていた―――


読んでいただき、ありがとうございます。

少しでもお気に召しましたら、夏、秋、冬の物語もお楽しみください。

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