97話
その日の夜。拓郎は新入生から聞いた噂をクレアとジェシカに伝えていた。
「ありえない話じゃないからさ、新入生の間にある噂とはいえ軽視できないと思ってね」
拓郎から話を聞いたクレアとジェシカは頷いていた。もっとも話を聞いている最中からこの手の噂がやっぱり立ったか、と言う雰囲気を出していたが。
「確かにあり得ない話ではありませんね。事実、私達も似たような場面は何度見見てきましたし。そしてその後のいざこざも──何度も経験させられてきました。もしそうなったら……まあ、対処は出来ますから」
ジェシカは過去を振り返って、どこか遠くを眺めている様な目をしている。それだけで彼女が過去に何を経験してきたのは想像できる。その一方でクレアはにやーっと不気味な笑みを浮かべていた。
「ふふふふふふふ──まあ、もし万が一あまりにも愚かな手段と行動に出て周囲に迷惑をかけるようなら、それなりの結末を迎えていただきましょうねぇ。自業自得というやつよねぇ?」
拓郎は内心で頭を抱えていた。こうなったクレアはもう止めようがない──願う事は一つ、退学していった元・新入生が馬鹿な真似をしてくれるなと言う事。クレアはあくまで反撃、防衛のために動く。つまり攻撃さえ受けなければ何もしないし平穏そのものなのだ。逆に言い換えれば、攻撃を受けるとシャレにならないことになる。
(あっちだってクレアが魔女だって事は分かっているはず。そして魔人や魔女ってのは規格外の存在ってことも学んでいるはず。だから頼むぞ、本当に愚かな真似をしてくれるなよー!)
これが拓郎の偽りない本心だった。元とは言え新入生の人生が終わるのは心苦しいし、クレアの手が紅に染まる事も望んでいないのだ。だからこそ、そんな事態にならないでくれよと本気で祈った──そして数日が経過した。
「噂には上がったけど、大きな混乱も騒動も起きなくてよかったねえ」「いや、流石にそんな行動に出ていたらバカの一言では済まない事態になってたぞ。何も起こらなくて良いんだよ」
お昼休み、一緒に食事をとっている珠美と雄一の言葉に拓郎は頷いていた。流石の元・新入生もそこまで愚かではなかったようで、クレアやジェシカが密かに動くという展開は迎えていなかった。まだまだ油断はできないにせよ、このまま穏やかに噂と共に先の一件が風化してくれればそれに越したことは無い。
「このまま何事もなければ、それでいいさ。万が一があった場合は、本当にトラウマなんて言葉がかわいいぐらいの事態になりかねない。流石にそんな事態は避けたいからなぁ」
拓郎もやや疲れ気味の声を出す。疲れているのは訓練が原因ではないことは言うまでもない。
「まあ、クレア先生だもんねぇ。あの人に逆らったらただじゃ済まないレベルなんて一瞬で通過しちゃうよね」「流石にある程度付き合いがあればわかるよな。しかし、クレア先生が指名手配されているあのクレア・フラッティさんだとは最初思わなかったよな。たまたま似ているだけだと思ってたな」
もはやクレアの正体は、学園の2年3年生は誰もが知っている。が、クレアの素顔をある程度知ったため凶悪犯と言う意味での指名手配を受けた人間ではないという事もまた理解している。だからこそ、クレアに敬意を持つことはあっても恐怖心を持つことは無い。真剣な指導を行い、確かな実力をつけてくれる大事な先生と言う立ち位置である。
「まあ、雄一の言う通り本人とは思わんよなぁ。正直、このまま穏やかにいてくれることが世界にとって一番いいって言われてるからな。それぐらいの力を秘めた魔女の中でも特級の魔女。そんな人物がこうして共にいるって状況が夢なんじゃないかって思う事は何度もある。あまりにも吹っ飛んだ今の環境は、時々現実感が無くなる時がある」
拓郎の言葉に、珠美や雄一だけでなくクラスメイトも内心で同意していた。国際指名手配を受けてはいるが、その強さからどうしようもないので触るな関わるなと言われていた世界一有名な魔女、クレア・フラッティ。そんな魔女が今学園で自分達を鍛え上げてくれているという事実はあんまりにも夢物語にすぎる。
しかも彼女の指導を受けて、魔法の資質がほとんどないと言われていた雄一のような人間であってもレベル3を達成させ、多くの学園の生徒の科学魔法の実力を大いに高めている。まさに世界が願った『穏やかに生き、穏やかに老衰してほしい』と言う望ましい展開そのものになっているのだ。世界から見ても今の状況はできすぎた話と言えよう。
夢を見ているのではないか、と思っているのは拓郎達学園関係者だけでなく世界中の首脳陣も同じであったりする。あれだけ歩く不発弾、地球が生み出した人類を終わらせるモノ、終末が人の姿を取ったものなどと言われた存在がこうも日本と言う国の一部分で穏やかに過ごしているなどと。
故に今、世界は日本に絶対ちょっかいを出すな掛けるな仕掛けるなと言う合言葉が生まれている。あくまで穏やかになったとはいえ、彼女自身の能力が下がったわけではないのだ。むしろ逆に守るべき者を作った結果、それに対して害をなそうものならどんな引き金が引かれるか分かったものではない。
『万が一にも今の日本にいるクレア・フラッティに変な事をした人物が現れた場合は問答無用で排除、処刑する』
と言う国際法まで密かに生まれていた。もちろん各国の国民には知らされていないが……それぐらい今の状況のままクレアが老衰と言う退場をしてくれる事を切に祈っている訳である。故にこんなトンデモ国際法が制定されてしまうのだ。更に悲しい事に、この国際法は何度か発動している。
そう、密かに拓郎とクレアの近くで護衛をしている魔人、魔女の皆さんの仕事がこれに当たるのだ。すでに何名もの人物が排除され、悪質な人間はすでにこの世にはいない。全ては世界の人間を守るため。その為ならば非道も辞さないというか、躊躇していたらとんでもないことになりかねない。
クレアとジェシカはこの状況をとっくに理解している。理解したうえで放置している、拓郎との生活には問題がないからだ。日本政府も拓郎に関わってこようとはしていないし、拓郎に負担をかけないのであれば放置でいいと判断する結論をすでに出している。
なお、日本政府が関わってこない理由は単純明快だ。怖いからである。下手に関わろう物なら、どんな方向に進むか分からない。だからこそ監視し、警戒するにとどめている。と言っても依然申し上げた通り、回復魔法使いを目指している拓郎の善性は国にとっても望ましいものであり、ガッチガチの監視などはしていないが。
とまあ、ここまで長々と語ったわけだが……元・新入生はどうなったのか? と言う問いに対して答えを察していただけたのではないだろうか。クレアや拓郎に対してちょっかいをかけるという事は、今の世界を敵に回すと同じ事。そんな世界に対して一個人がどうこうできるわけがない。親にある程度の力があったとしても、世界を相手に戦えるわけがない。
そう、もう彼はこの世にいないのである。明確な危険行為に及ぼうとした短絡的な思考、ならびに無駄に高い行動力は危険であると判断された。その行き着く先は当人の破滅以外にあり得ない。故に、今の拓郎達は平穏を享受できているのだ。拓郎とクレアの平穏は世界を守るため。その為なら、個々の命など軽いと判断されても致し方ないのである……




