76話
洋一が持つもう一つの切り札。それは、相手の体内に針金のように魔力を流して炸裂させるという殺傷能力が高い物。だが、相手だって馬鹿ではない。そんな魔力を流し込もうとすれば当然抵抗や防御をするのが当たり前の行為だ。その防御をまさに一点集中で抜き、一瞬でできる限り相手の体内に流し込んでから炸裂させるのだ。
もちろん威力の調整は可能であり、今回も相手にそれなりのダメージを与えるに留める形には落とし込む形となる。とはいえ、体内から爆破される側はたまったものではない。威力を最小限に抑えてなお、過去に洋一が練習試合で使った時に食らった相手は治療を受けるまでの間動く事も出来ず泡を吹いていた。
当時のコーチは新しい魔法を身に着けた洋一を褒めはしたが、危険性があまりにも高いとして基本的にその後の練習試合では原則禁止としている。だが今回は相手が相手なので最小の威力に絞っての使用の許可を出した。使わなければ勝負にならないとコーチが考えたからだ。
そして実際、洋一の切り札の一つ目は早々に無力化されてしまった。しかも防御するという形ではなく握りつぶして消してしまうという予想外の形で。洋一がショックを受けたのは当然だが、見ていた明美や香澄にコーチ、そして翔峰学園の生徒達全員も同じショックを受けていたのは言うまでもない。
(あれは、力任せに握りつぶしたのではない。本当に分解するようにそっと魔法をほどいたと表現するべき行為だ。高校生がやれるレベルではないぞ! しかもただの魔法ではなく洋一が必死で生み出したアイツの最高の魔法の片割れをだ。そんな事が出来る相手にもう一つの方も通じるかどうか……)
長く、多くの生徒を教えてきたコーチは汗が止まらない。あまりにも冷たく感じる汗が背中にも顔にも伝っている。最悪、今日の戦いで洋一の心が永久に折れてしまうのではないか? そう言った考えがどうしても頭の中を駆け巡る。
(無事に帰ってこい──何より心を折られるなよ)
コーチのその思考は、もはや祈りと表現するしかないほどに切実な物となっていた。
そんなコーチが見守る中、洋一は切り札を当てるべくさらに激しくラッシュを仕掛ける。手も足も全力で振り回して拓郎の防御を少しでもこじ開けようと後先考えない猛攻を続ける。少しでも守りをこじ開ければ──そこに最後の切り札を叩き込む。それだけの為に。そんな洋一の猛攻が功を奏したのか、拓郎の防御が追い付かなくなり始める。
(いける、あとちょっとだ。あとちょっとがんばれ俺!)
自分で自分を鼓舞し、拓郎の防御をさらに崩すべく攻撃を続行する洋一。少しづつ、しかし確実に拓郎のガードをこじ開けていく。そして、洋一にとっては待望の瞬間がついに訪れる。拓郎の両腕のガードが洋一の蹴りによって明確に崩されたのだ。すでに余裕など全くない洋一は、ガラ空きになった拓郎の腹部に手を伸ばす。
──もし洋一が普段通りの戦いを行えていたらこの瞬間気が付いたことだろう、『感触がどこかおかしい』と。だが、切り札の一つを早々に想定外の方法で破られ、残りの力全てを賭けてこの一瞬に注ぎ込んできた洋一にはその違和感を感じ取る余裕は一切なかった。切り札を切るために最低限の魔力しか残していなかった彼には、千載一遇のチャンスにしか思えなかったのだから。
「発動!」
洋一の魔力が拓郎の体を一瞬で駆け、そして炸裂した。プロ相手にすらKOを取れるこの技が決まった、俺の勝利だと洋一は考える。確かにそう考えるのはおかしい事ではない、ただしそれは拓郎に対して本当に決まっていれば、だが。魔力が流され、炸裂させられた拓郎の体が突如破裂した。そう、非常に大きな風船を割った時のような音と共に。
「へ?」
洋一は理解が出来なかった。魔力は流したが、人を風船のように割るようなパワーはない。いや、そもそも全力で流したとしても人が風船のようにはじけ飛んでしまうような性質を持った魔法ではない事は開発した己が一番分かっている。。なのに目の前の拓郎ははじけて消えてしまった。洋一の頭の中は一種のパニック状態に陥った。目の前に起きた現象が理解できなかったからだ。
だが、周囲からしてみればそんなパニックに陥った洋一は大きな隙を晒しているだけにしか見えない。そして誰かが叫んだ「上だー!」と。
(上?)
