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57話

 気が付けば時間はお昼の少し前を迎えていた。そこで珠美がスマホを手に取る。


「そろそろお昼だから何かとるよー? お金は親から出てるから問題なし。何かリクエストある?」


 この珠美の言葉に真っ先に手を挙げたのは拓郎だった。だが、その挙手の理由は食べたいものをリクエストする内容ではなかった。


「ああ、珠美。今回は押し掛けるような形になってしまっている上にそんなお金を使わせるわけにはいかない。お昼なんだが、俺が仕込んだものを持ってきてある。仕上げだけやりたいからキッチンを使わせてもらえないだろうか?」


 この珠美にとっては全く予想していなかった言葉に、つい拓郎を驚いた表情で見てしまい言葉が出てこない。それを察した雄一が代わりに拓郎に問いかけた。


「仕込んできた物ってなんだ? 拓郎の事だから食えないものを作ってきたって事は流石にないだろうが……」


 親に作ってもらってきた物があるではなく、俺が仕込んだものであると拓郎は口にした。雄一や珠美からしてみれば、え? と驚く事になるのも無理はない。


「牛タンのシチューだよ。冬場だから温かいものが良いだろ? ちなみに持ち運びの方法はクレアの魔法。大鍋だから、普通に持ち歩くのは厳しかったんでお願いした」


 拓郎の言葉にクレアは「そうそう、たっくんのお願いだからね。あ、それと味の方は期待して良いよ? たっくんには魔法の訓練だけじゃなく料理も仕込んでるから。最近は特に煮込み系統の料理の進歩が目覚ましいのよねー♪」などと発言していた。クレアの言葉を聞いて、自然と数秒ほど顔を見合わせる事になった雄一と珠美。やがて、珠美が口を開いた。


「うん、分かった。キッチンはこっちだよ」


 クレアの味の方は期待して良いという言葉もあって、珠美は拓郎の持ってきたという牛タンシチューを食べる事に決めた。もしそれがイマイチならば何か頼めばいいだけだしと考えを切り替えて。クレアの魔法によってコンロに現れた大鍋に火が入り、拓郎はちょいちょいと仕上げを進める。


 もう大半が出来上がっている事もあり、牛タンシチューの入っている大鍋からはすぐにいい香りが周囲に漂い始める。その香りに、雄一と珠美の喉がなる。無理もない、食べ盛りなお年頃の人間にとってこの香りはもはや暴力的ですらある。


「これ、ものすごく期待して良いんじゃね?」「う、うん。お母さんにはちょっと悪いけど、ここまで香りだけで早く食べたいってなるのはちょっと記憶にない」


 先ほどまでと違い、この香りによって雄一と珠美の考えが大きく変わる。そわそわしながら待っている二人を見ていたジェシカがクスッと笑う。


「その期待を裏切る事はないですよ。少し前にも拓郎さんのシチューを頂きましたが、クレア姉さんだけでなくご両親も大満足でしたから。拓郎さんはたっぷり作ってきましたし、お代わりはいっぱいできますよ」


 さて、そんな会話の後にやってきた拓郎作の牛タンチューがどうなったかというと──戦争が起きた。


「ちょ、もう三杯目を食ったのかよ珠美!?」「こんなおいしい物、次があるかどうかわからないもの! 遠慮も乙女の外見も今は全力でかなぐり捨てるわよ!」「たっくんの友人でも遠慮はしないわ!」「姉さん……気持ちは分かりますが」


 雄一、珠美、クレアがものすごい勢いで大鍋の牛タンシチューを奪い合いながら自分の器に盛りつけて食べている。一方でジェシカと拓郎はゆっくり目に食べているが……


「うん、良い味が出せた。手ごたえを感じる出来だ」「確かにこの出来は良いですね。牛タンのシチューは過去に食べた事がありますが、ここまでの出来の物はなかなかなかったですよ」


 拓郎が自分の作った牛タンシチューをゆっくりと味わいながら感想を口にすると、ジェシカが合いの手を入れた。拓郎としても今回の牛タンシチューの出来栄えは胸を張れるレベルであり──持ってきてよかったと感じていた。それと同時の目の前の戦争からは意識的に目を背けているが……


