58話
そして月曜日。登校した拓郎と雄一は結果を心待ちにしていたクラスメイトに伝える。
「──という感じで、DVとかの形跡はなかったな」「俺達だけじゃなく、クレア先生やジェシカ先生の判断も含めての話だからな。まず間違いないと思ってくれていいぜ」
拓郎、雄一からの話を聞いて、クラスメイト達もほっとした表情を浮かべる。
「そっか、それならよかったぜ」「そうねー……メディアがガンガンうるさいからそれに毒されてたのかも」「なんにせよ、DVとかが無いと分かったのはほっとしたぜ。クラスメイトが裏でそんな苦労をしているなんてのは嫌だったからな」
と、珠美にそう言った問題が無かった事でクラスメイト達も感想を口にする。
「あはは、心配かけちゃってごめんね」
珠美が少し申し訳なさそうにそう口にすると、あちこちから問題が無くて安心したよとか、気にするなよといった声が飛ぶ。これで安心して授業を受けられるとクラスメイト達は思ったのだが──この日の昼休み、それはやってきた。
「お昼休み中、失礼いたしますわ」
そんな言葉と共に、別の学校の制服と思われる服を着た女性が居り付休みで各々が食事を取っている教室へとやってきた。その顔は、珠美が少々幼くなったかのような感じがする……と数名の教室にいた生徒達は思った。その感覚は間違っていなかったとばかりに珠美が声を出す。
「え? なんでここに真美がいるの!? 今日学校は──創立記念日だったっけ? それはまあいいとしてどうして?」
珍しい珠美の焦る姿。一方で珠美の妹、真美は平然としていた。
「突然押し掛けて申し訳ございません。もちろん校長先生からの許可は頂いておりますわ。不法侵入ではございませんので、ご安心を」
なんて真美の言葉を聞いているうちに、拓郎のクラスメイトの一人が声をあげた。
「何処かで見覚えがあると思ったけど、その制服橘中学の制服じゃない!? 県のトップクラスが通ってる有名校の!」
この見立ては正しい。珠美の妹である真美は、橘学園という有名校に通っており、エスカレーター式で大学まであるところだ。ただし、一定の成績を常に収めていないと上に上がる事は出来ないが。実力を重視した授業内容となっている為、橘学園を卒業した生徒は就職先に困る事はない。
更に橘学園に通っている生徒は自主的な勉学、訓練を奨励されており……簡単に言えば自己鍛錬を怠るような人間はあっという間に取り残される環境に置かれている。そう言うシビアな環境に居続ける訳だからこそ、卒業生に関しては企業も一目置くのである。そんな学園に通っている珠美の妹がこの学園に居るのは、普通はあり得ない。
「はい、橘学園の生徒として日々精進しております。ですが、今回こうして不躾ではありますがお邪魔させていただいたのは学園とは一切関係ございません」
その声は穏やかであり、少なくともこの学校に面倒度とを持ち込みに来たわけではないと感じさせるような物であった。正直中学生が出す感じがする声ではない。
「じゃあ聞くね。どうして真美は今日ここに来たの? 昨日も、そして今日の朝も私が通っているこの学園にやって来るなんて話は全く聞いてなかったよ? その理由は教えてもらえるんだよね?」
クラスメイトを代表して珠美が発した質問に真美は一度頷いてから口を開いた。
「もちろんです。突然押し掛けた非礼を詫びると共に……少々伺いたい事があったからです。まず、先日の土曜日。このクラスから数名姉と私が過ごしてくる家に来たいとの要望がありました。それ自体は何の問題もありませんでしたし、事実帰った後もきれいにしてありましたのでそのこと自体は良いのです。ですが……一つだけ問題が残っていました」