パニックに陥りながらも耳に届いた声に従って上を見た洋一が見た物は──右手で手刀を今まさに自分に振り下ろさんとする拓郎の姿であった。そう、はじけ飛んだのは拓郎本人ではない。魔力で作ったバルーン的な物でしかなかったのだ。
防御を崩されたのも当然拓郎にとってはわざとだ。崩されたように締めかけた拓郎は直後に魔力で作ったダミーの自分を残して上空へと高速移動していたのである。忍法、変わり身の術とでもいった感じである。そして洋一が大きな魔力を流したことを確認して、発動直後には動けないと判断し手刀を今まさに洋一の肩に叩き込もうとしていたのである。
その手刀を回避するだけの動きを、洋一は行う事が出来なかった。拓郎の狙い通りに叩き込まれる手刀。加減はしてあったが──叩き込まれた箇所である洋一の左肩からは嫌な音が聞こえた。そして直後に走る激痛。彼は悲鳴こそ上げなかったが、顔を大きく歪ませて後ろに下がってたたらを踏む。
(騙された! 完全にしてやられた!)
痛みと同時に悔しさが洋一の感情を染め上げる。魔力で作った分身を作ると言うのは実はそんなに難しい事ではない。だが、大抵は大雑把な物になるため流石に簡単に気がつける。だが今回拓郎が作ったモノは、かなり本人に迫った物だった。もちろん冷静に見れば偽物だと分かるのだが、戦いの最中か最後の一発を叩き込むために焦っていた洋一を騙すには十分に出来栄えであった。
そして洋一は、自分がその偽物に最後の切り札を使ってしまった事を理解したのだ。左肩の痛みも加わり、歯噛みする洋一。勝ちの目はすでに無くなった。更に左腕も肩をやられた事が原因で動かそうとするだけで激痛が走る。使い物にならないと瞬時にわからせられる。更に魔力不足で強化魔法も解けてしまっている。使えるのは震えが止まらない両足と力があまり入らなくなってしまった右腕のみ。
(でも、ギブアップはしたくねえ! 最後の最後まで、体が動くのならば戦わなきゃダメだ! 今までの練習試合で戦ってきた相手だって、皆そうだったじゃねえか。俺だけ出来ませんなんて……情けなさすぎる事が言えるかぁ!)
前に戦った明美はだって最後まで戦った。なのに俺はこの痛みと魔力を失っただけでギブアップなど出来ないと洋一は思った。まだ右腕は生きている。ならば最後まで戦ってやると。そして構えを解かない拓郎に向かって駆けだそうとした──しかし、ああ無常なるかな。脚は走るどころか前に歩く事すらままならなかった。そのため、前進速度はまるで亀のように遅い。
だが、それでもなお洋一は前に出る。確かにその歩みはゆっくりではあったが確実に前に出る。そんな洋一を拓郎は静かに待ち構える。その時間はまるで、洋一が必死で歯を食いしばり、右手で必死に握り拳を作って前に出る以外の音がしないかのような静寂さがあった。やがて、その音もついに洋一の右腕に残されている最後の力が届く射程に入る事で消え去って──ついに洋一の拳が振るわれる。
「ぐ、ぐああああおおおおおおおっ!」
最後の気力を振り絞っての洋一の右腕によるパンチは、左肩の負傷からくる痛みも合わさって手負いの獣が出すような咆哮と共に拓郎に向かって放たれた。拓郎はそのパンチに対して──その下に潜り込むかのように回避しながら、渾身の右を洋一の顔面に叩き込んだ。
すでに最後の意地だけで放たれた洋一のパンチはパワーもスピードもなく、後ろに下がるなどして大きく動く事で安全に避ける事はこの時の拓郎にとって容易い事ではあった。
だが、拓郎はそのやり方を良しとしなかった。魔力を失い左肩に明確な大きいダメージを受けてなおギブアップせずに向かってくる、その洋一が見せた意地には真っ向から立ち向かいそして打ち砕く事こそが最低限の礼儀であると瞬時に思った。だからこそ洋一に対してこのような決着の付け方をしたのだ。すでに力を使い果たしていた洋一はまともに拓郎の攻撃を受けて軽く吹き飛び、失神して地面に伏せた。
「そこまで!」
審判を務めるジャックのストップが入り、すぐさま洋一に対して治療が行われる。拓郎は意識を失った状態で治療を受けている洋一に対して深く一礼し、敬意を示す。矢折れ精魂尽き果ててなお最後の最後まで戦う意思を失わなかった洋一に対して、拓郎は誠意を示さずにはいられなかった。こうして洋一との戦いも終わり、残す戦いは香澄との一戦だけとなった。