「げ、もうこれしか残ってねえ!」「早い者勝ちよ!」「手加減はしないわ!」


 もはや性別も年齢も関係ない三人の牛タンシチュー争奪戦争は、大鍋が完全に空になる事で終戦した……その光景を見ていた拓郎とジェシカは、内心で引いていた……正直大鍋のサイズからして、半分ぐらいは残るだろうと拓郎は予想していたからだ。残りは晩御飯に両親に出せばそれでいいかなと思っていたのに──蓋を開ければ完食と相成った。


「一体あれだけの牛タンシチューが体のどこに入っていったんだ……?」「凄まじい戦いでしたね……」


 拓郎とジェシカは、お腹をさすりながら満足げな表情を浮かべている3人に対して、そう口にするのが精いっぱいであった。



 それだけの量を食べれば、当然3人ともしばらく動けなくなる。なので、一転してのんびりとした時間が流れる事になるのは当然だろう。ただ、やはり拓郎に質問を飛ばす雄一と珠美。


「拓郎、めっちゃうまかったぜ……多分今まで食ってきた料理の中で一番うまかった。料理の訓練って、やっぱりクレア先生とジェシカ先生が?」「ああ。やっぱり料理ってできた方が良いからな……だからいろいろと教わっているよ。今はシチューなんかの系統にはまってて、今日持ってきたのはいい出来の物が作れたからだな」


 雄一の問いかけに対する拓郎の返答はこれである。続いては珠美だ。


「どれぐらい料理の訓練をしているの? 正直これだけの味を出すってかなり修業を積まないと出来そうにないんだけど」「あー、うん。ちょっとそれは詳しく言えないんだが──ちょっとしたクレアとジェシカさんの魔法によって時間を最高に有効活用して訓練をしているって言う事が理由だな」


 珠美の問いかけに対する拓郎の返答はこうだ。なお、拓郎が詳しく言えない内容としては、クレアとジェシカの魔法によって時間を引き延ばしているような感覚の中でひたすら訓練をするという物。一日を数十日にごまかせるような感覚になるので、修行できる日数が多くなる感じだ。あくまで感覚だけであり実際に時間を引き延ばしている訳ではないのだが、それでも普通に訓練するよりはるかに濃密な時間を過ごせる。


「たっくんも本当に腕を上げたよね。おねーさんは嬉しい!」「ありがとう、ろくに出来なかった最初からみっちりと丁寧に教えてくれたおかげだよ」


 そしてクレアからの称賛に、拓郎は素直に感謝を述べた。実際クレアとジェシカの丁寧な指導があってこそ、今日の牛タンシチューの味がある。拓郎はそのことは真摯に捉えていたので感謝の言葉も素直に出るという物だ。ただ、雄一と珠美の2人と一緒になってシチューの争奪戦争を始めないでほしかったというのが正直な心の内という奴だが。


「拓郎君は何時結婚しても問題なさそうね」「それにもう相手もいるしな。後は歳だけだろ? 高校卒業したらすぐだろうし」


 珠美の小声に、聞こえてしまった雄一が同じく小声で相槌を打った。まあ、2人だけではなく誰が見てももうそうなる以外の道が見えないだろ? という感じの拓郎とクレアの間にある空気がある。ただ、それが拓郎とジェシカとの間にも感じられるのがちょっと心配となる珠美と雄一。2人とも魔女だけに……拓郎が下手な事をすれば凄惨な事件を引き起こしかけない。そうなって欲しくはないなーと。


「で、雄一。質問するから正直に答えて? 今日食べたこの牛タンシチュー……また食べたい?」「言うまでもないと思うだろうが、一応言っておくぜ。食いたいに決まってるだろ。店でも早々出会えない味だったぞ。それに近くに牛タンシチューを出す店に心当たりがない。この味を頭が思い出すごとにお互い苦労しそうだよな」


 そんなやり取りが交わされるのも仕方がないだろう。ビーフシチューを出す店ならそれなりにあるだろうが、牛タンのシチューとなるとなかなか見つからない。首都圏ならまだ見つけられるだろうが、拓郎達の近辺となるとちょっと厳しい。


「拓郎君は善意で持ってきてくれた訳だし、文句を言うのは筋違いなんだけどさ……」「珠美、気持ちはわかるぜ。罪な事をしてくれたもんだ」


 知らない事を耐えるのは苦痛ではない。知ってしまってから耐えるのは大変なのだ。それ今後、いやというほど痛感するんだろうなぁと2人はお互いに思い、そして大きくため息をついた。

過去に食べたけど、今は食べられない味って思いだすと辛いんですよねー。

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