真美の言葉に、クラスメイト達がざわめき始める。拓郎や雄一、そしてクレア先生やジェシカ先生が何か馬鹿な事をする筈がない。筈がないが、何かあったのかもしれないと不安になったからである。なので、クラスメイト達は真美の次の言葉を待つ──が、次の言葉を聞いたクラスメイトたちは皆そろってずっこける事となった。なぜなら真美の次の言葉は──
「何ですかあのおいしそうな料理の香りの残滓は!? 香りから肉料理であることは理解しました! その後父に話を聞いて牛タンのシチューであることも知りました! でも! 依然食べた牛タンのシチューはあんな香りじゃありませんでした! あの素晴らしい香りを放つ牛タンシチューを作ったのは……このクラスにいるどなた様なのでしょうか!?」
何の事はない──食い意地が張った一人が我慢できずに乗り込んできただけであったと言うオチ。しかし、直後視線は拓郎に移る。雄一はこれと言った料理技術はない事はクラスメイトも理解している。ならば可能性があるのは拓郎だけとなるからだ。その視線に、当然真美も気が付く。
「貴方様なのでしょうか? あの素晴らしき香り漂う牛タンのシチューをおつくりになられた方は?」
拓郎の前にやってきた真美から、そんな言葉が出る。拓郎は素直にそれを認め、頷いた。
「確かに作ったのは俺です。人様の家にお邪魔するのに手ぶらでは申し訳ないという理由と、お昼を出させるような真似はしたくないという考えから牛タンのシチューを作り、持ち込みました」
この拓郎の言葉を聞いた真美の目が一気に輝きだした。それを見て珠美が内心で(あ、これマズイ奴だわ)と感じて止めに入った。
「ストップ、すとーっぷ! 真美、そこまでよ!」「姉さんは食べたからそんな事が言えるのです! 私と、そして父は土曜の夜、枕を濡らして眠りについたのですから!」
後ろから羽交い絞めにする形で真美を止めようとする珠美。その一方で反論する真美。拓郎はもちろん、クラスメイト達も何がどうなってるんだとばかりにあっけにとられていた。数分ほど珠美と真美のやり取りは続き、お互い少々の疲れが出た事もあって収まった。荒い息を吐く珠美と真美だが、このままでも出来まいと拓郎は思い、口を開く。
「すみません、話がまだよく見えてこないので……詳しく聞いてもいいでしょうか? まず、話を時系列的にしてみませんか? 先日の土曜、確かに俺、雄一、クレア先生、ジェシカ先生の四名で珠美と貴女が住む家にお邪魔させていただきました。そしてお昼に作った牛タンシチューの大鍋を仕上げだけする為にキッチンをお借りしています。そして食後の午後三時頃にお暇しています。ここまでは宜しいでしょうか?」
拓郎の言葉に、珠美も真美も雄一も頷く。そして話を受け付いたのは珠美だ。
「で、来てくれた4人が帰った後、私は部屋を綺麗にして休んでいただけかなー。正直お昼の牛タンシチューがおいしすぎたせいで食べ過ぎちゃって……動くのが大変だったし」
この珠美の言葉に拓郎と雄一は頷いた。珠美がそれだけ食べていた姿は拓郎も雄一も見ている。なお同じように食い過ぎた雄一は帰る時に大変苦労している事も蛇足だが付け加えておく。
「そして昨日の午後九時あたりかな? 両親と真美が帰ってきたのは。その後私が掃除して沸かせておいたお風呂に真美が向かって、私は両親に今日の事を伝えて……部屋に戻ったんだよね。だからそこから先は真美じゃないと分からないと思う」
珠美の言葉に、真美は頷く。そして口を開いた。
「はい、そして私がお風呂から上がって気が付いたんです。リビングにわずかに漂っている……しかし確かに存在する香り。実は私は父親譲りでかなり香りには敏感でして。普通の人だと感じ取れない香りやその残滓でも嗅ぎ取れるのです。そして私は父を見つめてから口にしました。この香りはビーフシチューだと」
その妙に高まっている真美のテンションに、クラスメイト達はついていけなくなりつつあった。しかし──そんな事はお構いなしと真美は話を続けるのであった。
気温の寒暖差が激しい……寒い。




